第11話「デート?」



「お待たせしました。エスプレッソのトールです」

「ありがとうございます」


 僕達のテーブルの上に、コーヒーが注がれたカップが置かれる。焦げ茶色の水面に、所々アンティークなライトの光が反射している。呼吸する一つの生き物のような小さな湯気が、うっすらと見える。


 僕とハルさんは、七海商店街の中で唯一の喫茶店へとやって来た。ここは隠れ家的なお店として有名だが、中の席は半分以上客で埋まっている。これって、隠れ家的なお店って言えないんじゃあ……。


「いただきまーす」

「砂糖とかミルクは入れないの?」 

「僕はブラックで飲む派なんだ」

「へぇ~、なんか男らしいね」


 来ました。「男らしい」……その言葉を待ってたんだ。僕は優雅にカップを手に取り、口元へ持っていく。そう、男はカッコよくあらねばならない。ハルさんに男の余裕を見せつけるんだ。


「んぐっ……」

「どうしたの?」

「な、何でもない……美味しいよ」


 僕は顔中の筋肉を強ばらせながら震え声で答える。嘘が見え見えだ。本当は男の余裕なんて微塵もない。気づかれないように口の中で舌をねじらせ、苦味成分を必死に喉の奥へ逃がす。

 僕はよくこじゃれたカフェにコーヒーを飲みに来るけど、本当は砂糖やミルクを入れないとまともに飲めない。初めて開拓するお店に関しては、事前にグルメサイトの口コミを見て、砂糖やミルクが提供されることを確認してから入店する。


 でも、頭の片隅に女性の前で甘ったるいコーヒーを飲んでいると、男らしくなくてカッコ悪いという知識がある。なので、見栄を張ってブラックコーヒーを注文して。これでは逆に情けないぞ、僕。


「………」


 僕は再び手元のメニュー表を眺める。何か甘いケーキでも追加で注文してしまおうか。でも、ハルさんの前で甘いもの頼むのって、何だか恥ずかしいなぁ……。ブラックコーヒー飲めないのがバレてしまいそうだ。いや、もうバレてるかもしれないけど。


 メニュー表を度々ずらして、ハルさんの顔をチラチラと確認する。バレては……ない?




 ポン


「?」


 何かがコーヒーに入る音がした。飛んでた虫でも入ったかな。僕は再びコーヒーカップに目を戻す。目を凝らしてよく見ると、底に角砂糖が沈んでいる。どのテーブルにも設置されている、可愛い容器に入った角砂糖だ。


 ……あれ?


「ハルさん、入れてないよね?」

「え? うん……」


 先程からハルさんのことは見ていた。しかし、角砂糖の入った容器に手を伸ばした様子は見られなかった。彼女はずっと手をテーブルの下の膝の上に置いていた。どうなってるんだろう……。まぁいいや。僕はカップの横に置いてあるスプーンを手に取る。




 ん!?


「あれ? なんでスプーンが……」


 あまりに自然に置いてあって、おかしい事実に一瞬気づくのが遅れてしまった。先程までカップの横に、スプーンなんて置いていなかったはずだ。店員さんはコーヒーの入ったカップだけしか持ってこなかった。

 一応角砂糖の容器の隣に、スプーンの入った容器がある。しかし、そこから自分で取ったわけではない。もちろんハルさんが取って置いてくれたわけでもない。


「どうしたの? 混ぜないの?」

「あ、うん……」


 僕はスプーンを回して角砂糖を溶かす。そうだ、こんな細かいことを気にしていてどうするんだ。十分溶かし終え、僕は再びコーヒーを口にする。ようやく僕が安心して飲める糖度になった。


「美味しい?」

「うん、美味しいよ」

「よかった♪」


 ハルさんが僕に微笑みかける。コーヒーがすごく甘く感じるのは、なんだか砂糖を入れたからではないような気がした。ミルクまで入れたら、くどく感じてしまいそうだ。彼女と過ごすこの二人きりの時間を。






「お会計1550円になります」


 驚いた。ハルさんはあの後ジャンボフルーツパフェを注文し、それを15分足らずで完食した。あのパフェを見つけたから、このお店を気に入ったという。横目でハルさんのお腹を見る。こんな細い体で、よく入るよ。


 とにかく、僕達は会計を済ませる。


「あっ、ハルさん。僕がお金出すよ」

「え? 悪いよ、私が誘ったのに」

「いいよ、ここは僕に払わせて」


 僕はハルさんの分も払うと名乗り出た。女の子に財布を握らせてはいけない。これもどこかで拾った情報だ。どこかは忘れたけど、とにかくここは潔く男が払うのが常識というものだ。今度こそ男らしさを見せつけてやる。


「ありがとう……」

「うん」


 僕は財布の中から、クレジット機能の付いたキャッシュカードを取り出す。ちゃんとしたクレジットカードを持つ勇気は、僕にはない。あんな自己破産を招くような恐ろしい悪魔の産物を使い、若いうちに身を滅ぼすわけにはいかない。


 ……ごめん。公民の授業でクレジットカードの説明聞いた時から、僕の中ですごく恐ろしい物っていうイメージが付いちゃったんだ。うまく使いこなせば便利な物だよ。




 スルッ


「あっ」


 僕は手を滑らせ、カードを床に落としてしまった。カードは番号が刻まれた面を上にして、床に落ちる。


「すみません……」

「いえ」


 店員さんに謝り、僕はカードに手を伸ばす。……あれ? 掴めないなぁ。カードが平べったくて、上手く掴めない。こんな時に手汗が染み出てきて、掴んでもすぐに落としてしまう。

 まずい、後ろにお会計を待っている他のお客さんがいる。背中に鋭い視線が注がれているのが、後ろ向きでも分かる。本当にごめんなさい。早く拾わなきゃ。でも、いつまでも手が滑って、カードが掴めない……。




 ヒュッ


「わぁっ!」


 僕は目を疑った。カードが急にひとりでに浮かび上がった。まるで糸で吊り上げられたように。でも、実際糸なんか結ばれてはいない。僕のような人間に手品なんか披露できない。本当にカードが空中に浮いて静止いるんだ。

 僕はすぐにそれをキャッチし、店員さんに手渡す。驚いている場合じゃない。早くお会計を済ませなくちゃ。


 ピピッ

 カードを受け取った店員さんが、スピーディーにお会計を済ませ、カードとレシートを僕に手渡す。


「こちらお控えになります」

「ありがとうございました~!」


 僕とハルさんは、そそくさと喫茶店を出ていった。先程から僕の目の前で起きている、数々の不思議な現象に対する不信感は置き忘れないように。一体何がどうなっているんだ……。


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