3-8

 川島の死体発見を真紀に報告しようとした矢先に杉浦から連絡が入った。20分前に豊北団地四号棟裏の公園で女が血を流して倒れていると通報があり、駆け付けた警官が現場を保存しているようだ。


「ここお願い。様子見てくる」

『了解』


 九条に川島宅の現場保存を任せて美夜は公園に向かった。美夜達がいる六号棟の隣が四号棟だ。

駐車場を横切って団地の裏に出ると首都高と隅田川が現れる。川に面して作られた団地の人々の憩いの公園は立ち入り禁止の黄色いテープで封鎖されていた。


テープの外側には人だかりができている。

健康サンダルを履いた初老の男、スエット姿の夫婦、日本語ではない言語で早口な会話を交わす二人の女、スマホに視線を落とす少年少女……老若男女に国籍問わず集まる野次馬の群れを掻き分けて美夜は前に進んだ。


 見張りの警官に警察手帳をかざした彼女に団地の住民の好奇と不安の眼差しが集中する。身分を明かして現場への立ち入りを許可された美夜をもうひとりの警官が迎えた。


警官の話によれば通報は21時10分頃。通報者は団地に住む四十代の主婦で仕事の帰りに遊歩道に倒れている女を見つけた。

目視で女がすでに事切れていることを確認した通報者は119番ではなく110番を選んだそうだ。


 遺体は十代後半から二十代前半の痩せ形の女性、身元は調査中。状況から自殺と見られ、側に落ちていた包丁と血に染まったタオルは警官が回収している。


園内の街灯の灯りは弱々しく、捜査を進めるには心許こころもとない。警官が持つ懐中電灯の灯りが潰れたリュックサックとスマートフォンを照らした。


「所持品ですね。これは最初からここに?」

『はい。発見時のまま動かしていません』


 リュックとスマホは公園と遊歩道を繋ぐ階段の頂上に仲良く並んでいた。スマホはバニーガールのイラストのピンク色のスマホケースをつけている。


美夜はスマホの電源ボタンを押した。ブルーライトが眩しく光るスマホ画面を閲覧した彼女は無表情のまま目を伏せる。


予想していた最悪のシナリオが瞼の裏側に映し出された。

こうなる前にもっと早く気付いていれば。

もっと早く止めていれば。


(あの時の小山主任の気持ちが今は少しわかるかもしれない)


 パパ活をした結果、殺された井上香菜を刑事として正しい道に導けなかった真紀の後悔を美夜は理解できなかった。

井上香菜も川島蛍も自業自得の罪は消えない。彼女達に同情する者も批判する者も、最後は同じ疑問を抱いている。


“なぜ彼女達はアルバイトにパパ活を選んだ?”


 警察官の立場だからできたことがあったはず。

防げた犯罪、食い止められた死。今も真紀の後悔の半分も理解できたとは言えないが、この悔しさは初めて味わう感情だった。


 覚悟を決めて彼女は遊歩道に降りた。階段の中腹辺りから血の痕跡が染み込んでいる。

遊歩道のタイルの上に寝かされた人形ひとがたはブルーシートを被っている。

剥がされたブルーシートの下から覗いた顔は美夜が知っている少女だった。


「……やっぱり」

『ご存知なんですか?』

「私が追っている事件の参考人です」


少女の名前は西村光。数時間前に顔を合わせたばかりの少女はすでに命の炎を消している。


 頸部に刃物で切りつけた傷がある。手足には擦過傷や打撲の跡が見られた。

階段の中腹で自分のくびを切った彼女はそのまま下に転げ落ちて息絶えたのだろう。


 光の死に顔は穏やかだ。生前の彼女には見られなかった年相応の少女らしい寝顔には死に化粧が施されている。

瞼を彩るゴールドのアイシャドウは夜空を舞うホタルの輝きのように、キラキラと煌めいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る