3-10

 地下に続く階段を降りると先輩の多田真利子刑事の姿が見えた。昼間でも薄暗い地下室は警察が持ち込んだ照明器具のおかげで地上と同じ明るさを保っている。


「多田さん、お疲れ様です」

「お疲れ様。神田さんが言っていた西村光のスマホは見つからなかったよ」

「そうですか……」


豊北団地の川島の自宅にも光の自宅にも光のスマートフォンは発見できなかった。


『光は自分のスマホを処分したんだろうな。でも処分するならガイシャと連絡取るために使ってた蛍のスマホの方だと思うんだけど、なんで捨てるのは自分のスマホだったんだ?』

「きっと見られて困るデータが入っていたのよ。位置情報も追えないからSIMカードが抜かれてどこかに放置されているか、本体自体が壊されたか……。私が見た時は確かに光は自分のスマホを持ってた」


 美夜が光と対面したのは学校の昼休み終了から午後の授業の間。あの時、光は自分のスマホを使用していた。


「だけど自信なくなってきた。光はシルバーのスマホケースをつけていたの。蛍のスマホケースはお揃いの絵で色はピンク。……もしかしたらあのスマホも中身は蛍のスマホだった?」

『スマホケースを付け替えれば見た目の偽装はできる。けど、神田が学校で見せてもらったインスタは光のアカウントからだったんだろ?』

「そう。蛍の非公開のインスタを見る権利があるのはたったひとりのフォロワーの光だけ。あれは光のアカウントからだった」


学校で閲覧した蛍のインスタグラムのアカウントは光のアカウントから接続されたものだ。光のインスタグラムのアカウントのフォロワーも蛍のアカウントのみ。

インターネットの世界でも光と蛍は二人きりの永遠を過ごしていた。


『それだと学校で神田が目撃したスマホはやっぱり光の物じゃねぇか? ……いや、蛍のスマホから自分のインスタにログインすればいいのか。パスワードさえ入力すれば可能だからな』

「そこが現代機器のややこしいところよ」

『年寄りみたいなこと言うなぁ』


 光が学校にいる間にスマホを処分できるとは思えない。放課後から彼女が命を絶つ21時までの数時間でスマートフォンを処分するとしても、光にそんな時間があっただろうか。


「光に川島以外の共犯者がいた気配はなかったよね。光に近い人間と言えば父親だけど、あの父親が光の計画に協力するようには見えない」

『光の親父は光や元妻とは二度と関わりたくないって様子だったな』


 離婚した光の実父は警察の訪問に良い顔はしなかったが、渋々聴取に応じてくれた。


 西村光は3年前の2015年、通っていた三鷹市内の塾の講師に強姦された性犯罪の被害者だった。当時の彼女の苗字は杉坂すぎさか


三鷹市婦女暴行事件の捜査資料に杉坂光として彼女の名前が記録されている。警視庁の被害者データベースで検索しても現在と苗字が違うのだから当然検索にはヒットしない。

塾講師は別件で強姦致死事件を起こしており余罪も多く、現在は服役している。


 事件以降、光は極端に男を嫌うようになった。中学の教師、同級生、街ですれ違う男達、さらには実の父親も光は避けるようになる。

よくある思春期の娘の父親嫌い、男嫌いを越えて、男という生物そのものを光は憎んでいたと父親は語った。


強姦による極度の男性不信はPTSDと診断されたが、それにより家庭は崩壊。光に殺された母親の現在の恋人の話では母親は娘に人生を狂わされたとぼやいていたらしい。


 性被害を受けて男を激しく嫌悪するようになった光が何故、男相手に身体を売っていたのかはわからない。

いずれにしても不明瞭な点が多く、美夜には理解できない事件だった。


何故、蛍を殺害した中井道也と容姿の似た男をターゲットに選んで殺した?

何故、共犯である川島を殺した?

何故、川島の局部まで切断した?

川島と蛍と光、三人の本当の関係は?


 一連の連続殺人は自分と蛍をおとしめた男達への光の復讐だったのか。局部の切断は文字通り去勢そのものを意味するのだろう。


「そもそも蛍の事件とは全く関係がない男達の殺害に川島が協力した理由がわからない。川島も娘を殺した中井と同類の、少女を買う男達への復讐だったのかな」

『そんなことをしても蛍は生き返らないと光も川島も承知してるはずなのにな』

「そうだよね。むしろ蛍を生き返らせるためではなく、自分達が未練なく死ぬために人を殺していたような気がする」


 川島蛍のインスタグラムの最新の投稿には黒猫が写っていた。写真の景色は光が自殺場所に選んだ団地裏の公園。

闇に馴染む黒猫がベンチにうずくまっているだけの写真に添えられた一文を美夜は思い出す。


〈私だけの蛍。これからはずっと一緒だよ〉


 あれは恋だったのかもしれない。

恋ではなかったのかもしれない。

どちらにしても光は蛍を求めていた。

男を憎む少女の淡く儚い蛍火はもう二度と、灯らない。

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