Act3.月夜の原罪

3-1

10月23日(Tue)


 港区の私立大学、東桜とうおう大学の敷地内に植えられたいちょうの木々が色づき始めた葉を秋風に揺らす。眠たそうな学生達が午前中のキャンパスをいそいそと歩いていた。


『瀬田のスマホ紛失はそこまで気になることでもないか』

「そうだね。その後に瀬田周辺の個人情報が流出していたのなら紛失は作為的だけど、そんな話は誰からも出なかった」


 望月莉愛を集団強姦したひとり、瀬田聖はこの大学に在籍する四年生。伊吹大和の一学年先輩だ。


 同級生の話では殺される数日前、瀬田は大学内でスマートフォンを紛失していた。紛失したスマホはその後、大学の事務室に落とし物として届けられていたそうだ。

瀬田のスマホを事務室に届けた者の顔は事務員も見ていない。


『伊吹の姿は見かけねぇな。あの坊っちゃんは午前中から真面目に学校来るタイプじゃねぇか』

「悪い噂は本人がいない方が聞きやすくて、サボってくれるのは逆に有り難い」

『わかってはいたが、伊吹も瀬田も人間性は最悪だったな』


 伊吹大和と瀬田聖は学内でも最悪に評判の悪い二人だった。警察沙汰にならないだけで、彼らは何度も集団強姦騒ぎを起こしている。

被害女性は入学直後の新入生からミスコンの候補者、他大学の学生まで様々。

強姦事件のたびに被害者は大和の父親の伊吹弁護士の力で制圧され、被害届を出す前に泣き寝入り。


 大和の幼なじみの増山も加わり、三人は日夜、女性の尊厳を奪い続けていた。大和や瀬田に行為中や裸の盗撮動画を盾に脅されて関係の継続を強要された女子学生もいたと言う。


これだけの悪事を働いているにも関わらず大学側から大和と瀬田に何も処分が下されないのも結局は父親の伊吹弁護士が裏で手を回し、大学に多額の金を積んでいるからだろう。


「伊吹達を恨んでいる人の数が多過ぎて絞れない。この中に人を雇って瀬田や増山を殺させた人間がいるとは思いたくないよ」


 美夜が手にしているタブレットにはこの数日間で大和や増山、瀬田の周辺人物に聞き取り捜査をした上で作成した彼らを恨んでいると思われる人物リストのデータが入っている。


一覧のほとんどが強姦された被害女性の氏名が並んでいるが、高校時代に瀬田に金づるにされていた後輩や、大和に彼女を寝取られた同級生など男性も数人含まれていた。


『瀬田と増山の殺害が復讐代行だとして、それが望月莉愛関連か他に奴らを恨んでいる人間の仕業か、はっきりとはわからない。小柴優奈の件もあるしな』

「優奈の殺害も瀬田達の事件とタイミングが合いすぎてるのよね」


 構内をスーツ姿で闊歩かっぽする神田美夜と九条大河は非常に目立つ。

二人の装いはどう見ても社会人。研究者の出で立ちでもない彼らを若輩の学生達は振り返って眺めていく。

美夜の整った顔立ちと九条の長身も、学生の視線の惹き付けに拍車をかけていた。


 学生達の好奇な視線を逃れて二人は駐車場に急いだ。時折吹く冷たい風に九条は大きな身体をすくめる。


『一昨日の雨の後から急に寒くなったな』

「来週には11月だね。そろそろ冬物のコート出さないと」

『明日の誕生日、休み取ってるけど何か予定あり?』


問われた休日の予定に美夜の心臓が跳ねた。動揺の素振りを車の窓越しに誤魔化して、運転席側の扉を開ける九条から少し遅れて彼女は車内に乗り込んだ。


「なんで私の誕生日知ってるの? 教えたことないよね?」

『バディ組む前に互いの経歴や個人情報は書類で確認しただろ。そこで生年月日は見てる。1990年10月24日生まれ、血液型はAB型、身長163センチの体重が48キロ』

「体重まで覚えてなくていい」


 九条は記憶力が桁違いに良い。行き付けの定食屋のメニューは定番の品は価格まで全種類覚え、電話番号や暗証番号、桁数の多いパスワードの暗記も得意だ。

数字と暗記に強いのに数学と社会科は不得意分野と言うのだから、この相棒の能力はよくわからない。


 美夜は半年前に一度閲覧しただけの九条の情報を記憶の底から引きずり出した。


「九条くんは……91年の4月だっけ」

『仲良くなった頃には誕生日が過ぎてる悲しい4月3日生まれのB型です』

「なにその自己紹介」

『新学期が始まる頃には俺の誕生日は過ぎてるってこと。好きな女に誕生日教えても今年の誕生日は過ぎてるからじゃあお祝いは来年ねーってオチ』


九条と似た文脈表現を少し前にどこかで聞いた。6月が誕生日の男も誕生日を教えてもらった頃には、梅雨はとうの昔に過ぎ去っていた。


「春生まれも大変ね」

『遅過ぎず早過ぎずの秋生まれくらいがちょうどいいって』


 九条との会話で愁を思い出すのもなんだか居心地が悪い。


 ──“木崎さんは誕生日いつなんですか? 前に秋生まれではないと言っていましたよね”?──

 ──“6月13日”──

 ──“とっくに過ぎていますね”──

 ──“来年に期待してる”──


 秋生まれでもないのに秋の心の名を持つあの男は来年の自分の誕生日に美夜の時間を勝手に予約している。

木崎愁はどこまでも勝手な男だった。


        *


 霞が関の警視庁に戻った美夜と九条を待ち受けていたのは予期せぬ人物だった。不快な表情を隠さない九条の隣で美夜は無表情に、こちらに片手を振る男を見据えた。


『女刑事さーん。やっと帰って来た』

「どうしてあなたがここに?」


 目の前に現れたのは美夜が先ほどまで悪行の噂の数々を耳にしていた伊吹大和だった。応接室のソファーを陣取る大和の両隣には二人の男がいる。

ひとりは以前に彼を迎えにきた秘書の前畑亨太。もうひとりは美夜も九条も初めて顔を見る男だ。


『大和の父です』


 東京弁護士会の副会長、伊吹啓太郎は不遜な態度で美夜達に会釈する。息子がどんな悪事を働いても金と権力で解決してきた男が、東京の並み居る弁護士を牽引する立場にあるとは世も末だ。

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