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 まず九条が話の流れを作る。美夜と九条のバディでは九条の方がコミュニケーション能力に優れている。

何事も最初の掴みが肝心だ。


『先月から稲城市、狛江市、府中市で連続している四十歳前後の男性ばかりが殺害されている殺人事件をご存知でしょうか? ニュースではサラリーマン連続殺人と題されていますが』

『はぁ……。ニュースも新聞もあまり見ないので、そんな事件があったんですね』

「では、この三人の男性を見て誰かに似ているとは思いませんか?」


 次は美夜が被害者の顔写真を川島に見せた。三枚の写真を一瞥する彼の目の下には濃いクマがある。寝不足だろうか。


『誰とは?』

「川島さんにとっては名前も耳にしたくない相手です。こちらが現在服役中の中井道也。写真は逮捕当時の物です」


美夜の右手には第一、第二の被害者の写真、左手には第三の被害者、そして九条が中井道也の写真を川島に向けた。


『……似ていますね。目元や雰囲気が。だから僕のところに来たんですね。殺された人達が中井に似てるというだけで僕を疑っているんですか?』

「お気を悪くされたのなら謝ります。浮上した可能性はひとつずつ潰していくのが警察の仕事です。6月2日の20時から22時頃、どこで何をされていました?」

『参ったな。独り暮らしですし……ああ、少し待っていてください。財布を取ってきます』


 不機嫌な顔で突っ立っている九条は門の向こうに去る男をいつまでもねめつけていた。


『川島って案外ちょろいよな』

「いきなり何?」

『わかりやすく鼻の下伸ばして神田の顔ばかりちらちら見てただろ』

「それでなんで九条くんが怒るの?」

『怒ってねぇよ』


怒ってないと言い張ってもどう見ても今の九条の言葉には怒りの棘がある。

美夜は自分の容姿に無関心だ。この顔が男にどう見られようとまったく興味がない。


 ややあって川島が小走りに戻ってきた。手には黒い長財布を携えている。

使い込まれてくたびれた財布からは、しわくちゃのレシートの束が姿を現した。数枚のレシートの日付をひとつひとつ確認した川島はシワを伸ばしたレシートを美夜に渡した。


『証拠になるかはわかりませんが、スーパーのレシートです』

「スーパーはお住まいの近くの?」

『団地は広くて住人も多いので敷地内にスーパーがあるんです』


 スーパーの店名はサンライズマート豊北団地店。川島が暮らす団地名と同じだ。

レシートの日付は2018年6月2日土曜日の21時13分。


「ずいぶん遅い時間の買い物ですね。いつも買い物はこの時間に?」

『普段の買い物は平日の仕事終わりが多いですね。この日は次の日の朝飯になるような物が家になくて慌てて買いに走ったんですよ』


購入品目には確かに食パンと卵とベーコンの名前が並んでいる。トーストとベーコンエッグの朝食風景が浮かぶ買い物だ。


「このレシートは証拠品としてお預かりしてもよろしいでしょうか?」

『どうぞ。いらないものですし、証拠の役目が終わればそちらで捨ててください』


 川島との対面後、美夜と九条は小雨が降り始めた道を引き返した。


『川島はシロか』

「犯人が複数犯の線が高いなら川島が実行犯じゃないだけかもしれない。もう水曜日なのに先週の土曜のレシートが財布にあるのも都合良すぎる」


工場と隣接した道に停めた車は雨粒に埋もれていた。二人同時に車の扉を開け、同時に乗り込む。


「とりあえずスーパーに寄って6月2日の防犯カメラの映像を見て裏取りしよう」

『じゃ、団地の方向に向かうぞ』


 北区を走行する車が学校の前を通り過ぎた。表示を見ると高校だ。


「蛍は十六歳だったよね。高二なら誕生日前か」

『まだ川島蛍の復讐だと思うのか? 蛍殺しの加害者の特徴と今回の被害者の特徴が似てる点と、あのホタルのツイートだけじゃ任意で川島引っ張るにも弱い』

「わかってる。でも気になるの。被害者三人に接点はない、三人を恨んでいる人間も浮上しない、共通しているのは見た目、年齢、スマホがなくなっていること……」


 遺棄現場の周辺をどれだけ探しても見つからない被害者三人のスマートフォンは被害者達が契約している携帯電話会社の協力の下、位置情報を割り出そうと試みたが失敗に終わった。

おそらくSIMカードがスマホ本体から抜かれている。


 間もなく川島が居住する団地に到着する。綺麗に整列した同じ形、同じ大きさのマンション群はそれだけで威圧感があった。


「川島蛍の復讐をしたい人間って父親以外だと誰だと思う?」

『親以外の復讐の定番は恋人だな。けど蛍は高校生だ。彼氏がいたとしてもそいつが殺人鬼になるとは……なるかもしれねぇけど可能性は低い。あとは友達?』


 捜査資料には蛍の交遊関係の記載はない。

川島の会社が倒産する以前に蛍が通っていた調布市内の私立中学の友人とは交流を絶っていたそうだ。

殺された当時、蛍にはどのような友人がいたのだろう。


「友達を殺された人間が犯人に復讐したくなる気持ちは私にはわからないな」

『……神田って被害者にも加害者にもどっちにも感情移入しないよな。それも刑事には大事な要素だけどよ』

「私は自分のために刑事をしてるだけ。誰かを守るとか正義を貫きたいとか、そういう感情がないの。だから被害者にも加害者にも感情は入らない」


 真紀のように被害者に感情移入して泣きもしない。九条のように加害者に憤りもしない。


 何のために刑事になった?

ゆるされたいから刑事になった。

人を殺したかった自分を……赦したいから。


あとどれだけの正義を貫けば赦される?

あとどれだけの罪を裁けば赦される?


春の雨の匂いに紛れた血の臭いは10年経った今も美夜の心に暗く濃く、染み付いていた。

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