第9話「君はすごいよ」
伊織とハルは校舎裏に来た。この学校で数少ない人気のない場所だ。もう何年も使われてない古い焼却炉や、今も使われているのかどうか怪しいボロボロの百葉箱が設置されている。
「みんなすぐああいうこと言うんだから」
二人の男女が仲良く話をしている光景を目撃すれば、恋愛的な関係を想像してしまうのは仕方ない。しかし、これでは二人きりでまともに話もできない。クラスメイトが弊害に感じられる伊織だった。
「なんか……ごめんね、伊織君」
「ううん、いいよ」
伊織は得意の愛想笑いでハルの気をなだめる。
「それで、僕に何か用?」
「えっと……これを返したくて……」
「返す?」
ハルは手に持っていたファイルから紙を取り出し、伊織に手渡す。その紙はいくつかに折り畳まれていた。
「これは……」
ペラッ
伊織は紙を広げる。
「なっ!?」
伊織は驚愕した。それは先週彼が失くした『愛のうた』が書かれたメモだった。どこかで落としたと思っていたが、どうやらハルが持っていたらしい。
「な、なななんでハハハハルさんがここここれを……」
メモを握り締める伊織の手が、電動マッサージ器に触れたようにプルプル震える。なぜかハルも手をもじもじさせながら答える。
「先週、伊織君が持ってきてくれたプリントの中に挟まってたの。『星名意織』って書いてあったけど、伊織君の名前と同じ読み方だし、伊織君が持ってきたんだから伊織君のものだと思って。えっと……君ので合ってるよね?」
そこまでして返しに来てくれたのか。プリントを届けたことのお礼のつもりだろうか。そんなことしなくてもいいのに。むしろこんな黒歴史第一号なんて、くしゃくしゃにしてゴミ箱にポイしてくれてもいいのに。伊織はそう思った。
まぁ、とにかく彼女に感謝だ。伊織は深呼吸し、心を落ち着かせた。
「ありがとう、ハルさん」
「うん。どういたしまして」
気まずい空気が二人を包む。伊織は先程から一番気になっていることを尋ねる。
「ハルさん……これ読んだ?」
「あぁ、うん……」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
伊織の叫び声が、静かだった校舎裏の空気を一変させる。彼は脱力して地面に崩れ落ちた。穴があったら入りたい。上から土を被せて埋めてほしい。いっそのことその上に墓石でも建て、永眠させてほしい。
よりによって、まだ素性をよく知らない者に、しかもハルに見られてしまった。彼は軽くあの詩を書いたことを後悔した。
「ハルさん……」
泣き出しそうな震え声で名前を呼ぶ。思いがけずハルに詩を読まれてしまった。今まで誰も称賛しなかった失敗作とも呼べるものを。
「えっと……」
ハルは唾を飲み込んで言う。
「伊織君……すごいね」
「……へ?」
伊織は垂れていた頭を上げる。
「あんなすごいもの、今まで読んだことないよ。愛の素晴らしさみたいなものがらひしひしと伝わった。読んでて心がとても温かくなったよ。伊織君ってすごいね!」
「……」
伊織はまず聞き間違いを疑った。自分の耳は正常に働いていないのではないか。それが違うのであれば、ハルが嘘をついているか。しかし、そう思うのは彼女に失礼かもしれない。
「あれって、何かの曲の歌詞?」
「いや、『詞』というか『詩』かな。一応僕のオリジナルだけど……」
「え? オリジナル? 自分で考えてるの?やっぱりすごい!」
伊織はハルの顔をまじまじと見つめる。今まで見た中で、最も明るい笑顔だった。まだ数えるほどしか見ていないが、間違いなく一番だ。声のトーンも今までより一層明るい。それが示す可能性はつまり、彼女の発言は嘘偽りのない真実だということ。
「……ほんと?」
「ほんとだよ! すごくよかった! 伊織君って作詩の才能あるね。ねぇ、他にもない? 他の詩も読んでみたいな」
彼女の目が星のようにキラキラと輝いている。校舎裏の影の中にいながらも、太陽の光を浴びずとも輝きを放っている。こんなに生き生きとしたハルを、伊織は当然初めて見る。伊織の詩を読んだことにより、彼女がこんなに明るくなった。
そして忘れかけていたが、重大な事実が一つある。初めて誰かに自分の詩を褒めてもらった。常に貶されるか、中立的な評価しかもらえなかった自分の詩を、ハルが称賛してくれた。
「……いいよ」
「やった! 楽しみにしてるね♪」
ハルの笑顔につられ、伊織もつい口元が緩む。この笑顔が自分の詩を読んだことで生まれたとを思うと、更に嬉しくなる。まさか自分の詩が、こんなに誰かを笑顔にできる力があったとは。
