3-4

 身体を這う大和の腕を掴み、渾身の力でひねり上げた。そのまま反動をつけて身体を起こした美夜が、今度は大和を座面に抑え込む。

柔道の寝技だ。


「私、あなたみたいなワガママ放題のお坊っちゃんがこの世で一番嫌いなの。お父様の力使って警察動かしてるんだから、おとなしく守られていなさい」

『痛っ! 痛い痛いっ! わかった、ごめんって!』


 美夜の逆襲に悲鳴をあげていた大和は拘束を解かれてもしばらくはソファーでうずくまっていた。親にも殴られたことがないのにと言いたげな顔で彼は苦笑いを溢す。


『あーあ。見た目は女でも中身は刑事か。24時間俺とベッドにいてくれれば安全だと思ったのにさ』

「そうやって女を性処理の道具としか見ないあなたの幼稚さが莉愛を殺したのよ」


 泳ぐ視線は動揺の印。口元の笑みはかろうじて維持しても、莉愛の名前に反応した大和の表情は固い。


『……莉愛は自殺だろ』

「死因はね。だけどあなた達が殺したも同然。未成年に飲酒させてレイプドラッグを使って強姦、これだけでも立派な犯罪なのにさらにリベンジポルノまでしている。自分が犯した罪の重みは背負うべきじゃないの?」


美夜の叱責で大和が自分の罪をどこまで理解したかは、わからない。


 違法薬物の常習犯だった小柴優奈と繋がりのあった大和には薬物使用の嫌疑もかけられている。室内からは薬物の類いは発見できなかったが、身辺警護が決定して美夜がここを訪れるまでの間に隠し持っていた薬物は処分したのだろう。


