宇宙開発競争

世界初の大気圏外に人工物を飛ばしたのはドイツである。

カーマンラインを超えV2ロケットを発射した。

戦後、戦中に日米英3カ国共同開発の原子爆弾がニュルンベルクに投下され核兵器開発の分野で遅れを取っていたドイツは1952年原子爆弾を実用化、同年、新型ロケットRS1型を開発した。

翌年、ソ連がRS1を用いて大気圏外へと写真などが入れられたカプセルを打ち上げた。

更には1956年、ドイツはRS4型ロケットで初の人工衛星を衛星軌道上に載せると言う快挙を達成、現在でもその日は枢軸陣営各国で祝日となっている。

ドイツが宇宙開発の分野で成果を上げ続けているのに対し全く上げていない連合国側は1957年3月、白夜型ロケットを開発、同年8月人工衛星を衛星軌道上に載せた。

翌年5月にはアメリカがヴァンガード計画を実行するものの失敗。

翌年、ドイツはRS6型で初の有人飛行を達成、最初の宇宙飛行士はソ連人のユーリ・ガガーリンとドイツ空軍の大尉アルフレート・フォン・エリサートである。

日本の宇宙開発は陸軍ラインと海軍ラインに別れたものの本拠地をフィリピンに置く日本航空宇宙開発機構を設置、オール・ジャパンの組織を設置し1960年6月7日、日本が有人飛行を達成、初の飛行士は初瀬則友陸軍航空兵大佐である。

更には1961年5月9日、寒夜型ロケットにて人類初の月の衛星軌道上に人工衛星を載せ、月の表面を解析した。

1962年、ドイツはRS16型ロケット2機によるドッキング実験に成功。

同年、日英共同開発の按針型ロケットによる初の月面着陸に成功。

対抗に失敗したドイツは5年後7名の宇宙空間での活動を目的とした宇宙ステーションを完成させ世界を震撼させる。

翌年日本と英国、米国はそれぞれ小規模の宇宙ステーションを打ち上げそれらを宇宙空間でドッキング、国際宇宙ステーションを建造した。

その後宇宙開発競争は頭打ちとなったが1999年から2004年にかけて日本は47個のロケットを打ち上げ100名規模の宇宙飛行士の活動を目的とした超大規模宇宙ステーションを完成させた。その翌年、アメリカが1年間で6個のロケット打ち上げを決行し日本の宇宙ステーション、コールサインAlpha名称ISSにドッキング、新たに47名の居住スペースを拡張した。

現在大日本帝国は23個の通信衛星と10個の偵察衛星を大日本帝国航空宇宙軍が運用中であり、アメリカ合衆国航空軍と共同でGPS用の衛星を運用中である。

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