第28話風とタオル
私はずっと待っている。
左手にタオルを持って、この道の向こうから駆けてくるあなたのことを待っている。
その姿は山の傾斜を跳ねる鹿のようで、あるいは風のように軽やかだった。
「ハァ、ハァ……!」
あなたが視界を横切った瞬間、私は右手に持っていたストップウォッチを止めた。
タイムは悪くない。
しかし、自己ベストには至らず、あなたは膝に手を突いたまま眉を顰める。
肩で息をしながら思いっきり空を見上げたかと思うと、「クッソ……ッ!」とその場に崩れ落ちた。
陸上の大会は近い。
焦りのようなものが、ひしひしと伝わってくる。
「…………」
私は何も言わずタオルを差し出した。
しかしあなたは受け取ろうとはしない。
木枯らしが吹く季節にも拘わらず、その顎からは汗が滴り落ちている。
無言のままコンクリートの道に、視線を落として口を噤んでいた。
私はその姿を見た途端、反射的に差し出した左手を引っ込めてしまった。
――それから数日後。
あなたは足を怪我していることがわかった。
これが原因で、大会のメンバーから外れることになってしまった。
帰りの駅で二人きり。
あなたはわたしの隣で涙を堪えていた。
「…………」
私はタオルを差し出す。
けれどこれも受け取ってはくれない。
「泣いてねぇから」とか言ってるけど、歯を食いしばるあなたは生粋のランナーなのだろう。
「目から汗でてるよ」と言って、とりあえずタオルを渡しておいた。
今はゆっくり休めばいい。
これが終わりじゃないから。
また風になるその時まで、私はずっと待ってるよ――。
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