ねがいごと
さんだる
ねがいごと
かつて私には名前があった。
それはとても可愛らしくてお気に入りのものだった。
しかし、もうその名を呼ばれることはない。
おそらく覚えている人もいないだろう。
名とは誰かに呼ばれるためにあるものだ。ゆえに、呼ばれない名など無いに等しい。
かつて私には仕事があった。
仕事を終えるとみんなが喜んでくれることに私は大きなやりがいを感じていた。
私が仕事をするとみんなも私のために色んなことをしてくれる。そんなお互いを支え合っているような関係がうれしかった。
しかし、みんなはある時から私の仕事の成果を一方的に求めるようになった。
それでも続けていればいつかまた元の関係に戻れる。
そう信じて私は仕事を続けたが、いつまで経ってもみんなは私を支えてはくれないし、感謝をされることもなくなった。
それどころか要求は大きくなるばかりだ。
それに嫌気が差した私は仕事をしなくなり、私から何も得られないと知ったみんなは私のことを忘れていった。
みんなにとって私の価値などその程度だったということだろう。
一緒に歌や踊りを楽しみ、喜びを分かち合った人に忘れられたというのに、悲しいという気持ちさえ湧いてくることはなかった。
それほどまでに私は人に対して興味を失っていたのだ。
人との関わりを絶ってからの日々は心を刺激されるようなことはないものの、とても穏やかで心地よい時間だった。
しかし、そのような時間も終わりを迎える。
この場所に人がやってきたのだ。
そして彼らは頼んでもいないのに私に名前を付け、ここに居座るようになった。
その名はとてもお堅いもので、控えめに言ってもかわいさの欠片もない。
「そんなもの私の名前じゃない!」
声を大にして叫ぶも、その声は届かない。
いったいどれほど私を
彼らは私に付けた名を使い、私を都合の良い存在として扱うようになったのだ。
そしてその結果、私の元には多くの人が訪れるようになった。
それからの日々は酷いものだった。
人が来るのは特定の日に集中している。その日以外で来るとしたらその人が困ったときくらいだろう。
そして私の元に訪れた人はみんな手を合わせ私に願う。
その代償に私にしてくれるのは金銭を差し出すことだけだ。
私のことなど普段は頭の片隅にすら置いていないのに、頼りたくなったらお金で解決しようとする。浅はかなことこの上ない。
そんな人たちのために仕事をしようなどと思うわけもなく、私はただそこにいるだけの存在であり続けた。
それから時が経ち、今日がその日だ。
早朝から多くの人が私を訪ねてきている。
そして彼らはみんな私のものではない名前で私を呼び、私に願う。
「私の名前も知らないくせに……」
そんな彼らの様子に悪態をつく。だがそれは誰にも聞こえることはない。
別にその名で呼ばれていることに憤りを感じているわけではない。今さら彼らに自分の名を呼ばれたいなどとは思わないし、呼ばれたところで手を貸すことはないだろう。
ただ、彼らには愚痴の一つや二つ言わないと私の気がすまないのだ。
『お金持ちになれますように』
一人の願いが聞こえる。
よく聞くものの一つだ。
本当に下らない……
これを願うほとんどの人は生きていくことはできているのに、ただ楽がしたいがために願うのだ。
他の願いもそうだ。
彼らは自分の欲望を満たすためだけに私を利用しようとする。
『あの人と結婚できますように』
その人なら別の人と結婚したいって言ってたよ。
『受験に受かりますように』
勉強すれば?
