2-6

 入浴前に歯磨きをしていると洗面台の鏡に川島の姿が映った。後ろに立つ彼と鏡越しに視線を合わせても光は気にせず赤色の歯ブラシで歯磨きを続ける。

歯磨きを終えてタオルで口元を拭う光の華奢な身体に川島の痩せ細った腕が絡み付いた。


「お風呂入る? さっき浴槽の掃除したからお湯溜めようか?」

『まだいい』


顔だけを後ろに動かした光の唇に川島の唇が接近する。歯磨き粉のミントの味が粘性のある唾液に侵食された。

口内に土足で流れ込む男の味にミントの爽快感はたちまち消え去る。咀嚼音に似た唾液の交換の音は光にこの後の行為を彷彿させた。


「……歯磨き粉の味しない?」

『するね』

「いつもヤる時しかキスしないじゃない」

『そうだね』


 今日の川島は妙だった。普段は光が仕掛けなければ求めてこない彼の手は彼女の素肌に吸い付いている。


 鏡の中の男と女。

男の手が女のTシャツをたくしあげ、柔らかな乳房は男の手によって形を変える。


 鏡の世界で展開する可視化された情欲。

虚像と実像。

こちらの世界はあちらの世界。

あちらの世界はこちらの世界。

あちらの世界は蛍。

こちらの世界は光。


 手を引かれて向かった場所は蛍の部屋だった洋間。ギンガムチェックのベッドの上に男と女が折り重なる。

光の首筋に顔を埋めた川島はくっきり色づいたキスマークを舌でなぞった。


「川島さんはキスマつけない人だよね」

『こんな目立つところにつけられると困るだろう。非常識な男だ』


 光が購入したコンドームを装着した川島が光の中に侵入してくる。

昨日は一晩でコンドームを二つ消費した。昨夜の川島との二回目は光には予想外の出来事だった。


『蛍……』

「お父さん……」


 情事の最中、川島は光を蛍と呼び、光は川島をお父さんと呼ぶ。これが不健全な身体の契約の決まり事。

娘のベッドで娘の友人を抱く男。していることは川島も蛍を殺した中井道也と変わらない。


川島の上に跨がって淫らに腰を前後に揺らす光の艶やかな黒髪が二つの白い乳房にすだれをかける。

去年の今頃は今より短かった髪は生前の蛍と同じ長さになった。


 光は蛍の身代わり。姿形も蛍を真似た、具現化した蛍の幽霊。

それでいい。自分は蛍が発する光だ。

本体がいなければ輝けない蛍火。


 快楽を貪る獣と化し、すべてを終えた川島と光は湿った背中をシーツにつけて暗い天井を仰ぐ。男と女の発情した匂いが室内に充満していた。


「ちゃんと聞いたことなかったけど、いつから蛍とセックスしてたの?」

『妻が死んで……まだ調布にいる時だ。蛍が十四歳の頃だね』

「蛍は中学生で義理の父親とヤっちゃったんだ。私が蛍から川島さんとの関係を聞いたのは高一の春だった。義理の父親だから近親相姦じゃなくてセーフだよねってあの子は笑って言ってたよ」


蛍と川島は義理の娘と父親の一線を越えた、年の離れた恋人になっていた。


『僕達はそうしないと生きられなかったんだ。僕も蛍もそうすることで夕貴ゆきがいない心の穴を埋めようとしていた』


 夕貴は蛍の死んだ母親。川島から蛍以外の女の名を聞くのは違和感がある。

川島は蛍ではなく妻の夕貴を愛していた。夕貴を失った身代わりが蛍だった?


「最初はどっちが誘った?」

『……蛍かな。僕が風呂に入っている時に蛍が入ってきて……そのまま風呂場で抱いた。蛍の裸を見たのはその時が初めてだった』

「お風呂で誘惑かぁ。蛍も大胆なことするね」

『蛍を受け入れた僕もどうかしている。でも蛍も僕も寂しかったんだ』


義理の娘と肉体関係を持った川島を死んだ妻はどう思っている?

友達の父親と肉体関係を持った光を死んだ蛍はどう思っている?


『……正直、最初にこの話を聞いた時は君がここまでするとは思わなかった。今も驚いてる』

「人を殺してみたかったって犯罪者がよく言うセリフだよね」

『殺してみたかったのか?』


 川島の質問に無言でベッドを抜け出た彼女はスマートフォンを手にした。薄暗い室内にスマホのブルーライトが眩しく光る。


「私は蛍を汚した男を絶対に許さない。それだけだよ」


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