第31話 思わぬ再会

 何事! と叫びながら施設長のグレンが血相を変えて作業室に入ってきた。


「……」


 扉が吹き飛び、机や椅子、器材などが散乱し、惨憺たる状況の作業室内を見てグレンは固まる。

 廊下にはベルゼスとアイラスが倒れているが、グレンはこの惨状を見て、先ずは私に視線を向けた。


 ──ちょっと待とう。それって私が犯人だとでも言いたそうな顔ですよね?


 なんてことをしてくれたんだ、と聞こえてきそうな顰め顔だ。

 まあ、直接は手を下していないが、私がこの惨状を引き起こしたことに間違いはない。けれども元凶は私ではない。それに私ならもっとうまく魔法でこの場を収めます。こんな無意味な破壊などせずとも済むように。


 ──僕じゃありませんよ。ほらそこに倒れているお貴族様が元凶ですよ。


 私は無言でジェスチャーを交えて冤罪を主張する。

 作業室奥の壁際には、白目を剥いて気を失っているヴェルゼルディが倒れている。その脇には心配そうなそぶりもない侍女が立っている。

 ご主人様が気を失っているのに、逆に少し嬉しそうな表情に見えるのは、見間違いではなさそうだ。


「こ、これは……」


 倒れている人物を目にしたグレンは息を飲む。


「施設長。これには──」


 すると、子供達の傍にいたブルジンが、グレンに説明を始めた。

 ブルジンは簡潔に事の顛末を伝えると、グレンは困り果てた表情でまた私を見る。

 やっぱりお前が問題の中核じゃないか、みたいな呆れ顔だ。だが断じて私が問題の中核ではない。私としては、施設の内情を密告したやる気のない男ベルゼスに責任があるのでは? と考える。

 私が魔法を使える、とどこから情報が漏れ出たのかは分からないが、私達の5班以外、グレンを始め、ここの指導員に魔法を見せたことなど一度もないのだ。グレンには言葉では魔法を覚えているとは伝えているが、実際に見せたこともない。

 そんな不確定な情報でベルゼスは貴族を動かしてしまったのだ。


 気持ちは分からなくもない。平民が貴族に恩を売ることで自分の地位をより盤石にしたいと考えるのは、いつの時代でもありうることだ。平民が虐げられる世界で、少しでも重用され、貴族の庇護の元、他人よりも安全で裕福な生活を送りたい。そう考えるのも無理からぬところだろう。

 それでも一つ間違えば、己が身も危険に曝されるのが貴族という生き物だ。余程その者が貴族側に利益を供与する人物でない限り重用されることはない。これは前の世界でも同じだった。

 しかし貴族が平民に対してする都合のいい約束は、約束ではない。すぐに約束は反故にされるだろうし、その約束自体都合よく忘れてしまう。平民などいいように使われ、ポイと捨てられるのが落ちなのである。

 そもそも、ヴェルゼルディを見れば分る通り、彼等は私達を人間と見做していない。身分差という簡単な言葉では括れない壁があるのだ。


「はぁ……そうか……」


 ブルジンの説明を聞き終えたグレンは、ため息交じりに項垂れた。

 おおまかな成り行きは理解したようだが、理解したところでこの事態の収拾をどうつけるべきだろうか、と悩んでいるようだ。

 ただ悩んでも仕方がない。相手は貴族なのだ、悩むだけ無駄である。


「……とにかくお前たちはこの部屋を片付けろ。ブルジン、エメーラは倒れている奴を隣の部屋に寝かせる準備をしてくれ。そして44番、ちょっと来い」

「分かりました」


 グレンは困り果てた様子でそう言い、私はそれに素直に応じた。

 どちらにしても今後どうするのか、グレンと話し合う必要があるので、私も異存はない。

 子供達と指導員は、グレンの指示のもと動き出す。そして私もグレンの元に行こうと動き始めると、


「それと、君。君はヴェルゼルディ様のお付きの者、でいいのかな?」


 グレンはヴェルゼルディの脇に立っているメイド服姿の少女へと問いかけた。


「え、あ、はい……お、お久しぶりです、施設長……」

「ん? 久しぶり……?」


 肯定の後、突然少女が久しぶりだとグレンに告げた。

 グレンはその言葉に些か神妙な顔つきで問い返す。


「はい、わたしは、2年前ここにいた52番、です……」

「お、おお52番、君だったか」


 少女の返答に、グレンは驚きを隠せなかった。

 2年前この施設にいたという少女は静かに頷く。ヴェルゼルディに叩かれた頬はまだ赤い。


「そうか、2年も経つと変わるものだな。あのころの面影はあるが、まさか君だとは思わなかったよ。しかし無事に生きていたとは……本当に良かった……」


 グレンは懐かしさと同時に、彼女が生きていたことに喜びを隠せないようだった。

 この施設を出た子供達の大半は、数年もしない内に死んでしまう、と聞いていたので、彼女と元気そうな姿でまた会えたことを喜んでいるのだろう。

 そして私も先ほど彼女に感じたなんともいえない既視感を思い出す。誰かに似ている。そして彼女は私の名を呼んだ。


 面影がある、グレンのその言葉を聞いて私もハッとした。

 彼女は2年前にここにいたと言った。子供の2年は成長が早い。それを鑑みて私もその面影に思い当たるものがあった。

 二年前といえば、思い当たる人もいる。

 服装も立派なメイド服なので、その辺りも含め、彼女が誰なのか判断できなかったのかもしれない。


「……もしかして、マリー姉さん?」

「トーリ!」


 私が恐る恐る問いかけると、マリーはパッと表情を和らげ、私の名を呼んでハグをしてきた。


「大きくなったわねトーリ。お姉ちゃん全然分かんなかったわよ」

「うん、僕も分かんなかったよ。立派な服着て可愛くなってたからね」


 自分ではあの頃からそんなに変わった気がしないが、マリーは私がトーリだとは分からなかったようだ。確かにマリーが村を出た4歳の頃は、私はまだまだ赤子に毛の生えたようなものだったから仕方ないのかもしれない。

 私の記憶の中にあるマリーは、いつも襤褸の服を着て、顔に畑の土を付け、髪の毛には葉っぱがのっかっているイメージだ。

 成長もそうだが、身形が変わるだけでその人の印象は全く変わってしまうものである。

 優しくハグをしてくれ微笑みかけてくるマリー。あの頃6歳だったマリーは8歳になっている。それでも幼かった私の頬を突き、小さいながらも世話をしてくれていた時の優しい笑みは、今もあまり変わらなかった。


 しかし、この施設を出て貴族に召し上げられていたとは驚きだ。魔力を搾取される施設に行くものだとばかり思っていた。グレンもこのことは知らなかったようだ。

 普通の世界なら喜ぶべきことなのだろう。平民が貴族に召し上げられることは名誉なことでもあるし、それを目標にしている子供達もいたはずである。

 しかしこの世界はどこか歪んでいる。ヴェルゼルディを見る限り、貴族に仕える平民の処遇は、きっとそんなに良いものではないと予想できる。


「マリー姉さん。叩かれた頬大丈夫?」


 赤くなった頬は少し腫れていた。それでも私に向ける笑顔はとても優しい。


「うん、大丈夫よ……もう慣れたから……」


 マリーは少し陰りを見せながらも、大丈夫だと微笑んでくれた。

 慣れたから。その言葉を聞いて、やはり貴族の平民に対する扱いの悪さを如実に感じてしまう。

 不用意な発言しただけで頬を打たれるぐらいだ。何か粗相したら、きっと何らかの懲罰的なこともされるのだろう。

 身形は貴族に仕えるだけあり、昔よりも立派になっているが、おそらく扱いはここにいる子供達とそんなに変わらないのかもしれない。ただ、他の子供達と同じように他の施設に送られ、魔力を搾り取られ数年後には死んでいた、という最悪の結末を回避できているだけ、マリーは幸せなのだろうか。

 いや、どっちもどっちのような気がする。ただマリーとまた生きて出会えたこと、私はそれだけは嬉しく感じた。この世界での肉親なのだ。それだけは心から感謝する。

 それでも姉であるマリーが、ヴェルゼルディのような馬鹿げた貴族に虐げられている状態を知ってしまった私は、密かに怒りを覚えるのだった。


 やはりこの国を根本から変えねばならない。抜本的な改革をしなければ、人々が幸せに暮らせることはない。

 後にそう強く決意するのだが、今は着実に情報収集をし、どう改革してゆくか綿密な計画を練らなければならないのだ。


「久しぶりの姉弟の再会に水を差すようだが、今はそれどころではない。58番、ええと、マリーといったか。君はヴェルゼルディ様を見ていてくれ、そして44番、君は私についてくるんだ」

「はい」


 確かに今はそれどころではない。

 早急に今後の対策を施設長のグレンと話し合わなければならないのだ。できればこの元凶である3人が目覚める前に、グレンと話を擦り合わせておかねばならない。


「マリー姉さん。またね」

「うん、トーリも元気でね」


 マリーは私の頭を撫でながら、今度は寂し気に微笑んだ。

 本当は今すぐにでも助けてあげたいが、私もこの施設に軟禁されている身なのである。それも貴族が用意した施設なので、安全な場所とは言えない。しばらくは今と同じように過ごすのが無難だと判断したのだ。

 いずれ、近い内に必ず助け出す。私はそう心に決めた。



 後ろ髪を引かれる思いでグレンの後について行き、私は姉のマリーと別れたのだった。

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