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美夜を先に車に戻らせ、真紀と桑田はまだ台座に腰掛けていた。
『瀬田と増山が死んだとなると次に狙われるのはあの弁護士の息子か?』
「その線が濃厚です。次の被害を出さないためにも伊吹大和には警護を申し出ましたが、あっさり断られました。警察が側にいたら鬱陶しいとか何とか……」
『警察の義務と個人的感情の狭間でお嬢ちゃんも大変だな』
「警察としてはこれ以上の被害は食い止めたいので。個人的感情を言えば、伊吹大和の警護なんてまっぴらごめんですよ」
伊吹大和が集団強姦の犯人だとしても守られるべき命。警察の立場では彼を保護し、守る義務がある。
けれど警察を離れた個人の立場となれば話は別だ。あんな卑劣な男、守りたくもない。
警察組織にいる誰もが桜田門の正義と個人の感情の狭間で揺れ動いている。
『そういえば莉愛のマンションを張ってる時、マンションの近くのコンビニで買い物してた俺に莉愛から話しかけてきたんだ』
「莉愛が桑田さんに?」
『ああ。俺の30年の記者生活で向こうから話しかけてきた芸能人なんて初めてで驚いた。しかも、ありがとうございますと礼を言われた』
五個入りのミニドーナッツのひとつを摘まんだ真紀はそれを口に放り込む。咀嚼しながら彼女は、コンビニでアイドルが週刊誌の記者に礼を言う様子を想像してみた。異様な光景だ。
「なんでお礼を?」
『側で私を見ててくれる人がいるから帰り道も怖くないんです……ってさ。あれは俺みたいな記者とは違う種類の人間につけ回されていたんだろう』
「……それはいつの話ですか?」
『莉愛のリベンジポルノが出る前。雪の予報が出ていた日だから今年の1月だな』
帰り道を不安に思う出来事となると悪質なファンのつきまとい行為がまず挙げられる。
今も芸能界の第一線で活躍する女優の
芸能界に居てもマネージャーによる車の送迎が
所属事務所やダンスや演技の稽古場、時には学校の前で出待ちしているファンの尾行をいかにして巻くか。十代や二十代前半の頃は稼ぎも少なく、行き帰りにタクシーなんて使えなくて、尾行を巻くのも大変だったと玲夏も昔話のついでに漏らしていたことがある。
『俺も気になったんで、莉愛の帰り道を注意して見てたんだが、俺が張ってた時は怪しい奴は見かけなかった。あげくに自分のスキャンダル狙ってる俺に莉愛は差し入れまで持ってくる始末だ』
「記者に差し入れするアイドルもなかなかいないですね。莉愛も桑田さんに見守ってもらう感覚だったんだと思います」
『もっと早くにフルリールの内情を暴いてあのグループから莉愛を救い出せてたら莉愛があんな目に遭うこともなかったのにな』
現時点では莉愛のストーカー被害を裏付ける証拠や報告はなかった。莉愛が悪質なファンに悩んでいたのなら、マネージャーが事情を知っているかもしれない。
莉愛の集団強姦事件とリベンジポルノ騒動は裁かれるべき加害者は判明している。瀬田聖、増山昇、伊吹大和、そして集団強姦を手引きしたフルリールメンバーの誰か。
明らかな悪が存在しているのに誰一人、罪に裁かれなかった。
これは私刑だ。次に狙われるのは伊吹大和? それとも……。
『お嬢ちゃんとこの新しい部下、刑事らしくねぇな。とくに目が』
「本人が一番そう思っているでしょうね」
『こんな仕事してると人を見る目は養われる。あれはどっちかと言うと犯罪者の目だ』
ミニドーナッツの最後のひとつを一口で食べ終えた桑田が無言の真紀を横目に見る。
『……部下をそんな風に言うなって怒らねぇんだな。お嬢ちゃんは怒るかと思った』
「桑田さんの観察眼と記者の嗅覚は信用していますよ。彼女は繊細過ぎるんです。誰よりも優しくて傷付きやすいから誰にも心を開かない。本音や弱音を見せない。半年間、彼女を見てきた印象です。それでも相棒とは上手くやれているようなのでその点は安心していますけどね」
静かな水面が湿気た風に揺らいだ。この揺れる水面の下には底に深く潜り込んだ鯉達が悠々と泳いでいる。
水面の近くまで浮上しないと鯉の姿は見えない。なんだか美夜と似ていた。
『お嬢ちゃんができることはあの子を最後まで信じて味方でいることだ。気をつけて見ててやれ』
「桑田さんはたまに真面目なことを言いますよね」
『惚れ直した? やっぱり今夜どうだ?』
「遠慮します。ベッドは旦那としか共にしない主義なもので」
『旦那が憎いねぇ』
そろそろ戻らなければ車で待つ美夜が退屈している。真紀は一向に動きを見せない桑田の釣竿に一礼してから背を向けた。
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