3-13

 耳たぶに愁の唇が触れると甘い刺激が全身に伝わる。刺激は少しずつ下へ降りて、顎先に触れる愁の髪がくすぐったい。

首筋や鎖骨を縦横無尽に駆け巡る彼の唇が彼女の肌に罪の刻印を刻み付けた。


「今の……何したの?」

『後で鏡見てみろ。謹慎中は人に会わねぇだろ?』


 また愁は甘い痛みを美夜に植え付けた。さっき感じた刺激の場所に近い鎖骨の下に、次は胸の谷間に、甘美な刺激が美夜を襲う。


それがキスマークをつけられた痛みだと彼女が気付いた時には、愁は美夜の滑らかな白肌に薔薇の花びらを撒き散らしていた。


『そうやって恥じらってると美夜も可愛い女に見えるな』

「こっちは初めてなんだから当たり前でしょ……」


 初めて男に晒した一糸纏わぬ姿は想像以上に羞恥を煽る。思わず胸元を両腕で隠したが、美夜の弱々しい抵抗も愁の前ではないに等しい。

胸を隠した両手は呆気なくベッドに縫い止められて、愁の顔が胸に沈む。


身体に起きる痙攣けいれんは愁の唇が胸や脇、腹部を通って鼠径部そけいぶをなぞるほどに大きくなった。


 骨張った男の長い指がまだ誰も触れていない未開拓の蜜壺をなぞる。粘膜を刺激する初めて味わう痛みは少し経つと快感に変わり、愁の指の動きに呼応した美夜の蜜は溢れて満ちる。


 自分のものとは思えない甲高い女の喘ぎ声に美夜自身が驚いていた。

大好きな祖父と佳苗の情事を覗き見た十七歳の冬、あの時に祖父の上で腰を振っていた佳苗と同じ雌の声を今の自分は発している。


吐息に含んだ喘ぎ声にも下半身から漏れ聴こえる卑猥な水音にも恥ずかしさで耳を塞ぎたくなった。痛いのに気持ちがいい。こんな感覚は初めて知る。


 これ以上の快楽の扉を開けるのが恐ろしくなった彼女は蜜壺に顔を埋める愁の髪にそっと触れた。蜜壺の中では愁の指と舌先が淫らに動き回っている。


「あっ……やだ……、愁……。怖い。自分がどうなっちゃうのか……怖いよ」

『心配するな。堕ちる時は一緒だ』


 朦朧とする思考回路の片隅で愁がベルトを外す音と軋んだベッドが、もう引き返せないと美夜に告げる。

ここからが本当の地獄の始まり。二人だけの永遠に続く真夜中の楽園。


 恋人でもない、友達でもない。彼女は刑事、彼は人殺し。

二人は名前のない犯罪を犯した共犯者。


 そうしてふたつの身体はひとつになった。相変わらず美夜の中で窮屈そうに動く愁の分身は、奥へ奥へと、もっと彼女を知りたがる。


 好きだの愛してるだの、そんな甘い言葉は一言もない。こちらもそんなものは期待していない。

けれど今、無性にこの男が欲しい。


彼の前ならゆるされると思った。

これが恋? これが愛?

あんなに忌避きひしていた性の交わりなのに、この真夜中の楽園に彼女は酔いしれている。


 どうしようもない喪失から救ってくれるのは、きっと愛欲だけだ。


        *


 涙の跡が自分でもわかる頬を枕につけて美夜はベッドにうずくまった。

事後の下腹部の鈍い痛みは生理痛の痛みに似ているようで少し違う。これは女にしかわからない苦しみだ。


アダムに知恵の実を食べさせた狡猾なイブに神が与えた女のごう。神の女嫌いもほどほどにしてもらいたい。


 隣には上半身を起こして煙草をくゆらせる愁がいた。彼の端整な横顔の向こうには闇に輝く大きくて白い満月がビルの谷間から顔を覗かせている。


『秘書の前畑は莉愛のストーカーだ』

「そう。やっぱりあの男が……」

『驚かないな。前畑に裏があると勘づいていたか?』

「大和の警護をすすめたのが前畑だと聞いた時から薄々。前畑を操ってわざと警察の目を大和に向けさせ、あなたの仲間が伊吹弁護士の殺害を実行したのね」


 身体を重ねた直後の会話がこれだ。色気のない会話はかえって自分達らしい。


『前畑の目当ては莉愛のリベンジポルノのフル動画。ストーカーの心理的には喉から手が出るほど欲しいものらしい。交換条件で前畑からお前らの動きの情報を流させた』

「一連の殺人は誰かの依頼? それとも命令?」

『知りたいなら自分で調べれば? 刑事だろ?』


 紫煙を吐いた愁の挑発的な微笑が月明かりに憎らしく浮かぶ。

彼女と彼は恋人でもない友達でもない。

刑事と犯罪者。追う者と追われる者。


 どこまでが愁が犯した罪?

伊吹大和の殺害は愁の犯行でも、他の人間を愁が殺したとは思えない。


伊吹大和が殺された同時刻に父親の伊吹弁護士と秘書の前畑が絞殺された。アイドルの小柴優奈の殺害もおそらく愁の仕業ではない。

愁の裏に潜む殺人鬼は誰?


 目の前にいるのは人を殺した犯罪者。

人殺しの大きな手が寝そべる美夜の頬をなぞった。


『初心者に二回目はキツい?』

「馬鹿にしないで」

れた時に痛がって泣いたのは誰だよ。ここに泣いた跡が残ってる』

「じゃあ痛くないように気遣ってよ。今はお腹も痛いんだから」

『これでも充分、気遣ってるつもり』


 暗闇を流れる煙草の煙がぴたりと止んだ。彼が律儀に携帯灰皿を持ち歩いているのも、今となっては殺人現場に己の痕跡を残さないためとも考えられる。


 覆い被さる愁の唇が美夜を侵食した。

彼の口内は煙草を吸った後でも不思議と甘い味がする。愁の煙草が特別甘いのかもしれない。


愁だけを知ったそこがまたとろりと潤ってきた。美夜の下半身が醸し出す情欲の匂いに誘われて再び肥大した愁の分身がもう一度美夜の中に沈む。


『まだキツイな。痛い?』

「痛い。けど……」

『けど、何?』

「幸せだって……思ってるの。馬鹿みたいに」

『ならもっと、馬鹿になって幸せ感じてろよ』


 奥に留まっていた愁自身が馴染んできた頃合いに刻まれる律動。

女の海に引きずり込まれた愁は訪れるエクスタシーになまめかしく表情を歪め、快楽に酔った彼の声が美夜の子宮を甘くうずかせた。


 小刻みに揺れ動いていた愁の身体が息を切らせて美夜に折り重なり、交ざる吐息はキスの合図。

ふたりはひとりに、ふたつはひとつに、触れて離れた唇がふたつ。


『いつかお前を殺す。だから俺が殺すまでは誰にも殺されるなよ』

「それは宣戦布告? 愛の告白?」

『どっちがいい?』


破滅しか訪れない恋をした。

破滅が似合う男を愛した。


愛がないなら優しく抱かないで。

このまま傷付けて終わらせてほしい。


「宣戦布告かな」

『物好きな女だ』


 汗で湿った広い背中に両腕を絡める。ぎゅっと強く抱いて抱かれて、ゆらゆら揺れるふたつの腰の動きもひとつになった。


 互いの名前を囁き愛ながら原罪の闇に閉じ込められる。

朝にならなくていい。

ずっと、夜でいて。

真夜中の楽園に二人だけで……。



Act3.END

→エピローグに続く

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