1-4

5月30日(Wed)


 ムゲットでランチをした翌日の水曜日も暑い日だった。沖縄は今月初めに梅雨入りが発表された。本州も2週間もすれば湿気に悩む季節の到来だ。

美夜が警視庁捜査一課のフロアに入った時、同じ班の九条大河と杉浦誠がフロアの片隅で雑談していた。


「おはようございます」

『おお、神田ー! これ見て。杉さんの娘さんの写真。ここに写ってるんだよ』

「何が?」

『幽霊』

「はぁ?」


杉浦には今年小学校に上がった娘がいる。九条に見せられた写真には草花が茂る庭で彼の娘がコーギーと思われる犬と寄り添って写っていた。


『ほらここに火の玉がある。これって心霊写真じゃないか?』


 九条の指が写真のある部分を指差した。花壇の横に薄い緑色に発光する光が写っている。

美夜は一目でそれの正体がわかった。

どうやら九条は大真面目にこれが心霊写真だと思い込んでいるらしい。杉浦を一瞥するとやれやれと肩をすくめて苦笑いしていた。


(九条くんって刑事のくせに疑うことを知らないな。素直というか従順というか。杉浦さんも人が悪い)


先輩にからかわれているとも思わずに、九条は時たま少年のような純粋さを垣間見せる。

美夜はひとしきり逡巡しゅんじゅんの末に九条に真実を話すことにした。


「これは火の玉じゃない。玉響たまゆら現象って言うの」

『……たまゆら?』

「空気中の水蒸気や埃が写真に映り込む現象が玉響現象。残念だけど光の正体は幽霊じゃない。写真にはよくあること」


数秒の沈黙の末、事を理解した九条は大袈裟に肩をすくめた。


『えっ……えー! これ幽霊じゃねぇの? 杉さんは知ってたんですかっ?』

『俺は一言も心霊写真とは言ってないぞー。神田は写真に詳しいな。そんな現象があるとは俺も知らなかった』

「高校の時に写真部だったんです。ろくに活動していない幽霊部員でしたけど」


 美夜が幽霊部員だった写真部の部長は奇しくも先日インスタで結婚報告をしていた麻紗美だった。

心霊写真説を覆された九条は不貞腐れていた。しょげたり拗ねたり感情が忙しい男だ。


『神田は幽霊信じないタイプ?』

「信教は自由だからね。幽霊がいると思うのも自由だけど自分が見えないものは信じないかな。そう言えば小山主任は?」

『主任ならさっき廊下で見慣れない刑事と話し込んでるの見かけた』

『その人は八王子南署の人だ。月曜に八王子で女子高校生の死体が見つかったんだ』


 警視庁のデータベースにアクセスした杉浦が資料を見せてくれた。

5月28日、東京都八王子市で十代女性の遺体が発見された。

被害者は調布市に住む高校二年生。手で首を絞められた痕跡があることから扼殺やくさつと断定された。


殺人容疑で逮捕された男は八王子市在住の三十一歳のサラリーマンだ。美夜は動機に着目する。


「動機は性行為の強要を断られたから……? 被害者は高校生で被疑者は三十一ですよね。被害者が援助交際をしていたということですか?」

『まぁそうなる。今風の言葉だとパパ活と言うらしいな。以前に小山主任が被害者の聴取をしているんだ』


杉浦がデータベースを操作して画面が切り替わる。


『小山主任が聴取したって、被害者も何かやらかしたんですか?』

『去年から今年の初めにかけて関東で起きた未成年者の集団自殺。お前達が一課に入る前の事件だが耳にはしてるだろ?』

「犯罪組織カオスに絡んだ事件でしたよね」


 美夜と九条は頷いた。警察官ならば9年前の2009年に壊滅した犯罪組織カオスの名と組織の実情は周知だ。

カオスのトップ、キングと呼ばれていた男はある種のカリスマ性の人気を誇り、キングの逮捕後も彼の釈放を要求するデモや自分こそがキングの後継者だと名乗る者達が新たな犯罪組織を結成して暴動を起こしていた。


2017年春から頻発していた未成年者の集団自殺も犯罪組織カオスの復活を望む者達が裏で暗躍していた。美夜と九条の上司の小山真紀、先輩の杉浦、一課長の上野恭一郎は共に犯罪組織カオスに関する捜査に携わっていた。

(早河シリーズ完結編【魔術師】の事件)


 パソコンには未成年者集団自殺事件のデータが表示された。

幼い顔つきの男女の顔写真がずらりと並んでいる。集団自殺した少年少女達だ。

杉浦が右から三番目の少女を指差した。


『この子が集団自殺した稲垣いながきあや。絢をいじめていたのが今回八王子で殺された井上いのうえ香菜かな。絢と香菜は高校の同級生だった』


同級生をいじめて自殺に追い込んだ香菜は援助交際の相手に殺された。

この世は因果応報だ。人を傷付ければ今度は自分が傷付けられる。


『うわっ。ネットニュースのコメント欄も井上香菜への誹謗中傷だらけですね。しかも父親が調布市の教育委員会幹部ってことで父親や教育委員会まで叩かれてる』


 九条に見せられた井上香菜殺害のネットニュースのコメントには援助交際をして殺された香菜を中傷する内容で溢れていた。


―――――――――――――――――

JKビジネスは売る方も買う方も悪い

「買う大人」はいなくならないよね

父親は教育委員会の幹部だって?自分の娘の教育もまともにできないのに教育委員会幹部とか呆れる

女の子も結果を想像していない

数万円で見知らぬ男と二人で会う約束をする未成年も頭おかしい。自業自得。

性行為強要して断られたからって殺す男もヤバい。女も肉体関係を強要されないと思っていたのだとしたら馬鹿だね

_________________


 どこで情報が漏れたのか知らないが香菜が未成年者集団自殺で自殺した少女をいじめていたとの書き込みもあり、天罰が下ったと吐き捨てる人間もいる。

コメントの書き込みを見る限りは誰も命を奪われた香菜に同情していない。


この世が本当に因果応報ならば、正論であっても無闇に人を誹謗中傷する人間達にも何らかの天罰が下るだろう。

正論は時として鋭い刃になって自身に斬りかかる。


『井上香菜はいじめをまったく反省してなかったらしい。あげくに援助交際だ。被害者に同情はできない。だけど小山さんの気持ちは複雑なんだよ。あの時、大人が正しい道を示してやればって後悔してた』


 高校生は善悪の区別のつく年齢だ。いじめも援助交際も世間的にはからぬことだと香菜も認識していたはず。

自業自得と中傷されても仕方ないと美夜には思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る