第4話

僕はスマホを手に取った。

もちろん、黒い神社の鳥居が描かれているアイコンを削除するためだ。

この黒いアイコンを長押しして……


「あれっ…」


長押ししても何の表示も出てこない。通常であれば、<アプリを削除する>という表示が出て、そこをタップすれば削除、となるはずなのだが。もう1度同じことをしてみる……今度は電源を1回切ってから再起動させて、再び。ダメだ。もう1度……


「ダメだ……」


僕が想像していた中で最悪のケースだ。こうなるのが怖かった。だから、これまでアイコンの削除を試さなかったのだと思う。アイコンを削除することで、あの仮想世界と縁を切ることが僕の最終手段だったのに。




相変わらず授業がつまらない。僕はグラウンドと、黒板の前で何かを話している先生の顔を一定の間隔で交互に眺めながら、長い授業に耐えている。唯一恵まれているのは、僕の席は教室の1番グラウンド側の席で、しかも後ろから2番目ということだろうか。かなりの特等席だ。ちなみに、葛木先生はまだ学校に来ていない。


気づけばこの1週間、あの仮想世界のことも仮想通貨のことも考えていない。全く考えていないといえば語弊があるか…なにせ、スマホを見るたびに、あの黒く目立つ鳥居のアイコンがあるのだから。ものすごく邪魔だ。このアイコンを見るたびに不安な気持ちになる。でも、削除できないのだから、どうしようもない。慣れるしかないのかもしれない。削除できないアイコンに慣れつつ、このアイコンの中に入っている仮想通貨のことや、このアイコンが生まれた世界のことを忘れる。なかなか難易度が高い。どのように自己暗示をかければ良いのか、皆目見当がつかない。


この1週間はゲームセンター通いもやめている。だから、学校が終わると真っ直ぐに家に帰る毎日だった。少なくとも今日までは。


いつものように学校の自転車置き場から川沿いを走って家路につく。左手にあの神社が見える。相変わらず小さく見える神社だ。鳥居をくぐると大きいのに。


神社を横目にノロノロと自転車を運転していると、妙に神社が気になってくる。自分でも何故だかよく分からない。最近は意識的に仮想世界のことを考えるのをやめていた。無理やり考えることを抑圧していた反動が、心の底かからゆっくりと沸いてきているようだ。僕は自転車の方向を変え、橋を渡り、ゆっくりと神社の前に自転車を止めた。


僕は鳥居をくぐり、広い境内を見渡した。そして、躊躇なく物置に向かって歩いた。毎度のことだが、この神社には人がいない。今日も例外なく、誰もいない。真っ直ぐに物置へと進み、物置の扉に手をかけた。


「あっ…」


扉に手が触れた瞬間、前とは違う何かを感じた。僕は、そのまま最小限の力で、扉を右へスライドさせた。


一気に緊張がピークに達した。あの時と同じだ…


物置の中に長い廊下がある。物置の奥行きからして現実にはあり得ない。そして、廊下のずっと先に不安定な光が見える。


僕は、この時を待っていたのかもしれない。不本意ながら込み上げてくる興奮を押し殺しながら、僕はゆっくりと前に進んだ。2度目なので、この先がどうなっているかは分かっている。僕は光の方向を目指して、物置の中の真っ暗で長い廊下をしばらく歩き続けた。2分くらい歩いただろうか、光の出所がくっきり見えた。前方に古いアンティークのドアがあり、僕の目線に小さな窓がある。僕はドアの取っ手に手をあて、勢いよくドアを押し、ドアの向こう側へ再び踏み出した。


もう1度来てしまった…僕は固唾を飲み込んだ。


僕の目の前には、見覚えのある石畳の街が広がっている。


僕は、今自分がいる場所、つまり、神社の物置から繋がっている場所を確認した。以前来た時は、それどころではなく、自分がどこから来たのかすら記憶にとどめておく余裕がなかった。でも今回は違う。


僕が今いる場所は、小さな木造の民家の扉の前だ。かなり古い。僕は、今さっき、自分で開けた扉をもう1度開けた。仮想世界側から扉を開けてみた。長い廊下があり、神社の物置に繋がっているはず…


「ない…」


出てきたばかりの扉を外側から開けて中を見ると、長い廊下はどこにも存在していない…玄関があり、廊下はすぐに突き当たりにぶつかる。廊下の左側には急な階段があり2階に通じているようだ。


「はぁぁ…」


早くも現実世界に戻る道筋を失ってしまった。全身の力が抜けた。僕は途方にくれながら、この石畳の街を見渡した。何が何だか分からない。


僕が出てきた古民家は例外的なようで、大半はお店のようだ。あてもなく、この石畳の街を歩く。そもそも、こんな世界にあてがあるはずもなく、どこに何があるのか、自分が何をすれば良いのか、皆目見当がつかない。しばらく街を徘徊していると、ゲームセンターと書いている看板が目に入った。あの時行ったゲームセンターだ。僕はゲームセンターに入り、入口近くのベンチに座った。これ以上、何もしたくないし、何も考えたくなかった。


しばらくベンチに座って、人の動きを眺めていた。人というよりも動く物体を眺めていた、といいった方が正確だろうか。ふと、1人の男性の動きに目が止まった。僕と同じくらいの年齢だろうか、1人でゲームをしたり、ゲームセンターの従業員と笑いながら話していたりと、常連みたいな振る舞いだ。少しして、僕の視界から彼の姿が消えたので、またしばらくの間、無心で物体の動きを眺めた。すると、突然声を掛けられた。

「隣座っていい?」

横を見ると、さっき僕がその動きを追っていた彼だ。

「あっ、はい。」

僕は視線を逸らしながら答えた。彼は横に座り、缶のオレンジジュースの蓋を開けて飲み出した。ひととおり、喉の乾きがおさまったのか、彼は再び声を掛けてきた。

「あそこにある、対戦型ゲームってやったことある?」

彼が指差す方を見ると、僕がアクタスをもらったゲーム機の方向だ。

「あの、お金がもらえるゲームのことですか?」

「そう、お金というか、アクタスっていうやつね。まぁ仮想通貨みたいなやつ」

「はい、1度だけ」

僕は小さな声で答えた。

「で、勝ったの?」

彼は人懐っこい笑顔で僕の顔を覗き込みながら聞いてきた。

「あ、一応…はい」

「そっか、やるね。ってことは今も持っているんだよね、アクタスを」

彼は再び僕の顔を覗き込んだ。僕は、無言で制服のズボンのポケットからスマホを取り出して、頷いた。

「よろしくね。僕はタツヤ」

「あっ、はい。僕はアキラと言います。」

ためらいながら、僕も名乗った。このタツヤなる男性が何者なのか全くわからないが、反射的に名乗ってしまった。タツヤが右手を差し出してきたので、僕も右手を差し出して、握手をした。何だろう、この展開は…よくわからないが、なんとなく流れに身を任せた。流れに抗うほど、僕には考える余裕がなかった。


10分くらい話しただろうか。色んな話をしたのだが、核心に触れるような話題には一切ならなかったし、僕も聞かなかった。タツヤも現実世界から迷い込んできたのか? どうやったらここから現実世界に戻れるのか? あのゲームは何なのか? アクタスとは何なのか? わからないことだらけなのだが、大事なことをあえて避けるかのような会話だった。ひとしきり話をして、タツヤが立ち上がった。

「じゃあ、俺帰るよ。また会おうよ。アキラ君」

「えっ?」

僕は面食らった。また会おうよ、ってどうやって会ったらいいのだろう。ここに来る方法も、帰る方法もわからないのに…

「あっ、うん…じゃあね」

この言葉しか出てこなかった。タツヤは現実世界のゲームセンターから帰るように、自然な足取りでゲームセンターを後にした。彼はこれからどこに行くのだろうか?


疑問ばかりが膨らみ、気持ちが悪いのだが、この仮想世界で初めて人と話すことができたので、少しだけホッとした。ただ、そもそも彼が人なのかどうかすら確信がもてない状況ではあるが…


タツヤが帰ったあと、僕も立ち上がった。あのゲーム機に向かうためだ。タツヤが指差した方向だ。僕はゲーム機を見つけると、そのままゲーム機の前の低い椅子に座った。椅子に座ってゆっくりとゲーム機に視線を合わせた。前と同じゲーム機だ。と思った瞬間、ゲーム機の画面が変わった。


<お帰りなさい。ユーザー名:アキラ>


「はっ?何なんだよ…このゲーム」

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