第136話 立場はあれども、私怨で動く者達

 突発的な事象を引き金とした情勢の変化もあり、遠征中の身である騎士国の面々が当惑していたかと言えば…… 実はそうでもない。


 福利厚生の名目で嗜好品を取り扱っている同盟領ゼファルスの野営地におもむき、ほくほく顔で天幕に戻ってきた金髪灼眼の魔導士も穏やかなひと時を楽しんでいた。


「ディノ君、美味しそうなドイツ菓子を買ってきたんだけどさ、一緒に食べる?」


「女狐殿が趣味で作らせている代物しろものか、レヴィアが褒めていたな」

「もうッ、相変わらず回りくどいわね。要るの? 要らないの?」


 菓子包を掲げて可愛らしく頬など膨らませるリーゼに迫られ、稀人まれびとの騎士王にすっかり餌付けされている赤毛の幼馴染みが脳裏に浮かぶも、善意を無碍むげにできない藍髪の騎士は素直に頷いた。


(常在戦場というか、戦時下の筈なのに緊張感を維持するのが難しい……)


 ぐいぐいと踏み込んでくる自由奔放じゆうほんぽうな少し年上の女性に振り回されて、理想像から乖離かいりしていく己に多少の疑問を抱き、ただでさえ不愛想な表情が曇りを帯びる。


 この遠征に際してもリグシア領と敵対していた頃のグラディウスを四騎、“滅びの刻楷きざはし” に属する二基の巨大ゴーレムと機械人形マキナも撃破したが、雪辱を晴らしたい相手の戦果には遠く及ばない。


 やや鬱々うつうつした様子でディノ・セルヴァスがおそろいの木製マグに香草茶を注いでいると、隣に座り込んだ相棒の魔導士がきめ細やかな肌の手を伸ばして、ぎゅっと鼻先を摘まんだ。


「ふぐッ!?」

「なんでいつもネガティブな方向に沈んでいくかなぁ」


 “手間の掛かる奴め” と呟き、抗議のため開かれた口に一切れの “ビーネンシュティッヒ” を突っ込んで封殺する。


 香ばしいアーモンドのフロランタンに覆われた表面を反射的に噛めば、パン生地に挟まれている濃厚なバタークリームが溢れて程良ほどよい甘みをもたらした。


「…… いきなりは止めろ、リゼ」

「ふふっ、そんな顔で言われてもね~♪」


 眉をしかめての訴えは軽く受け流されてしまい、不意討ち気味に豊満な身体を押し付けられた挙句、口元に付着していたクリームを舌で舐めとられる。


 それを平然とやってのけた艶麗えんれいな魔導士は “にんまり”と微笑み、未だ初々しくも動揺する藍髪の騎士を満足げに眺めた。


「なに照れてんのよ、色々といたしている仲じゃない♪」

「ぐッ、また誰かに聞かれたら、誤解されそうな事を……」


 因みに認識が浅いと騎士候のみで構成される小国リゼルの組織構造は “鍋の蓋” に見えるが、家柄と過去の功績によって序列が定められているので、名門たるセルヴァス家の跡取り息子は無駄に身持ちが堅い。


 おりに触れて御婦人の誘いで屋敷へ呼ばれ、些事さじこだわらない豪気な父親の性格まで知っていれば、自身でしがらみを作っている難儀な弟分にしか思えないのが悲しいところだ。


「何故、頭を撫ぜる? 若干の屈辱を感じるぞ」

「えっ、いや…… 何となく、ね」


 咄嗟とっさに誤魔化したリーゼといぶかしむディノの関係が大きく進展するのはもう少し先の話であり、幾ばくかの時間が必要なのだろう。


 ゆるりとした雰囲気の中で騎士国の者達が羽根を休めている間にも、舞台裏では各陣営の思惑が絡み合い、ある種の妥協点に収束していく。



 その発端になったリグシア侯爵の嫡男セドリックは魔道具の首輪をめられ、視覚と聴覚を奪われた状態で天然の洞窟にとらわれていた。


 彼は覚束おぼつかない手つきで地面を探り、掴んだ粗悪なパンの砂を払うと生き延びるため、躊躇ためらわずに齧り付いて咀嚼そしゃくする。


「ッ… ぅ……うぅ」


「がっつくと、喉に詰まるぞ… って、聞こえないか」

此方こちらの素性を隠すのに異論は無いが、お嬢様も徹底しているな」


 見張り役の一人が雑談を交わしながら、置いてあった革水筒を蹴って近くまで寄せてやると、哀れな虜囚は拾い上げて中身の水をあおった。


 いささ不憫ふびんな姿であれども、過日の惨劇に巻き込まれて多くの仲間を失い、大恩あるアルダベルト老の亡骸なきがらすら途中で魔獣に喰われ、家族の下へ持ち帰ることができなかった護衛隊の敗残兵達は揺らがない。


 異形の侵攻を看過したハイゼル卿の血族がとがめもなく爵位継承を済ませるなど許せず、老翁に溺愛されていた孫娘の画策で表向きは軍籍から離れた捨て駒となり、領主代行の黙認も得て襲撃事件を起こした彼らの覚悟は既に決まっている。


 ゆえに相応の忍耐が求められる監視任務もたゆまずにやり遂げ、次の班と交代する形で貴族専用の狩場に建つ別荘に引き返して、未施錠の扉を潜った先にある玄関室ロビーへ入った。


「夜間の当番、お疲れ様」

「館のメイド達が御茶を出してくれるみたいだぞ」


「身体の芯が冷えているから、それは有難い」

「まぁ、部隊長への連絡が先だけどな」


 室内に詰めていた同輩達のねぎらいに応えてから少しの間、都市ライフツィヒより帰還していた斥候兵の報告が終わるのを待ってから、所定事項の伝達を班長が行う。


 特段に何かあった訳でもなく、冬眠前に餌を求めて徘徊している熊を見かけた程度なので、単独行動は控えた方が良いと具申ぐしんすれば他に言うべき事が無くなり、静かに聞いていた寡黙な将校は話を切り上げて二階奥の部屋へ向かった。

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