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今夜は妹の舞も同居人の愁も不在のひとりきりの夕食だ。赤坂駅前のファーストフード店で購入したハンバーガーは家に到着する頃には少し冷めていた。
自分のためだけに夕食を作る気にはなれなくても自分のためにコーヒーは淹れられる。丁寧にドリップした熱々のブラックコーヒーとレンジで温めたハンバーガーを自室に運び込んだ夏木伶は、それらをデスクトップのパソコンが設置されたデスクに置いた。
この大型モニターのパソコンは夏木コーポレーションの子会社、エバーラスティング社のメインシステムと繋がっている。
仕事に必要な環境はすべて夏木が整えてくれた。このパソコンひとつで、伶は〈agent〉アプリのすべてを管理していた。
無心でハンバーガーを貪りながら彼が閲覧しているページはエイジェントの月別の依頼人リスト。
一覧に並ぶ今年7月の依頼人リストには伶の恋人である来栖愛佳と彼女の友人だった芹沢小夏の名がある。小夏の名の下には先月殺された江東区の看護師、下山祐実の名前が見えている。
依頼人が殺されたのは伶がエイジェントとして仕事を執行するようになって初めてのケースだ。それも裕実を殺した犯人の玉置理世は祐実から依頼された殺しのターゲットだった。
嫌いな人間の殺害を依頼した者がその人間に殺される。理世の殺害依頼をした祐実は理世に殺され、愛佳の殺害依頼をした小夏は、愛佳の殺害依頼を受けた伶に殺された。
(愛佳も友達の殺害依頼を平然としているんだから怖い女だよな)
愛佳と小夏に関しては殺す相手はどちらでもよかった。ただし、愛佳を殺せば彼女の恋人の立場にいる伶のアリバイは必ず聴取される。
その点、小夏と伶は大学が同じだけの顔見知り程度。小夏が殺されたとしても警察の捜査は伶には及ばない。
伶に害があるとすればせいぜい、友達を殺された
最後はベッドの上で快楽に浸っているのだから、彼女はかなりの策士だ。
愛佳を殺さなかったのは恋人への愛や情ではない。愛してもいない女が死のうが、友人の殺人依頼をしようが、どうでもいい。
愁も言っていたが女は精子の放出先。伶にとっての来栖愛佳とはたったそれだけの存在価値だった。
〈
伶のパソコンにはプレイヤーのゲーム内容とプレイ時間、ゲーム内の課金額、〈agent〉ゲームの情報が日経データとなって送られる。
悪役体験型のクライムアクションゲームでは様々なストーリーが展開していく。バーチャル空間でプレイヤーは相手を殺すためのアイテムの課金をし、どのように殺すか考えを巡らせる。
全アイテムに課金した場合の最大金額は八万円だ。
警察や探偵に見つからないよう殺人を遂行できればゲームクリア、探偵に犯罪を見抜かれたり警察に捕まればゲームオーバー。
東京二十三区在住、八万の課金、ゲームクリア率が高い、アプリ利用歴が3ヶ月以上、1日のプレイ時間が60分以上、この条件をすべて満たしたプレイヤーからさらに選りすぐって伶が選んだ利用者にのみ、次なるステージの扉が開かれる。
それが〈agentご依頼受付ホーム〉と呼ばれるエイジェントの管理者へのメール送信機能。
使い方は簡単。メッセージボードに殺人代行を依頼するために必要な自分とターゲットの個人情報を入力して送信するだけ。
送信した代行依頼メールは1時間後に利用者のアプリ内から自動的に消去される。
メッセージボードの〈ご依頼受付フォーム〉は〈ご意見受付フォーム〉に生まれ変わり、一見するとゲームの意見や感想をアプリの運営側に伝えるメッセージ機能にしか見えない。
次にメッセージボードにエイジェントからメールが届くのはエイジェント側が殺人代行の受付を完了した時。
これは依頼料の受け渡し方法のメールだ。利用者はエイジェントに指定された都内の駅のコインロッカーに依頼料の十万円を預け、コインロッカーの番号と取り出しに必要な暗証番号をメッセージボードのメール機能を使ってエイジェントに伝える。
受け渡しに際してのエイジェントと利用者のメールも、十万円を受け取った後に伶が利用者のメッセージボードから二つのメールを削除している。万一、警察が利用者のアプリを調べても復讐代行依頼の形跡を発見できなくするためだ。
これが復讐代行依頼の流れ。アプリ利用者の位置情報は利用者がアプリをスマートフォンにインストールしている限り、常にエイジェントに筒抜けだ。
依頼に必要な個人情報の記載は了承しても位置情報までもエイジェントに抜き取られている実態を利用者は知らない。2ヶ月前の夏の夜、バイト帰りの芹沢小夏を殺すことも、彼女の位置情報を掌握する伶には容易だった。
新たなインストール情報が二十通届いている。その中でも伶は五つのデータに着目した。
位置情報は千代田区霞が関二丁目。五台のスマートフォンが共に同じ位置情報ということになる。
この場所に建つ建物は警視庁本庁舎だ。
(そろそろ来る頃とは思っていたが、仕掛けてきたか)
口元を斜めにして彼はコーヒーを喉に流す。ハンバーガーは既に胃に収めたが、残りのチキンナゲットとハッシュドポテトはすっかり冷めていた。
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