“父さん……母さん……僕、やったよ……”
天国で見守っているであろう両親に、心で語りかける伊織。今日は彼にとって、そしてハルにとっても人生の転機の日だ。ここから確実に、二人の人生は交わりつつあった。
果たしてこれは神様の気まぐれか。それとも運命か。どちらにせよ、核心的な事実がそこにあった。伊織はハルと一緒にいると、ハルは伊織と一緒にいると、明るい未来が見えてくるような気がした。
「それじゃあ、次は体育委員を……」
「はい!」
「はい!」
時は過ぎ、役員決めの時間になった。体育委員を決めるタイミングで、麻衣子と出男が勢いよく手を上げた。無駄にやる気がある。
「はぁ……じゃあどっちがやるか決めて」
二人の面倒な性格を既に知った石井先生は、決定手段を二人に委ねた。
「そんじゃあ、ここは公平にじゃんけんで決めましょう」
「おう! ぜってぇ掴み取ってやるぜ」
お互い拳をポキポキと鳴らす麻衣子と出男。
「待った! 俺もやろう……」
急に裕介が二人の間に割り込んできた。
「ちょっと! やるならもっと早く言いなさいよ!」
「フッ……誰が来ようと俺は負けねぇ」
無駄に場をヒートアップさせた裕介。三人は何度も拳を鳴らし、強面を浮かべて前に出る。読者は分かっているとは思うが、一応明記しておく。今から始まるのは殴り合いなどではなく、平和で公平なじゃんけんだ。
『最初はグー! じゃんけん……』
三人はそれぞれ手を振りかざす。
『ぽん!』
麻衣子:グー
出男:グー
祐介:チョキ
「yfkcdu8ikkdgoo74%★■♂+d■△l△★♥️●↓*♪★ag↑♪△〈♂▼▷s▩▶◈(6fjk◈●▶▶◇d♢♤f♥rfn♢♣♗↚dizuh🎋b🎃🎃🎏🎇🎀!!!???」
勢いよく床に突伏し、意味不明な言語で発狂し始めた裕介。遅れて勝負に割り込み、まんまと敗北。これはかなり恥ずかしい。
「裕介……弱……」
「これは恥ずかしいな……」
哀れみの言葉を投げ掛ける二人。その言葉が更に祐介をはずかしめる。クラスメイトのほとんどが祐介の失態を見て笑う。
「……ぷっ」
教室内で誰かが吹き出した。
「あははははははははっ」
なんと、吹き出したのはハルだった。彼女は大きな笑い声を上げる。生徒達は、今まで聞いたこともない彼女の声のトーンを耳にして戸惑う。彼女の笑い声は、クラスメイト全員の耳へと届いた。
初めて伊織以外の生徒の目に、彼女の笑顔が映る。次第に笑い声は弱まり、彼女は息を落ち着かせる。
「はぁ……はぁ……みんな、面白いね……」
笑い涙を拭いながら、裕介に笑顔を向けるハル。彼もつられて笑顔になった。伊織はハルの変化に気づいた。先週は全くクラスの中に入ることができず、偽りの笑顔で取り繕っていた彼女が今、クラスメイトの真ん中で本物の笑顔を披露している。
「ハルさん……」
伊織はまたもや喜びに胸を膨らます。やっと、教室がハルにとって自分をさらけ出せる場所になった。まずは伊織に、それから他のクラスメイトへ。確実に彼女の世界は広がり始めていたのだ。
「よかったね……」
ハルがこちらを振り向き、再び笑いかける。伊織も笑顔を向ける。やはり彼女と一緒にいると、普段の日常が更に楽しくなる。確信的な予感がする。
「なんだ、ちゃんと笑えるじゃない」
麻衣子も笑顔を絶やさないハルを微笑ましく眺める。
「最初はグー!」
突然出男がじゃんけんを再開した。もちろん麻衣子は戸惑う。
「えぇ!?」
「じゃんけんぽん!」
麻衣子:グー
出男:パー
「はい、体育委員は気合君に決定~」
「よっしゃ~!」
ガッツポーズをする出男。その横で床に崩れ落ちる麻衣子。
「何よこれ……ていうか空気読みなさいよ!」
「俺は体育委員にさえなれりゃ、それでいいんだ!」
出男は筋肉質な胸をどんと張る。昨年からの夢を果たし、このクラスの運動行事の総括を委ねられた。
「あはは……(笑)」
伊織は苦笑いした。しかし、これ程面白いクラスメイトに囲まれていれば、ハルが毎日を退屈せずに済むと確信し、安心した。自分もそのクラスメイトの一人だ。彼女の仲間として、彼女を支えてあげよう。
気がつけば、伊織はハルのことばかり考えるようになった。それをおかしいと自覚しなくなった。伊織の中でも確実に何かが変わっていったのだ。
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