『長生きできますように』
『仕事が上手くいきますように』
『サッカー選手になれますように』
『新しいゲームが欲しい』
『楽して生きたい』
『…………』
『……』
「うるさい!」
私はその場を離れた。
あの場所は他の誰のものでもない私の居場所だ。なんで私が移動しないといけないんだ。
毎年あの場所には勝手に人が集まり、好き勝手な願いで騒がれる。
本当にうんざりする。
しばらく移動すると端の方に人が少ない場所を見つけそこに腰を下ろす。
ここなら静かで落ち着くことができそうだ。
そこから今来た方向を見るとそこら中が人で溢れかえっていた。
人々は皆笑みを浮かべ、まるでお祭りのような様相を呈しているこの場を楽しんでいるようだ。
私が居た場所の近くでは何の効果もない紙のくじに一喜一憂している様子も窺える。
そんな人々を見て、この場所には私の居場所はないようにさえ感じてしまう。
昔は良かったなぁ。
今思えば彼らは必死だったのだろう。
私が叶えてきた願いは全て叶える必要があるものだった。そうしなければ彼らは生きていけないほどに。だからこそ彼らは私にも尽くしてくれたのだ。
ああ……そういうことか。
発展していくにつれ彼らの生活において私の力は無くてはならないものではなくなり、私に尽くす必要が無くなったのだ。
そして、私が願いを叶えなくなれば当然のように私がいない社会を構築できた。
そうなればもう私のことなど気にかける必要はないし、忘れ去られてしまうだろう。
「はは……とっくの昔に私の居場所なんてものはなくなっていたんだ」
この私の家とも言える場所さえも……
それに気づいた私はゆっくりと立ち上がる。
そして足を出口へ向けて動かし始めた。
『……たすけてくださいっ!』
鳥居を前にして聞こえた声に足を止める。
辺りを見渡すとこの場所で一番の大木の下で小さな男の子が一生懸命祈っているのを見つけた。
近くにいるのは父親だろうか。その子を不安そうに見つめている。
『おかあさんをたすけてくださいっ! おかあさんのびょうきをなおしてくださいっ!』
どうやらその子の母親が病気で苦しんでいるらしい。おそらく命に関わるものなのだろう。
そばにいる男性も顔がかなりやつれている。
「……ごめんね」
ここはもう私の場所ではない。それに私は人の願いを叶えることをやめたのだ。
私はその少年を尻目に足を進める。
この鳥居をくぐればこの場所とはお別れだ。
今までここを出たことはなかったが、外には想像もできないほどの人がいるのだろう。そんな中で人がいない場所を見つけることができるのだろうか。
そんな不安からずっと昔から私がいた場所を振り返る。
しかしその見慣れた景色はやけに遠くに感じた。まるで私に早く出てけと言っているように。
もう私を支えてくれるものはなにも無い。
全てを忘れてしまいたいほどに心が痛み、悲しみに押し潰されてしまいそうだ。
ふと視界に先ほどの子供が映り込む。
飽きもせずに、いまだに居もしないものに願い続けているようだ。
「……」
これからすることはほんの気まぐれだ。気が触れたと言ってもいいだろう。
私がここで最後に行う仕事……いや、仕事ではないか。私には何も得るものはないのだから。
こうして
一つ一つの言葉に自分の加護を与え、それが光の玉を生む。
その玉は次第に大きくなっていき、詩が出来上がる頃には人と同じ大きさになった。
次に私はその玉の前で懐から取り出した鈴を鳴らし舞を踊り始める。舞に呼応するように光は輝きを強めていき、そして舞を終えると同時に光の玉は消えた。
しばらくして男性はかかってきた電話の出ると目を見開く。
そして慌てた様子で男の子に声をかけた。
それを聞いた男の子は頬を緩めて満面の笑みを浮かべ跳び跳ねて喜んでいる。
これで大丈夫だろう。
私は彼らに背を向け歩き出す。
『ありがとう』
男の子の思いが私の中に響く。
久しぶりに聞いた言葉。それはとても温かく、心地良いものだった。
その直後私の視界が霞んだ。
目を擦ってみると涙が溢れだしている。
「……なんで?」
悲しさなんてない。それなのに涙は止まってくれない。
さっきのことだってやけくそになってやったことだ。結果なんて求めていなかったし、何も得てはいない。
あったのただの一言。
あの言葉……
そっか……私は……
誰にも届くことはない大きな声で泣き叫ぶ。
まるで長い時間溜め込んでいたものが消えていくような気がする。
そのまま私は気持ちのすむまで泣き続けた。
しばらくして涙が止まり、目を開く。
そうすると、先ほどまではくすんでいた景色が鮮やかに彩られているように見えた。
この場所への未練もこれからのことへの不安ももう無い。
背を伸ばし、ゆっくりと歩み始める。
ここを出たら人のように生きてみるのも面白いかもしれない。
そんなことを考えながら、私は人の世に足を踏み出した。
ねがいごと さんだる @sandal3
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