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 溜息をつく美夜を九条が肘で小突いた。はっとして伏せた顔を上げた美夜に九条が小声で告げる。


『会議始まる』

「あ……うん」


 起立の号令がかかり、会議室にいるすべての刑事が一斉に立ち上がる。美夜が今やるべきことは捜査会議だ。

彼女は瞬時に思考を切り替えた。


 捜査会議の冒頭は増山昇の解剖結果報告だ。先月に殺された瀬田と同じく、死因は絞殺による窒息死。

凶器は太さ八ミリの丈夫なロープと断定され、ここで芳賀敬太が所属する特命捜査対策室の室長がマイクを握った。


『2016年8月から同様の手口による連続絞殺事件が相次いでいます』


 電気が消され、薄暗くなった会議室でプロジェクタースクリーンだけが明るい。特命対策室が作成した2016年からの連続絞殺事件の資料がスクリーンに映し出された。


 最初の事件は2016年8月7日。被害者は世田谷区在住の二十代のOLだった。

次の事件は8月12日、被害者は足立区在住の五十代男性。

どちらも死因は絞殺。使用された凶器は持ち去られているが、首に残る絞め跡から太さ八ミリ程度のロープと推定。


以降、ひと月に二人あるいは三人、多い時は四人のペースで絞殺事件が起きていた。


 被害者が男性や体格の良い相手にはスタンガンで気絶させてから首を絞めている。今回の瀬田、増山もスタンガンで気絶させた後の殺害だ。


 最初に殺された世田谷区の二十代女性は職場の既婚男性と不倫をしていた。警察は真っ先に不倫相手の妻に嫌疑を向けるが、妻にはアリバイがあった。


二件目の足立区の五十代男性も職場ではパワハラ上司と有名で部下達に疎まれていた。男性のパワハラ被害で重度のうつ病となり、退職を余儀なくされた元部下の男にもアリバイがある。


どの事件も被害者を恨んでいると思われる人間には決まってアリバイがあり、捜査は暗礁に乗り上げる。

やがて未解決事件として捜査権は所轄署から警視庁の特命捜査対策室に移行した。


 被害者の数は2016年8月から2018年10月までの2年間で増山昇を含めて七十一人。スクリーンには今年発生した連続絞殺事件の被害者リストが映っていた。


「4月の欄に上中里の主婦絞殺事件もあるね」

『やっぱりな。連続絞殺事件との関連を調べるためにあの事件に主任が呼ばれたんだろう』


 2018年4月の被害者リストに北区上中里の主婦、井川いがわかえでの名前を見つけた。出張で福岡にいた楓の夫にはやはり鉄壁のアリバイがある。

楓とマッチングアプリを通じて交際していた男子大学生の妹は、同時期に起きていたデリヘル嬢連続殺人事件の犯人の教え子だった。


8月の欄に表示された芹沢小夏の肩書きには法栄大学の記載がある。学部は違うがあの夏木伶と同じ大学だ。


『瀬田、増山の殺害と一連の絞殺事件との関係については引き続き、特命対策室と捜査一課が合同で捜査を行う』


 上野恭一郎のまとめで連続絞殺事件の話はひとまず終了し、議題は瀬田と増山の殺害動機として最有力だと思われる望月莉愛の集団強姦事件の話に移る。


瀬田だけでなく増山も同じ方法で殺されたとなれば推測できる動機は望月莉愛の復讐しかない。そして瀬田、増山の犯行手口は一昨年から続く連続絞殺事件の手口そのもの。


 連続絞殺事件で殺された七十一人の被害者は何らかの恨みを買う者ばかり。だが被害者を恨んでいる人間には必ず犯行時のアリバイが証明されている。

交換殺人という言葉も出る中、ある刑事は“復讐代行殺人”の可能性を示唆した。


何者かが、例えば金銭と引き換えに復讐心を秘めている者の望みを殺人という方法で叶えているとしたら疑わしい人間にアリバイがあるのも頷ける。


 捜査会議終了後、捜査員達が散り散りに会議室を後にする。捜査担当の振り分けが決まるまで待機の美夜はスマートフォンの検索ページに望月莉愛の名前を打ち込んだ。


『何してるんだ?』

「さっき少しだけスクリーンに映ってた莉愛を中傷する掲示板がどんなものか見てみようと思って」


 美夜が閲覧しているのはリベンジポルノが流出した直後に作られた望月莉愛の専用スレッドだ。美夜のスマホに九条も横から視線を落としている。


『匿名掲示板なんか見たら胸くそ悪くて昼飯食えなくなるぞ』

「そうね。確かに数行読むだけで胸くそ悪い」


莉愛の性交動画に歓喜する男、失望したと嘆く元ファン、顔も見たくない、二度とテレビに出るな、娼婦はフルリールを止めろ、男好き、他のメンバーに迷惑かけるな、アイドルは神聖なものでいて……ってたかって匿名を盾に好き勝手に書き込んでいる。


『ネットで叩く人間が厄介なのは自分は正義側だと思い込んでいるところだな。匿名で人を吊し上げて笑い者にしてる時点で正義じゃない』


 九条の意見に美夜も同意した。ここに書き込まれている内容は決して中傷だけではない。

中には正論とも思える意見もある。問題は言葉選びと限度だろう。


莉愛だけを責めるのは間違っている、悪いのは動画を流出させた男側など、莉愛を庇う意見の他には莉愛の落ち度を指摘する意見が散見された。


 いじめる者が圧倒的に悪いと主張する人々といじめられる側にも原因があると主張する人々の言い争い。


 落ち度を指摘する者達は、明らかにされていない莉愛の事情を察しもせずに複数の男と行為に及んだ莉愛をひたすら責め続ける。俗に言う被害者叩きだ。


何事もやり過ぎると善の行いも悪に変わる。正しい主張も引くべき時に引かないと人を追い詰めるだけ。

“正しさ”は簡単に人を殺せる。


あらぬ方向に転じて悪口大会になれば歯止めが効かない。話題がなくなれば掲示板内で意見の食い違いから喧嘩が始まるここは人の醜さが可視化された世界。


「暴論を黙らせるには感情的にならずに正論で返す、それが最も効果的なの。だけど正論だって凶器になる。刃物は正しく使わないと人を刺す」

『やり過ぎた正論は人を殺すよな。莉愛を自殺に追い込んだのは強姦やリベンジポルノだけじゃない。ここに集まって莉愛を叩く奴らは全員が莉愛を殺した共犯者だ』


 匿名掲示板は個人でアカウントを開設するSNSよりも画面の向こうにいる人物像を想像しにくい。書き込みの口調によっては年齢や性別をいくらでも誤魔化せる。


ここでは職業も関係がない。偽ろうと思えば何者にもなれる場所。

誰もが裁きの神になれる。


 休み時間の教室、会社の食堂、行き帰りの電車内、子どもが遊び回るリビング、そんな場所でなに食わぬ顔で誹謗中傷を書き込む者達。


勤勉な優等生だと評価されている学生、新人の指導をする社会人3年目、職探しに面接に向かう無職の人間、家事と育児に追われる主婦、家族の前では笑顔を作る父親と母親。

掲示板に集う人々のそれぞれの表の顔が思い浮かんで寒気がした。



Act1.END

→Act2.魔葯悲訳劇薬 に続く

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