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 上野一課長に促されて美夜と九条は彼らの対面に着席した。身体を舐め回すような大和の視線が相変わらず気持ち悪い。


『これが大和くんのカバンに入っていた。昨日の大学の授業中、教材に挟まっていたこれを見つけたらしい』


 上野に見せられたのは四つ折りになったコピー用紙。紙面には[次はお前の番だ]とデジタルな書体が印字してある。

“お前の番”が殺人の順番を示しているとすれば殺害予告とも捉えられる文面だ。


『私の事務所にも昨日同じ物が届いていた。これは私と息子に対する脅迫だ』


伊吹弁護士の事務所にも同じ材質、同じ筆記体の脅迫状が事務所のポストに投函されていたと言う。

こちらの文面は[次はお前の息子の番]とある。脅迫状を最初に発見したのは秘書の前畑だ。


『父さんも前ちゃんも心配性なんだよ。こんなの子どものイタズラ程度じゃん』

『大和くん、君の友人達が殺されているんだ。用心するに越したことはない』


 ソファーにだらしなく座って呑気にコーヒーをすする大和を前畑秘書が諭す。前畑は感情を一切表に出さない生真面目な印象の秘書だ。


伊吹弁護士はイタズラだと気にも留めなかったが、一連の殺人事件で大和の身を案じた前畑の助言により今回の警護依頼に踏み切った。


 大和は26日金曜日の午前の飛行機でハワイに旅立つ。警察の方針はひとまず今夜から26日の彼が飛行機に搭乗するまでの間、交代で大和の警護を行うことが決定した。


『ちょっと三泊四日、ハワイでのんびりしてくるよ。俺が帰ってくるまでに頭のイカれた犯人捕まえてくれよ』


友人二人と付き合いのあった小柴優奈が立て続けに殺された状況下で海外旅行とはいい気なものだ。


『大和くんの身辺の護衛には神田をつける』

『待ってください。どうして神田を? 身辺警護なら警護課の人間に任せるべきでは……』

『九条、落ち着け。民間人の警護に警護課の人員は割けない。それに神田の担当は大和くんからの指命だ』


 警視庁警備部警護課所属、俗に言うSPと呼ばれる捜査員の警護対象者は首相や皇族、海外の要人クラスの人間に限る。弁護士会副会長の息子であろうとも民間人の警護にSPは使えない。


 伊吹弁護士は美夜の容姿をまじまじと眺め、明らかに落胆の溜息をついた。


『こんなにか弱そうなお嬢さんに息子の命を預けるのは少々不安ではありますが……』

『父さん、綺麗なお姉さんにそんな酷いこと言うなよ。むさ苦しい男より美人な女刑事さんに守ってもらう方が俺の気分がアガるんだから。ね、神田さんやってくれるよね?』


この父親にこの息子有り。失礼に失礼を重ねた伊吹親子の会話を美夜は右から左に聞き流し、横目で上野と目を合わせる。

上野の眼差しはこの場は従えとの意味だ。一課長命令では仕方ない。


 警護は24時間の交代制。美夜が仮眠休憩に入る時はバディの九条が彼女の代わりに大和に付くが、彼の大学の行き帰りや独り暮らし先のマンションでの見張りは基本的に美夜の仕事となる。


 できれば港区のマンションではなく、大和が渡航するまでの数日間は実家に家族と居た方が大和がひとりになる時間が少なく安全だと提案したものの、それは伊吹弁護士が拒否した。


実家には伊吹弁護士とその妻と高校三年生の次男がいる。

受験生の次男に余計な負担をかけたくないだとか、伊吹弁護士はくどくどと建前を述べていたが要するに自分が息子の面倒事に巻き込まれたくないだけだろう。


大和の悪事を金で解決してきたのも溺愛からの甘さではなく、自身の保身と体裁のためだ。


 ワガママ放題の弁護士親子と彼らに従順な秘書が去った警視庁の空気は嵐の後の街のように疲れていた。


『神田、悪いが明日の休みを返上して出てくれるか? 大和が警護にお前を指名している以上、他に代わりをさせるわけには……』

「わかっています」

『すまない。奴がハワイに行く26日までの辛抱だ。休みはどこかで振り替えるからな』


 上野一課長に責任はない。元々、伊吹大和の警護はこちらから要請していた。

それを必要ないと渋っていた向こうが脅迫状が届いた途端に手のひらを返したあげく、警護担当に女刑事の指命とハワイ旅行。


捜査一課の誰もが怒りを通り越して伊吹親子に呆れ果てるのも当然の結果だった。


 殺人や強盗事件専門の捜査一課で身辺警護の経験がある警察官は少数だ。美夜が所属する小山班の刑事は全員、警護課の刑事から身辺警護に必要な知識の講習を受けた。


24時間の警護は伊吹大和のマンション内部を美夜が、マンションの表を九条と杉浦、真紀と補佐要員の刑事が交代で見張る。


 拳銃の携帯命令は美夜と九条のみに出された。

八桁のパスワードと指紋、警察官の個人IDで厳重に管理された拳銃保管室のロックを美夜が解除する。


『警護が嫌なら嫌って言えばよかったのに』

「九条くんさっきから機嫌悪くない?」

『通常モードですが。下心丸出しの馬鹿息子に犯されないようにな』

「ご心配なく。弁護士の息子だろうが下心見えた時点で投げ飛ばす」


拳銃は警察官全員に支給されているS&WのSAKURAではなく、警護課のSPが要人警護の際に携帯するSIG SAUERシグ・ザウエル P230を貸し出された。


『まじにヤバくなった時は俺達を呼べよ』

「ありがとう。ただ何か、犯人側の都合のいいように動かされている気がする」

『動かされてる?』

「私達が伊吹の警護をするのを見越しているみたいな、むしろ警護自体が狙いのような……」


 唐突な脅迫状の存在が腑に落ちない。

殺人予告を匂わせる脅迫状を差し出せば少なからずターゲットは警戒する。


殺すならターゲットが油断している隙を狙うのが常套手段、警察にターゲットをガードされては意味がない。この誘導されている感覚は何だろう。


「気になるのは瀬田のスマホがなくなったのも伊吹の荷物に脅迫状が入れられたのも、大学内での出来事なのよ」

『犯人が大学に忍び込んでアイツらの荷物を探ったってことか』

「そうなるよね。大学には色んな人間が出入りしてる。学生や大学の関係者ですって顔して紛れ込めば、彼らの荷物に近付いてスマホを盗んだり、脅迫状の仕込みも可能だと思う」


瀬田のスマホの紛失も大和に脅迫状を差し出した人間の仕業だとすれば、何故スマホを盗む必要がある?


 弾を装填した拳銃を二人はショルダーホルスターに収める。わきの下の銃の重みは警察官の責任の重みだ。


「これを使う機会がないといいね」

『そうだな』


 刑事の持つ銃は最後の手段。

願わくは誰にも銃口を向けず、誰も傷付けず、26日までの任務が無事に終わればいい。

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