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6月7日(Thu)


 スマートフォンを手にして来栖愛佳はベッドに寝転んだ。さりげなく隣で眠る恋人の夏木伶の身体の一部が写るように計算された角度でカメラアプリのシャッターを押す。


 眠りの世界を旅する伶を起こさないように注意しつつ、角度や表情を変えた十三枚の自分の顔写真の中から最も“盛れた”とっておきの一枚を選んだ。


選ばれた一枚は肌色補正や肌トラブルを隠してくれる加工、瞳を大きく見せる加工、輪郭を削る加工と三つのアプリを駆使して加工を施した“すっぴん風”写真に変身した。


〈おはよー! 寝坊して講義さぼっちゃった! すっぴん失礼します〉と写真に文を添え、24時間で投稿が消えるインスタグラムの「ストーリーズ」と呼ばれる場所に載せる。朝のストーリーズ投稿は愛佳の日課だ。


投稿後、すぐにコメントがきた。


〈すっぴんでも可愛いです(><*)〉

〈隣で寝てるのはあのイケメン彼氏さんですよね❤️ラブラブですね❤️〉

〈あいかさんオススメの化粧水とボディクリーム買いました!〉

〈愛佳さんのお部屋お洒落ですね。今度お部屋のインテリア紹介してください✨〉


 フォロワーからのコメントに自己顕示欲、承認欲求、優越感、すべてが満たされる。


 部屋のインテリアを見せてほしいとの要望は以前からいくつか届いている。愛佳の自宅は西新宿駅から徒歩5分の立地にある高級マンション。


家賃は月十五万。新宿区内で築4年のワンルーム、オートロック付きの相場としては妥当な値段のこのマンションは、東京の大学生が独り暮らしで選ぶにしては割高だ。


 伶が起きる前に朝食の準備をする。アンティークのフリーマーケットで購入した陶器の皿には綺麗に飾り付けされたクロワッサン、ベーコンエッグ、色鮮やかなレタスと苺。


愛佳がベーコンエッグを焼いている時に起床した伶は眠たそうな瞼を押し上げて朝食の完成を待っていた。


『朝飯ができるのを待ってるって不思議な感じだな』

「いつも伶くんが舞ちゃんの朝ごはんとお弁当作ってあげてるんでしょ? いいお兄ちゃんだよね」

『今日は舞の朝飯も弁当も愁さんが作ってる。うちで家事できないの舞だけなんだ。……これ写真撮る?』

「うん。ちょっと待っててね」


 食べる前に愛佳はスマホを構えた。二人分のモーニングプレートが写る構図で何回か角度を変えてシャッターを押す。これは後でインスタグラムに載せる用の写真だ。

愛佳の写真撮影が終わったところでようやくモーニングタイムが始まった。


「愁さんってどんな人? 伶くんの家に遊びに行っても会ったことないよ」

『あの人はいつも帰り遅いから。端的に言うと変わってる人かな』


 伶と妹の舞が年上の男性と同居している話は聞いている。どのような経緯で同居に至ったか愛佳は詳細を知らないが、その男が彼らの保護者代わりらしい。

父親がいるのに保護者代わりとは妙な話だ。


伶は舞のこと以外は家の話をほとんどしてくれない。本当はもっと聞きたい話があるのに、伶の家族の話題には必要以上に踏み込んではいけないと彼女は直感的に感じていた。


        *


 大学生の朝は社会人や義務教育の学生に比べれば比較的のんびりしている。伶と愛佳はゆっくりと寝起きのシャワーを浴びていた。


『雨か……』

「この音はけっこう降ってるね」


シャワーを止めた時に聴こえたもうひとつの水音に二人は耳を澄ませる。湯船に浸かる愛佳の胸は伶の手のひらに包まれた。


『今日学校出るのめんどくさ』

「午後の講義は落とせないから私は行くけど伶くんはサボる?」

『サボる。雨だと行く気なくす。嫌いなんだよ、雨』


 雨はいつかの嵐の夜を思い起こさせる。10年前の春雷の夜に伶は木崎愁と出会った。

彼があの時聴いた音は雷か銃声か。忘却の彼方にてた忌まわしい記憶は今も伶を苦しめていた。


 呪われた過去を思い出すと吐き気がする。今は何も考えたくなかった。

性を忘れるために性に逃げる。愛佳とキスを交わした彼はトントンと浴槽の縁を指差した。


『ここ座って。自分でしてるとこ俺に見せて』

「意地悪……」

『愛佳が自分で気持ちよくなってる可愛い顔が見たいんだよ』


従順な女は優しい男の言うとおりにした。壁に背をつけて浴槽の縁に座った愛佳は細い両脚を左右に開いて、伶にその部分を見せつける。


 昨夜遅くまで伶に弄ばれた愛佳のそこはまだ甘い夜の夢を引きずっていた。愛佳が指で少し触るだけでそこは簡単に蜜を溢れさせる。

外で降り続く雨の音、吐息に含まれた女の鳴き声に混ざる卑猥な声が反響するバスルームは秘め事の演奏会。


 恋人の自慰を眺める伶は終始無言だった。彼の冷たい瞳に見つめられると愛佳はいつも背中がゾクゾクとする。

伶は優しいのに冷たくて、美しい。冷酷な美の化身。


 物欲しそうな愛佳のそこに骨張った二本の指が差し込まれ、蜜の洪水に溺れた。

愛佳の気持ち良い場所を熟知している伶は巧みな指の動きと舌先で彼女を翻弄し、敏感な部分を狙い打ちされた愛佳は低い声で唸るように喚いて絶頂に上り詰めた。


『今度は愛佳が可愛がってくれるよね?』


 絶頂の余韻も消えないまま愛佳は目の前に差し出された伶を握り、嬉しそうに美味しそうに、クチャクチャ、ヌチャヌチャ、口を広げて男を頬張った。


口の端からよだれを垂らして男の分身をしゃぶる愛佳の顔はSNSに存在する綺麗に加工された彼女とは別人だ。これが女の本性だと伶はとっくに悟っている。

どんな女も性に溺れた姿は汚い。


 愛佳の頭を撫でる伶の手つきはペット扱い。優しく撫でられていたかと思えば、頭を押さえつけられて喉の奥までそれを押し込まれる。

呼吸が辛くなっても、喉が苦しくても愛佳は伶に夢中だった。


 彼が冷たい瞳の奥で何を考えているか知らずに。伶に心から愛されていると彼女は信じていた。

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