Act2.魔葯悲訳劇薬
2-1
「こんな所に主任の知り合いがいるんですか? どう見てもここって……」
真紀の運転により美夜が連れて来られた場所は新宿区と千代田区の狭間の釣り堀。近くには市ケ谷駅がある。
「向こうはサボりよ、サボり。アポはとってあるからここに居るはず」
真紀の班は望月莉愛が集団強姦されるに至るまでの経緯と、莉愛の周辺人物との関係の捜査担当となった。
真紀は莉愛がリベンジポルノの被害届を出す際にその場に居合わせている。この件は生前の莉愛と面識のある真紀が適任だ。
今回は何故か、美夜と組むのはバディの九条ではなく上司の真紀。今日限定で美夜は真紀と、九条は杉浦と行動を共にしている。
「あの、どうして主任の同行者が私なんですか?」
「あなたにも色んな捜査のやり方を覚えて欲しいの。時には正攻法じゃないやり方もね」
「それがこれですか?」
車を降りた美夜が携えているのはコンビニ袋。ここに来る途中で立ち寄ったコンビニで購入した物は酒と煙草、あんパンと五個入りミニドーナッツ。
美夜の手元で揺れる袋を見下ろして真紀は笑った。
「今から会う人はこれくらいで勘弁してくれるからまだいいのよ。情報の見返りに刑事相手に平気で身体を要求してくる奴も多い。若い頃はもっと酷かったけど、この歳になってもまだそういう誘いがあるのよ」
「身体を要求されたら主任は……」
「もちろん要求には屈しない。桜田門の権力ちらつかせて吐かせればいいだけだもの」
長年、捜査一課で事件の場数を踏んでいるだけあって真紀の精神は
動きが低速な台風の影響で今日も湿っぽい曇り空が続いている。
こんなに雲が厚くても関東地方は明日と明後日は快晴と言うのだから天の神はきまぐれだ。しかし晴れ間は長くは続かず、週末にかけてまた天気が崩れるらしい。
「神田さんはこういう場所は初めて来る?」
「はい。釣りには縁がなかったので……。捜査に必要がなければ一生来る機会はないですね。こんな都心に釣り堀があることも知りませんでした」
「私も先輩に初めて連れて来られた時は神田さんと同じ反応だったよ」
月曜の昼下がりの釣り堀には人の姿もまばら。釣り堀には大きな鯉池が三つ、小さな鯉池が二つある。
中央の鯉池の通路に猫背の男がいた。
「桑田さん」
真紀の呼び掛けに反応した猫背の背中がわずかに動く。無精髭を生やした中年の男は真紀を見上げて口元を斜めにした。
『お嬢ちゃんも人使いが荒いなぁ』
「芸能界のネタは桑田さんに聞くのが私達の間の定説です。それと、いい加減そのお嬢ちゃん呼びはやめてください。私も二人の子どもの母親です」
真紀の導きで引き合わされた人物は桑田真隅。芸能ゴシップを専門に扱う週刊ルポルタージュの記者だ。
無精髭とシワの寄ったズボンが小汚なく、とてもそうは見えないが、記者としては非常に有能だと道すがらに真紀から教えられている。
『あのちゃらんぽらんのボンボンにまんまと落ちやがって。俺が口説いても
「いつの話してるんですか。夫と結婚したのもずいぶん昔ですよ。こっちは部下の神田です」
「これ……どうぞ」
美夜がおずおずと差し出した袋を片手で掴んだ桑田は、釣竿を置いて中身を確認する。彼はさっそくあんパンにかじりついていた。
『俺の好物は忘れちゃいなかったな。お嬢ちゃん本当は俺のこと好きだろ? 今すぐあんな旦那捨てて嫁に来いよ』
「後ろ向きに検討しておきます」
『俺はいつでもあんたとの子作りに前向きなんだが。まだまだ一晩に二回は発射できる』
「そうですねぇ……私も二人産んでますからね。もう出産はこりごりですよ」
桑田からの冗談めかした誘いを真紀は見事にかわしている。桑田の誘いの口振りは軽く、真紀も軽口を楽しんでいる。
これくらいならまだマシということだろう。いやらしい誘いをする人間はもっと露骨な誘い文句を並べるものだ。
『要件は望月莉愛のリベンジポルノだよな。あれは嵌められたんだ。ハメ撮りだけに?』
「つまらない冗談はいいです。嵌められたのはわかっていますから。問題は……」
『莉愛を嵌めた人間が誰か。まぁお嬢ちゃん達も座れよ』
通路に等間隔に並ぶ台座に桑田を挟んで真紀と美夜は腰掛けた。
『莉愛を排除したい人間を考えれば、嵌めた人間の見当はつく』
「今のセンターの高倉咲希ですか? ネットには咲希が莉愛をいじめていたという噂が広がっていますが」
美夜の意見を桑田は即座に否定した。ネットに流れる素人の憶測と芸能ゴシップのベテラン記者の見解はどうやら違うらしい。
『高倉咲希は確かに莉愛がいた頃は二番手止まりだったが嵌めた奴は咲希じゃない。むしろ咲希も被害者側だと俺は睨んでる』
「咲希もいじめられていた側?」
『最近のフルリールのパフォーマンスを見ていてもそんな感じがするねぇ。今夜も生放送の歌番組に出るから新人のお嬢ちゃんも見てみるといい。とにかくフルリールは叩けば汚ねぇ埃がどんどん出てくるグループだ。俺達にとっては美味しいネタの宝庫』
あんパンにかじりつきながら桑田はまた竿を手にする。釣りとは無縁の人生を歩んできた美夜には獲物がかかるまでの時間をじっと消費するだけの行為の何が面白いのかわからない。
娯楽とは大概、外側にいる人間には理解ができないものだ。フルリールの楽曲もアイドルソングを好まない人間からすれば耳障りな女の合唱でも、それを好む内側の人間にとっては時には生き甲斐にもなる。
今度は真紀が質問に回る。
「莉愛には彼氏がいたという話もありました。私達の調べでは彼女と交際していた男の手がかりは得られなかったんですが、莉愛の彼氏はリベンジポルノを流した瀬田や伊吹ではないことは確かですよね」
『莉愛に男がいたのは事実だ。でもフルリールのメンバーでファンと繋がっていたのは別の人間。そいつが自分の男達を使って莉愛の集団レイプとリベンジポルノを仕組んだ主犯だろう』
瀬田がバイトしていた蒲田駅前のカラオケ店に莉愛が行くように仕向けた人間がいる。おそらく瀬田、増山、大和と繋がっていたフルリールのメンバーの誰かだ。
莉愛も身の危険は感じていたはず。行かない方がいいとわかっていても莉愛は彼らが待つカラオケ店に行ってしまった。
誰かに脅されていたから?
莉愛はどんな秘密を抱えて、何を守ろうとしていた?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます