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大久保の勤務先は新宿区内に本社を構える電気メーカー。業界第四位に位置する東証一部の大手企業だ。
『あーあ。俺も
「割り振りに文句言わない。地取りも鑑取りも両方大事でしょ」
捜査担当の割り振りに納得がいかない様子の九条を連れて美夜は本社ビルに入った。警察の登場に顔をひきつらせた受付嬢が確認の連絡を取る間、二人は手持ち無沙汰にロビーを見回す。
『俺の家の冷蔵庫がここのメーカーなんだ。両扉つきの大容量』
「冷蔵庫のメーカーなんて気にしたことなかった。何でも良かったから」
大久保が殺害された話は社員も伝え聞いているのだろう。午後の仕事に追われる社員達が訪問者を物珍しげに見ていく。
『さては冷蔵庫はすっからかんだな? 料理しないタイプ?』
「料理に必要性を感じていないの。食べられる物なら何でもいい」
『神田とはとことん噛み合わねぇな。人間、食べる時が至福の時間だろ』
「九条くんは家で料理するの?」
『聞いて驚け。うちには麻婆豆腐を作るための
何を驚けばいいかさっぱりだが、美夜はとりあえず頷いて見せた。
大久保の上司と名乗る男がロビーまで迎えに出てきた。所属先は営業部だ。
大久保は新卒でこの企業に入社。エリートの道を進む順風満帆な人生かと思いきや、近頃は営業の成績が伸び悩んでいた。
5月26日の土曜日に大久保に休日出勤を命じた者は誰もいなかった。大久保は翌週月曜になっても出社せず無断欠勤、彼のスマートフォンに連絡をしても繋がらない。
そして火曜の早朝、大久保の遺体が狛江市で発見された。
営業部の大久保のデスクのパソコンに営業部の部長が社用のパスワードを入力すると、鮮やかな青色のデスクトップ画面が現れた。
パソコンの閲覧は九条に任せて美夜はデスク周りの大久保の私物から手がかりを探した。大久保は几帳面な性格ではないらしく、引き出しの中は物が乱雑に散らばっていた。
『神田、こっち見てみろ。大久保は会社のパソコン使ってツイッターにログインしてる』
「仕事中にツイッターに書き込んでいたってこと?」
『だろうな。閲覧履歴からページ開けた。履歴くらい削除しておけばいいのに』
大久保は物の整理整頓もしない男だ。会社のパソコンを私用に使った後にアクセス履歴を消すタイプの人間ではないのだろう。
美夜と九条の視線は[オクボ]名義で利用していた大久保のツイッターの最上部のツイートに注がれる。
──〈明日ホタルに会える〉──
ツイートの投稿時刻は5月25日15時47分。姿を消す前日だ。
『ホタルってあの蛍? 東京で蛍が見られる場所ってどこだ?』
「生き物の蛍だとしても“会える”って表現はしない。蛍狩りに行くなら“明日蛍を見に行く”が適切だと思う。それにこの書き方だと蛍狩りではなさそう」
念のためスマホで関東近辺の蛍狩り情報を検索した。
関東地方で蛍鑑賞のできるイベントの開催時期はどれもが6月から7月。5月26日に蛍に関係した催し物はない。
『じゃあホタルってのは女の名前か? 大久保は独身だ。女運がないって同僚に愚痴っていたようだし、親しくしてる女がいたって話は今のところない』
大久保と親しくしていた同僚の話では四十路の年齢で独身であることで彼は卑屈になっていた。結婚できないのは出会いがないから、出会っても相手と相性が合わなかった、世話焼きな母親がいるせいだと述べていたと同僚は語った。
「結婚できないのは自分にも問題があると思わないのが不思議」
『お前はまじに言うことがえげつないよな。まぁ大久保が結婚できない理由はわかるけど。結婚や恋愛をあえてしないのと、したくてもできないのとはまた別だ』
次第に見えてきた大久保義人の人となり。
大久保の人生のパズルは女のピースに飢えていた。順風満帆に見えた仕事も後輩の躍進に怯える日々。
そこに現れた一筋のホタルの光。
ツイッターに書き込まれた意味深な名前だけが現時点の有力な手掛かりだ。ツイートが虚言でなければ大久保は5月26日に“ホタル”に会う予定があった。
休日に新宿に赴く理由もそこでホタルと待ち合わせていたと推測できる。業務時間中にツイートしてしまうほど楽しみな予定だったに違いない。
しかし、社内の人間から学生時代の同級生まで捜査の範囲を広げたが、大久保の周囲にホタルと呼ばれる人間はひとりもいなかった。
*
6月4日月曜日、午前7時43分。東京都府中市の武蔵野公園内に寝袋のような物が置いてあると110番通報が入った。
駆け付けた警官が寝袋の中の死体を確認。すぐに警視庁捜査一課に一報が入った。
被害者の身元は池原秀樹。自動車メーカーに勤めるサラリーマンだ。
前の二件と同じく、所持品にはスマートフォンだけがない。そして切断された池原の局部が死体と共に寝袋に納められていた。
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