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 声を圧し殺して泣いても喉は渇く。飲み物を求めて咲希はテレビ局の廊下を彷徨さまよった。

楽屋にはまだ優奈達がいる。楽屋から遠い自販機を目指して歩く彼女は廊下に立つ長身の人影を見つけた。


「あっ……海斗さん。お疲れ様です」

『お疲れ』


 今日、同じ音楽番組に出演していたUN-SWAYEDのボーカルの海斗とは咲希が通うボイストレーニングのスタジオでたまに顔を合わせている。

ボイストレーニングをサボりがちな優奈や果林、凛々子は海斗との交流が皆無だが、咲希と死んだ莉愛はボイストレーニングの合間に海斗と多くの言葉を交わしていた。


 莉愛も海斗を尊敬していた。

昨年秋に莉愛が動画配信サービスのサイトに載せたUN-SWAYEDの初期の人気曲〈full moon〉をソロカバーした歌唱動画は視聴回数が配信初日で十万回を越え、今も再生回数を伸ばしている。


動画撮影の際には咲希も側にいたが、莉愛が歌うfull moonは聞き慣れたUN-SWAYEDの男性ヴォーカルバージョンとは異なる雰囲気に仕上がっている。女性が歌うには難しい低音パートも難なく歌い上げた莉愛の歌声は聴いていて鳥肌ものだった。


 いつかUN-SWAYEDのKAITOとフルリールの莉愛がユニゾンして欲しいとUN-SWAYEDとフルリールの両ファンからも共演を熱望されていた。けれどそのユニゾンの夢は二度と叶わない。


 海斗と出くわしたのは自販機の前。海斗は長身の体躯を窮屈そうに折り曲げて取り出し口からペットボトルを掴み上げた。


『元気ないな』

「生放送でやらかしちゃって……ダンス間違えちゃったんです。メンバーには怒られて、ツイッターを見ると私の間違い指摘のコメントだらけで嫌になっちゃう」

『俺もライブの最中に歌詞飛んだ経験何度もある。失敗しない人間はいない。皆、色々とやらかすものだ』


 口調はぶっきらぼうでも海斗の言葉には優しさが含まれている。彼の言葉でわずかに口角を上げた咲希はスマホを自販機の所定の場所にかざした。

自販機と接続したスマホアプリからミルクティーを選択し、電子マネーを使用して目の前の自販機でミルクティーを購入する。


廊下に設けられたソファーに二人は隣に並んで座る。海斗が飲んでいるのは炭酸飲料だ。


「海斗さんも炭酸飲まれるんですね。喉に刺激のある物は摂らないイメージでした」

『ライブやレコーディングの前はもちろん刺激物は摂らない。でも普段はビールも炭酸も飲むしキムチ鍋も食べる。キムチ鍋はHARUハルの家でしょっちゅうしてるなぁ……週3日はキムチ鍋だった時もある』

「UN-SWAYEDは皆さん仲が良いですよね」


 リハーサルの時も歌番組のトークの合間も、UN-SWAYEDのメンバーは和気あいあいとしている。

対してフルリールは本番以外は優奈は仏頂面で無口、果林と凛々子は二人でひそひそと噂話をし、咲希は優奈達とは距離を置いてひとりでいる。


ただし、現場に男性アイドルや男性アーティストの姿がある場合は優奈達は彼らに愛想を振り撒き、あわよくば交流を持とうと目論んでいる。

今日も出演者のUN-SWAYEDの四人や同世代の男性ソロアーティストに優奈達は色目を使っていた。


『ダンスの間違いって他のメンバーがわざとそうさせたんだろ? あとの三人は踊り揃ってたからな。誰でも気付く』

「世間では何をしても全部、“私が悪い”になるんです。そうしないとフルリールとしてやっていない……」


 莉愛の死後、咲希が莉愛をいじめていたと嘘の噂を広めたのも優奈達だ。優奈の悪事は咲希の悪事に塗り替えられ、世間は悪者を咲希だと思い込む。


『何かあったらいつでも俺達の事務所に駆け込んできな。うちの社長は業界では信用できるから』

「はい。ありがとうございます」


 海斗の善意は素直に嬉しいが、海斗の所属事務所には頼れない。世間から後ろ指を指される立場の自分と関わることでもし海斗やUN-SWAYEDが悪口を言われたらと思うと怖かった。


自分のせいでUN-SWAYEDの評判を落としたくない。こうして人目がない所で二言三言、海斗と話せるだけで充分だ。


 海斗が去った後、しばらくひとりでぬるめのミルクティーを飲んでいた咲希のスマートフォンが着信する。


{咲希、今どこ?}

「ごめんなさい。トイレに行ってたの。すぐにメイク落として帰る準備します」


通話相手は前は莉愛の専属マネージャーで現在は咲希と凛々子のマネージャーの国本和志だ。彼女は飲み終えたミルクティーの缶を廊下のゴミ箱に捨て、楽屋の方向に足を向けた。


{あ、待って。凛々子を送った帰りに事務所に寄るよ。社長が呼んでるんだ}

「呼ばれてるのって私だけ? やっぱり本番でダンス間違えたの怒ってる……?」

{そうじゃないよ。事務所に咲希を訪ねてきた人がいるんだ}


歩きながら話す咲希の歩みが止まった。


「訪ねてきた人って誰?」

{僕も詳細は聞いてないんだけどね、とにかくお客さん待たせているから早く来てって言われてる}


 国本に急かされて咲希は楽屋に急いだ。衣装を脱いで私服に着替えた優奈と楽屋の側ですれ違っても互いに挨拶はしない。


 今日のフルリールのスケジュールでは20時から1時間生放送の音楽番組が最後の仕事。

個々のスケジュールだと果林が23時台のラジオに出演する以外は、咲希も優奈も凛々子も今からはプライベートの時間だ。


 すれ違った優奈はやけに化粧が濃かった。今から遊びに出掛けるにしても既に21時半を過ぎている。

優奈は頻繁に六本木や麻布のクラブや会員制バーに出入りし、そこで出会った男達と夜の東京を遊び回っている。

クラブ通いを社長やマネージャーに注意されていたが、今も出入りを止めていないようだ。


(優奈の予定なんかどうでもいいや)


 優奈がスキャンダルを撮られようが男に騙されて泣かされようがどうでもいい。自業自得だ。

優奈にはいずれ天罰が下る。そうじゃないとこんな理不尽な世の中、やっていられない。


悪人には天罰が下ればいい。

そう願うことは果たして罪になるの?

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