いずれは大和にも警察の追及が及ぶ。いつまでも自堕落な生活ができると思ったら大間違いだ。


「優奈は何をネタに莉愛を脅していたの? 心当たりがあるなら話して」

『莉愛には付き合ってる男がいるって言ってた。相手は知らねぇよ』


 莉愛の恋人の影はあちらこちらにちらついていても肝心の素性はいまだ謎に包まれている。

その素性を知る優奈も、莉愛本人もすでに故人。実体のない影はいくら追っても掴めない。


『けど男のことが事務所の社長に知られたらまずいし、莉愛は優奈に逆らえなかった。センターで人気あった莉愛に嫉妬して蹴落とそうとする優奈も性格悪い女だよなぁ』


 確かに優奈の行いは善人とは言い難い。でも優奈も大和にだけは性格が悪いとは言われたくないだろう。


 救いようのない男をリビングに放置して美夜は玄関ホールに仁王立つ。ここなら大和と空間を共有する必要はなく、警護と監視の両面で仕事が遂行できる。

家にいる間は大和を外に出さないことが美夜に与えられた任務だ。


 マンションの向かいにある賃貸マンションの一室を警察が借り上げた。サポートの九条達の控えの場と美夜が仮眠するための部屋だ。


マンションの出入りはそこから九条達が監視している。不審な動きがあれば耳に装着したインカムを通じて連絡があるだろう。


 現在が23日の19時。日付を跨いだ24日の午前2時の九条と交代する時間まで気が遠くなる時間が延々と続く。


こんな場所で誕生日を迎えるとは思わなかった。誕生日に特別な思い入れはない美夜でも、この状況で二十八歳は迎えたくない。


 24日の夜は会えそうもないと愁に送ったメッセージは既読もつかず返信も来ない。あの約束自体、愁は忘れているかもしれない。


誕生日の夜を愁と過ごせると少しだけ期待した自分が、少しだけ心を躍らせていた自分が、ただの女になったようで馬鹿みたいで呆れてしまう。


 “会いたい”と彼宛に送りそうになったメッセージを削除して、美夜はプライベート用のスマートフォンの電源をオフにした。


 刻々と時間は過ぎていく。ボンクラ息子にも多少の気遣いの心は持ち合わせているようで、立ちっぱなしの美夜が座れるようにと玄関ホールまでデスクチェアを運んできた。


そうしてホールに置いたデスクチェアに座って2時間が経過した頃、再び大和が姿を見せた。


『神田さーん。悪いんだけどコンビニで夜食買ってきてくれる? 俺は外に出ちゃいけないんでしょ?』

「わかりました。下にコンビニがありましたよね。そこで……」

『違う違う。あそこじゃなくて、ちょっと行った先に違うコンビニあるじゃん? あっちのコンビニに売ってるアメリカンドッグと牛肉コロッケと肉まんが食べたいんだ』


 大和が指定したのはマンション一階に入るコンビニとは別会社のコンビニだ。

どこのコンビニのアメリカンドッグもコロッケも肉まんも味にさして違いはないと思うが、そう思うのも美夜が食にこだわりがないだけかもしれない。


 持ち場の離脱をインカム越しに九条に伝える。夜食を欲する大和に九条は呆れていた。


{夜食なんか食べずにガキは大人しく寝ろって言えよ}

「大学生に21時就寝も無理な話よ。夜食がないと勉強がはかどらないって駄々こねてる」

{勉学に励みそうな面もしてねぇくせに。俺が買いに出ようか?}

「大丈夫。すぐ近くだからさっさと行って戻ってくる」


 コンビニはマンションのエントランスを出て直進で徒歩1分の場所にある。行き帰りとコンビニの滞在時間を考慮しても5分程度。

10分以内にはマンションに戻れる。


 コンビニで大和に頼まれたアメリカンドッグ、コロッケ、肉まんと、自分用に眠気覚ましの栄養ドリンクを購入する。


意外と込み合っていたコンビニの会計待ちで予想よりも持ち場の不在時間が長くなった。帰宅の予想時刻を3分はオーバーしている。


 合鍵で二つのオートロックと大和の自宅の鍵を解錠する。玄関を入った時にまず感じたのは、異様な静けさだ。


「……伊吹さん? いますか?」


 室内には人のいる気配がない。リビングにも寝室にも、浴室やトイレにも大和の姿は見当たらず、部屋はもぬけの殻だった。


思わず飛び出した舌打ちと同時に彼女はインカムを接続する。


「やられたっ……! ……九条くん、聞こえる?」

{どうした?}

「伊吹が部屋にいない。エントランスから出た様子は?」

{ずっと見張っていたが、こっちはお前の出入りを確認しただけだ。まだマンションの中にいるんじゃないか?}


 九条との会話を続けながら美夜はエレベーターで地下一階に降りた。

18時頃にマンション全体のセキュリティ確認をした時は地下の駐輪スペースには確かに伊吹大和のクロスバイクが駐輪してあった。今はそのスペースには何もない。


「今、地下の駐車場にいる。ここにあった伊吹の自転車がない」

{自転車で地下から出たか。あの野郎……!}

「地下のスロープはエントランスとは反対方向、そこから見落とすのも無理ないよ。とにかく周辺を捜す。まだ遠くには行ってないはず」

{俺も捜しに出る。状況は逐一、報告し合おう}

「了解」


 ひとまずインカムの接続を切って美夜はマンションの外に飛び出した。エントランスを出た先で待機していた九条と落ち合い、手分けして大和を捜索する。


 都営地下鉄の大門駅前の大通りに出た。この辺りは背の高いビル群にカラオケや飲食店もあり、人通りの多い地帯だ。


大和に背格好の似た男を見つけては、顔を確認して人違いに落胆してまた走った。


九条は東新橋方面に向かっている。時折インカムに入る報告では九条も大和の発見には至らず、応援の杉浦達は車で捜索に出ている。


 口実をつけて美夜を追い出した隙の不可解な脱走。大和は自転車でどこに行ったのだろう。


(犯人に呼び出された? でも脅迫状を冗談半分に受け取っていても、殺人予告をした人間に呼び出されてのこのこ出向く馬鹿はいない。……脅されて仕方なく行くしかなかった?)


 犯人が大和を脅すネタは望月莉愛のリベンジポルノだろうが、示談が成立している今、大和がリベンジポルノの一件を怖がる理由は?

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