第5話

「カメラでも付いてるのか?」


僕はゲーム機を隅々まで見たが、カメラらしきものは見当たらなかった。

「くそっ!」

イラついてきた。僕は喜怒哀楽がはっきりしているほうではない。でも今は違う。得体の知れない何かにバカにされているような気がしてならない。苛立ちが収まるまで、しばらく椅子に座って、じっと画面を睨みつけた。画面は平然とした態度で、何も変化しない。画面には、相変わらずこう表示されている。


<お帰りなさい。ユーザー名:アキラ>


この無機質な態度が妙に癇に障る。

「俺が来たのがわかるんだったら、怒っていることもわかれよ!中途半端な機械だな」


我ながら無茶苦茶な発言だ。僕は、冷静さを欠いた自分の言葉を聞いて、少しだけ我に帰った。


ふと、画面上に前回はなかったはずのボタンを見つけた。ボタンには<履歴>と書かれている。前回の対戦結果が書いてあるのだろうか。僕はこのボタンをタッチした。


<  対戦相手:「カツラギ」

   対戦時間:17分

   対戦相手のレベル:7

   取得アクタス:200  >


前回の対戦結果だ。17分も対戦していたことに驚き、対戦相手にレベルがあることも初めて知った。自分のレベルはいくつなのだろうか。対戦相手の「カツラギ」という名前を見ると、この人も現実世界からこの世界に迷い込んだ人なのかなぁ、と少しだけ親近感を感じてしまった。親近感を感じた原因は、数少ない僕の好きな先生の名前と同じだからかもしれない…


ひどくシンプルな履歴画面を眺めていると、画面の中央にコメントが出てきた。


<ユーザー名:アキラ 今ならリアル対戦が可能です。挑戦しますか。>


僕は迷った。


これ以上この世界に足を突っ込むことには抵抗がある。何しろ、この世界が何なのか、どうやったらこの世界に来ることができて、どうやったら現実世界に戻ることができるのか、全くわからない。アクタスなる仮想通貨もよく分からない。日本円とのレートがあるようだが、どこでどうやったら日本円に交換できるのかわからない。そもそも価値があるのかどうかもわからない。ただ単に残高として数字が記載されているだけで、おもちゃのお金みたいなものである可能性もある。得体が知れないにも程がある…こんな怪しい世界とは関わりを断ちたい。僕は、学校が嫌いなごくありふれた現実世界の高校生なのだから…


でも、僕はこの怪しい世界に既に2回も来てしまっている。自らの意思で。そして、何より、現実世界に戻ったところで、スマホの中に黒い鳥居のウォレットアイコンが居座り続けており、アクタスなる謎の仮想通貨の残高が表示されている。そして、このウォレットアイコンは削除できない。もう今更どうにもならないのかもしれない。アクタスを200持っていようが、1万持っていようが大差ない。持っていること自体がもはや足を突っ込んでしまっている証拠なのだから。


僕はリアル対戦モードと書かれた赤いボタンを押してから、スタートボタンを押した。前回とは異なり、プレイヤーの選択画面も、名前を入力する画面もなく、代わりに僕が操作するプレイヤーの詳細画面が出てきた。初めて見る画面だ。


ユーザー名やさっき見た対戦履歴も書いてある。現在のレベルも書いてあり、僕はレベル8のようだ。8というレベルが高いのか低いのかよくわからない。唯一の比較対象は、前回の対戦相手の「カツラギ」だけだ。「カツラギ」は確か、レベル7だったので、それよりはレベルが高いようだ。この比較だけでは何とも言えない。


プレイヤーの姿は、前回選んだ対戦型ゲームにありがちな、いわゆるマッチョのファイターだ。黒い髪で何となく日本人っぽい風貌だ。黒い髪に黒いハチマキ、それから黒い空手着を着ている。空手着の左胸に小さな銀色のマークが入っているようだ。小さなマークだ…が、何か嫌な予感がした。しっかりとマークの形状を見たかったので、僕は少しゲーム機に顔を近づけた。


ドキッとした…胸のマークは僕がよく知っているマークだ。しかも毎日散々目にしている…僕のスマホに居座り続けているアイコンと同じだ。


「どうなってんだよ…」


僕の口から完全に水分が引いていくのを感じる。もう口がカラカラだ。僕はしばらく画面をじっと見つめた。完全に戦意喪失だ。対戦型ゲームをやっているような精神的余裕はない。こんなゲーム機は後にして、さっさと家に帰った方が良い。早く家に帰りたい…帰りたいのだが、この世界からどうやって現実世界に帰れば良いのかわからない。現実世界の神社の物置から、この世界に出てきた場所は覚えている。古い民家だ。でも、この世界に来た瞬間に、僕が通ってきた廊下がなくなってしまった。もはや仮想世界と現実世界を繋ぐ場所はなくなっているのだ。


最後の可能性に賭けるしかない。


僕は椅子からすくっと立ち上がり、ゆっくりとゲームセンターの出入口に向かった。前回この世界に来たときは、ゲームセンターから出てきたところで、強い光に包まれて、気がついたら現実世界の神社の鳥居の下にいた。今回も同じように帰れるに違いない…帰れるに違いないと自分に言い聞かせるしかない。正直、帰れるかどうかはわからない。でも、僕が帰れると信じないと、心が折れて、歩くことすらままならない。


僕は真っ直ぐに出入口に視線を向けて歩いた。祈るような気持ちで出入口に向かって歩いた。そして、そのまま外に出た。


「えっ?」


僕は振り返った。外に出れてしまった…光に包まれることもなく。小刻みに震える足元には立派な石畳が見える。まだ仮想世界の中にいる。僕は現実世界に帰ることができなかった。

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