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『九条と南田には、下山祐実と芹沢小夏と同じ条件で実際に〈agent〉のゲームをプレイしてもらう。期限はひとまず今月末までだ』


 被験者に提示された課題は二つ。

ゲームの時間は1日2時間程度。必ず業務時間内に行い、その日のゲーム内容をレポートにまとめて翌日に上野に提出。


ゲームの進行に必要なアイテムには課金を惜しまず、課金額は〈agent〉アプリの課金最高額である八万になるようにプレイすること。

ゲームにかかった費用は全額、警視庁が負担するため被験者の金銭的負担はない。


『被験者はお前達を含めて五名。捜査一課の被験者は九条と南田だけだ。お前達の上司の小山と伊東には話がついている。よろしく頼むぞ』


 捜査一課で自分達だけが被験者に指名された。南田は口元を引き締めつつも上野直々の指名に嬉しそうに返事をしていたが、九条は自分が選ばれた理由を知りたくなった。


『あの……どうして被験者に俺達が選ばれたんですか?』

『これは犯罪者の心理に近付く危険な行為だ。ゲームに夢中になりすぎる者は犯罪心理に同調してしまう恐れがある。必要なのは犯罪に呑まれない、より強い精神力と好みにそぐわないゲームを毎日続ける忍耐力だ。一課の刑事では九条と南田が適任だった』


 クライムアクションゲームを毎日続ける精神力と忍耐力があるかと言われると九条は即答できない。犯罪者になりきるゲームなど、九条が最も嫌うジャンルだ。


でもこのゲームをプレイすることがデータ収集となるのなら、もしかしたら未解決の事件を解決する手掛かりとなるのなら、やるしかないと腹を括った。


        *


 九条達が去った第三会議室は途端に静かになった。椅子から腰を上げた上野恭一郎は広い会議室を縦に仕切る移動式パーティションの一部をスライドさせた。

個室となっていた二つの部屋はひとつとなり、もうひとつの部屋にいる男に彼は声をかける。


『何も隠れることはなかったんじゃないか?』

『いやー、若手刑事の前に俺が出てきたらどちら様? 状態ですよ。今の捜査一課で俺の顔と素性を知っているのなんて杉浦さんや伊東さんとか、その辺りですからねぇ。サイバー課の人達なら馴染みがあるんですけど』


 パーティションの向こうにいたのは矢野一輝。上野と苦楽を共にした長年の友人の彼は小山真紀の夫でもある。


『二人ともなかなか将来有望な人材ですね』

『あのまま真っ直ぐ育ってくれることを願うよ。……状況はどうなってる?』


 矢野の傍らには彼が愛用するノートパソコンが控えている。そこにはこれまでに上野や真紀が集めた連続絞殺事件と〈agent〉アプリのデータが集約されていた。


『アプリからこちらの位置情報が抜かれてますね。やはりインストールした時点で仕込まれたウイルスが作動するタイプかな』

『その点は折り込み済みだ。位置情報が警視庁と知った相手側の出方を見る』


九条も気付いた芹沢小夏と瀬田聖、増山昇の殺害方法の類似には上野もとっくに気付いていた。

九条達にはまだ情報は伏せたが、上野がこのアプリを注視する理由が実はもうひとつある。


『〈agent〉アプリを配信してるエバーラスティングは夏木コーポレーションの子会社。きな臭いなぁ』

『あのたぬきを落とすには外側から切り崩していくしかない。この一手が夏木を追い込む切り札になればいいが』


 夏木十蔵が率いる夏木コーポレーションの子会社、エバーラスティングはスマートフォン用のゲームアプリの開発、管理を主とする企業だ。


『昔、カオスの奴らが似たようなウイルスシステムを使っていたんですよね。メールに添付したURLにウイルスが仕込まれていたんですが、URLにアクセスすると端末の位置情報から個人情報、メールの記録、何から何まですべて抜き取られる。今も詐欺メールでよく使われている手口です』

『夏木の元にその時のカオスのデータが残っていたとしたら、それを参考にウイルスのシステムを開発した可能性もあるな』

『いずれにしても夏木コーポレーションが関わるクライムアクションゲームなんて、普通のゲームでは終わらないでしょう』


〈agent〉アプリゲームの裏に見え隠れする夏木十蔵の気配。このアプリがリリースされた2016年に連続絞殺事件も始まっている。

相次ぐ未解決の連続絞殺事件と〈agent〉との因果関係は不明だ。


『俺はそろそろ帰りますね。子ども達の世話を伯父夫婦に任せてきてるので。今頃、家めちゃくちゃに破壊されてるかも……』

『日曜に呼び出して悪かった』

『いえいえ。久々に刑事モードのキリッとした真紀の姿を見れて新鮮でした。家だとクールビューティーもお留守で。帰って来てソファーで寝ちゃって俺がおんぶしてベッドまで連れて行くんです』


 妻の話を嬉々として語る矢野の愛妻家ぶりは健在だ。矢野と真紀がまだ恋人関係になる前から二人を見ている上野には彼らの間に二人の子どもがいる事実が感慨深い。


早河はやかわのとこは来月出産か』

『そうですね。予定日11月の末って聞きましたよ。今度は男の子だから産まれたら賑やかになるなぁ』

『孫が増える気分だよ』


 上野自身は一度も所帯を持たなかったが、かつての部下だった早河や矢野が築いた家族は上野の家族でもある。


いずれは九条と南田、美夜も大切な人と家族を築く時が来るかもしれない。

けれど自分の家族を持つことだけが幸せの形ではない。どんな形であれ自分なりの幸せの形を見つけて欲しい。

それが上野の願いだった。

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