2-7

 背景に六本木の高層ビルを従える夜の公園を長い影が横断する。彼は息を潜めて獲物の到着を待った。

園内の入り口付近に設置された赤と黄色と青の奇妙な形のモニュメントの前を小鹿の脚に似た細い脚が駆けていく。獲物の到着を察した彼は物陰から顔を覗かせた。


『優奈、こっち』

「ケイくんっ!」


 小柴優奈は特徴的な肉感のない脚を跳び跳ねさせ、一目散に彼の腕に飛び込んだ。地面に浮かぶ二つの影は密着してひとつとなる。


『誰にも見つからなかった?』

「大丈夫。テレビ局も裏口から出たし、変装も完璧」


優奈は目深に被ったキャスケットと丸いレンズの伊達眼鏡を装着している。眼鏡の奥に隠れた綺麗にカールした長い睫毛、瞼に艶めくアイシャドウのラメは彼女がまばたきをするたび夜の闇に輝いた。


 優奈にケイと呼ばれている彼は彼女を公衆トイレの個室に引き摺り込み、すぐさま唇を寄せた。唇を重ねるほど深くなるキスは男と女の本能を解放させる。


『脱がせやすそうな服だね。わざと?』

「ふふっ。当たり前でしょう?」


 優奈が着ているのはデニム生地のシャツワンピース。シャツのボタンは胸元からウエストの部分までが外され、肩紐がずり落ちたブラジャーから飛び出した乳房は彼の手の動きに合わせて形を変えた。


 自分からショーツを脱いだ優奈は淫靡いんびな姿で彼を誘惑する。数時間前までテレビの中で笑顔を振り撒いていた人気アイドルが今は公園の公衆トイレで男相手に股を濡らしている。


フルリールの小柴優奈は清楚担当で売っているが、彼女の実態は清楚とは対極。優奈は無類の男好きで性に奔放な女だった。


『後ろ向いて。もっと気持ちよくなるものあげる』


 散々、彼に身体をまさぐられて快感に酔った優奈は男の言うことを素直に聞く奴隷に成り果てる。

彼女は疑いもなく彼に背を向け、剥き出しの尻を突き出した。そのまま静止した彼女は彼に片腕を掴まれても抵抗しない。


『ほら、優奈が大好きなオクスリだ』


 脚と同じく、極度に肉感の欠如した細い腕に注射針が突き刺さる。優奈は針の痛みにも快感を覚え、甘く喘いでいた。

薬物と男に夢中の優奈には清楚なアイドルの面影はどこにもない。


 夜間の公衆トイレに響くネチャネチャとした卑猥な音と女の喘ぎ声。尻を突き出して気持ち良く快楽に浸っていた優奈の声に突如、別の喘ぎが加わる。

優奈の異変を察知した彼は彼女の膣から自分の分身を引き抜いた。


可愛らしく作り込んだ甘い声から一変して、低い唸り声を上げてもがき苦しむ優奈は膝から崩れ落ちる。トイレの狭い床の上で折り曲げた身体は痙攣を繰り返し、こちらに向けて伸ばされた優奈の手を彼は躊躇なく蹴り飛ばした。


『大好きなセックスをしながら大好きなクスリで死ねるなんて本望だろ? 気持ち良く死ねてよかったね』


 優奈に注射したのは普段よりも高濃度に調整した覚醒剤。ものの数分で優奈の身体は動かなくなった。

注射器とコンドームがトイレの水流に呑まれて消える。それを眺める夏木伶の瞳はどこまでも暗く、殺人を終えてもなお、涼しげだ。


 伶を乗せた送迎の車は虎ノ門の夏木邸に向かっている。後部座席に悠々と座る彼はスマートフォンを手早く操作した。これで今回の依頼の最初の難所は越えたと言っていい。


 今回与えられた伶の任務は望月莉愛の自殺の原因を作った人物の排除。莉愛の集団強姦とリベンジポルノに関わった瀬田聖と増山昇、首謀者の小柴優奈は片付けた。


任務にはまだ本命にして最大の難所が待っている。今回に限っては伶ひとりですべての対処は難しいだろう。


 事前連絡もなく自宅を訪問した伶を夏木十蔵は歓迎した。


『おお、伶、どうした? こんな時間に珍しい』

『夜分にすみません。仕事を済ませてきたので』

『順調のようだな。楽しいか?』

『楽しいですよ。この街は誰かに復讐したいと思う人間で溢れていますね。アプリの利用率も上がっています』


 伶は大理石のセンターテーブルに白い粉末の入る小袋を置いた。中身は言わずもがな覚醒剤。

横に添えられた淡いオレンジの小袋は〈禁断の果実〉の呼称を持つ中東で製造された媚薬だ。


『薬の調達もありがとうございました』

『もう必要ないか?』

『はい。薬物依存とセックス依存の女を落とすのは簡単でしたね』

『お前は恐ろしい子だな。禁断の果実は好きに使えばいいぞ?』

『俺が持っていても宝の持ち腐れです。すべて会長にお返ししますよ』


 小柴優奈の薬物依存は夜の六本木、西麻布界隈を出入りする者には周知の事実。薬をちらつかせれば簡単に股を開く女だとその界隈では有名だ。


彼女が頻繁に出没する六本木のクラブで伶は優奈を誘った。

思いの外、たった一夜で優奈は伶の身体と彼だけが持つ禁断の果実に骨抜きになり、今日までケイの名を偽る伶と優奈の関係は続いた。


『会長。お聞きしたいことがあります』

『改まってなんだ?』

『愁さんが初めて女を家に連れてきたんです。名前は神田美夜。会長はご存じですか?』


 夏木十蔵はゆったりとした所作で咥えた煙草に火をつけた。気難しげな彼の額に刻まれたシワが一段と深くなる。


『そうか。愁はまだあの女と……』

『やはり会長も女を知っているんですね』

『神田美夜は刑事だ。所属は警視庁捜査一課』

『……刑事? 愁さんもそのことを?』

『知っている。神田美夜とは関わるなと忠告したんだが、愁はどういうつもりだろうな。あいつが私の言うことを聞かないのは今に始まった話でもないが』


 夏に美夜を自宅に招いた際、彼女は職業を役所の公務員と述べた。当時から嘘臭いと疑ってはいたが、よもや刑事だとは。

そして愁は美夜が刑事だと知っている。


『神田美夜を見る愁さんの雰囲気がいつもと違ったんです。まさか本気であの女のことを……』

『だとすれば私が女を殺せと命じても愁は従わないかもしれんな。今のところ神田美夜には害がない。だから私も放ってはおいてはいるが』


もしも夏木が美夜を疎ましく思い、美夜の排除を愁に命令しても愁は美夜を殺さない。愁には殺せないと伶は直感した。


『愁さんが命令に従わなかった場合は俺が神田美夜を殺しますよ。……あの女は舞にとっても邪魔者ですからね』


 エイジェントはジョーカーを継ぐ者として産み出された存在。


トランプのジョーカーは二枚ある。

黒のジョーカーと赤のジョーカー。

本当に強いのはさて、どちらのジョーカー?

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