第68話


 湊との昼食の約束……これは私にとって中々に勇気が必要だった。

 私服に着替えた私は、リビングにて精神を落ち着かせていた。

 ……大丈夫。大丈夫だから。


 私は自分にそうひたすら言い聞かせ、今日のデートの流れを改めて脳内で確認していた。


 目的は一緒に食事をすること。そのあとに買い物をして帰る。

 これだけだ。

 ただ、私としてはこれだけで終わらせるつもりはな。多少、寄り道をして……それでできれば、湊との仲を深めたい!

 

 このまま、湊の隣に誰か別の女性が立つのを黙ってみていたくはなかった。

 だからこそ、私は少しずつ彼との仲を深めるために行動をとることにした。

 失敗したって、構わない。……気持ちはそのくらいのものを持っていた。


「それじゃあ行くか」

「はい、行きましょう」


 私は可能な限り、挑戦してみようと思う。

 ……いつかは、告白できるくらいにまで親しくなりたい。

 それが、今の私の考えだった。



 ○



 お昼ごはんは問題なく食べられた。その後、私が提案して、いくつかの店を歩いて回る。

 ……私が一番不安だったのは、ここだった。

 誘っても湊が嫌がるかもしれない。けど、湊は拒絶しなかった。

 湊と並んで外にでかけているのが、夢みたいだった。


 そんなこんなでしばらく歩くと、イベント会場についた。


「やっぱり人が多いですね」

「……そうだな。これが見たかったのか?」

「は、はい……一応それなりに有名な人みたいなので、顔くらいは見ようかと思ったんですが……」


 野次馬根性みたいなもの。

 何かあって、お金もかからないなら見てみたい。

 そんな軽い気持ちだったけど……ここはどうやらガチな人の集まりのようだ。


 応援のうちわだったり、衣装を身に着けたりした人たちばかりだった。

 ……な、生半可な気持ちで挑むべきではない。それがよく分かった。


「……ちょっと厳しそうだな」

「……そうですね。残念ですが、行きましょうか」


 小さく息を吐いてから、振り返ったとき、人にぶつかった。

 謝罪の言葉を口にしようとした次の瞬間には、さらに別の人に押しつぶされる。

 なに!?


 彼らを見ると、皆会場のほうに夢中になっていた。

 イベントが始まったのか、一気に騒がしくなる。

 い、痛い!? 今誰かに足踏まれた!


 ここは通路でもあり、イベントを見に来た人と通行人によって人が溢れていた。

 そのせいで、まったく身動きが取れない!

 困り果て、腕をどうにか動かしたときだった。


 私の手を、温かな感触が包んだ。

 視線を向けると、切羽詰まったような顔の湊がいた。

 彼は他の人を押しのけるようにして、私の手を掴み、抱きかかえるようにして、人々の群れから脱出した。


 私と湊は軽く息を吐きながら、盛り上がる人々を見た。

 私はちらとそちらを見ながらも、先ほどの湊の必死そうな顔が忘れられなかった。

 ……私のことを考えて、彼は無理やりにでも行動してくれたのだろう。あの顔とその行動が、私の心をドキドキと高鳴らせていた。


「……すげぇな」

「……凄いですね」


 完全に私たちが気楽に入り込んで良い場所ではなかった。

 すでに熱の入ったファンたちによって、そこは人の壁となっていたからだ。


「……さすがに、これじゃあみえそうにないし、店行って食材買って帰るか?」

「そうですね」


 こくりと頷いてから、私は気づいた。

 み、湊と私、まだ手を繋いでいる!?

 湊もそれに気づいたのか、一度手に視線を向けてから、離した。


「悪いな、さっき、助けるために……」

「し、知っていますから」


 私は視線を湊から外し、それからぎゅっと唇を噛んだ。

 ……頭の中に、鈴の言葉が浮かび、私は湊の手を握りしめた。

 ――悔いを残したくない。

 その一心で私が湊の手を握ると、彼は驚いたようにこちらを見てきた。


「な、夏希?」


 わ、私考えなしに行動してしまった!

 あれこれと思考が加速する。この状況にふさわしい言い訳を考えに考え抜き、口を開いた。


「さ、さっき……その怖くて……っ、だからあの!」


 怖いなんて気持ちはまったくなかった。

 彼と手を繋ぐ理由がほしいだけの嘘だ。

 ……けど、私は自分の気持ちを精一杯に湊に伝える。


「そ、その……さっきのでちょっと……不安、だったので、もう少し……手を繋いでくれませんか?」


 私は恥ずかしくて頬が熱くなった。いつものポーカーフェイスを浮かべる余裕なんてなかった。


「あー、そ、そうか。それなら、分かった」


 それなら、という言葉に私は少し落ち込んだ。

 ……そういう理由がないと、やっぱり私と手を繋いではくれないのかな。

 こうして共に手を繋いで歩いているのに、遠い。


 けど、前よりか少しだけ……本当に少しだけ、距離を縮められた気がした。











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他作品

HP2のタンク ~最弱のハズレ職業【暗黒騎士】など不要と、追放された俺はタイムリープによって得た知識で無双する~

https://kakuyomu.jp/works/16816927862967132429

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俺(私)のことが大嫌いな幼馴染と一緒に暮らすことになった件 木嶋隆太 @nakajinn

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