95話 歴史が始まったぞ

 さて、モリーが連れてきたスタブロス。

 こいつは里の記録をつけるのが仕事になったわけだが、これに興味を示したのが弟ウシカだった。


 どうやら記録は粘土板に刻むようなのだが、土いじりが好きな弟ウシカはスタブロスの手元を不思議そうに見ている。


「この模様はいかなる意味で刻んであるのだ?」

「これは文字といって、言葉を形にしたもので――」


 リザードマンに慣れていないスタブロスも、はじめは戸惑っていたがすぐに打ち解けたようだ。

 人間である彼をよく思わぬ者も当然いるが、徐々に馴染んでいってほしい。


「うむ、里の歴史を刻めばそれは民の誇りとなり、記録をつければそれが裁きの前例になる。史官の役割は大切なものだ」


 スタブロスの仕事ぶりを見守っていたスケサンもご満悦だ。


「記録や暦を扱う史官は世襲になりがちだ。だが、覚えたい者がいれば字を教えてやってくれ」

「はい、今日は里長の記録を書きたいと思います。とりあえず1つ作って、皆に見てもらいます」


 当面、記録は粘土板に刻んで焼き締めるようだ。

 パピルサがあればいいのだろうが、文字の文化がない森に紙があるはずはない。


「里長とホネカワ様の話をうかがって書いたものですが、確認いただけますか?」


 スタブロスは書き上がった数枚の粘土板を並べ、読み上げる。

 弟ウシカが手伝っているが、興味があるのだろう。


混沌の王ごちゃ混ぜの里長ベルクは遥か北よりきたる。精霊王に仕えし戦士スケサブロウ・ホネカワに導かれを拓く。その妻は森のエルフ族長アシュリン。ベルクはこの地において魔獣を退治し、諸族の争いを鎮め、外敵を退ける。その徳を慕い百の種族が集い――」

「おいおい、ちょっと待て」


 思わず俺はスタブロスの言葉を遮った。

 先ほどの文は、どこか分からないが……なにか変だ。


「どうしたのだ? なにか問題があったか?」


 スケサンが怪訝そうに訊ねてきた。

 スタブロスは不安げな表情を見せ、弟ウシカはすこし不機嫌そうな顔をする。


「いや、なんというか変じゃないか? これじゃ、俺が偉業をなした大人物みたいだぞ?」


 俺が疑問を呈すと、スケサンは弟ウシカと顔を見合わせた。


「あ、あの、細かいところはまた別に書くつもりです。駄目なところは直せますし」

「いや、なんというか大げさなのはやめないか。俺は特別ななにかを成したわけじゃないからな」


 スタブロスは不安げに俺の反応を窺っているが、そんなに変なこといってないだろう。

 皆の俺がおかしいみたいな反応は納得いかない。


「ベルクよ、謙虚けんきょ卑下ひげは違うぞ。おかしな謙遜けんそんはするでない」

「いやいや、しかしだな――」


 これは記録として残るのである。

 うまく説明できないが、過度に英雄的なのは駄目だろう。

 あまりに創始者を美化しすぎて子孫が貴族化なんかしたらたまらない。

 俺はそういうのが嫌で国を捨てたのだから。


 そういうことを伝えたいのだが、うまく言葉にできない。


「ふむ、ベルクよ。オヌシは北より来て、私と共に里を拓いたな?」

「まあな。それは間違いない」


 スケサンは「よしよし」と頷き、スタブロスになにかを説明する。


「オヌシの妻はアシュリンはエルフの族長だ。そして皆で巨大なヤガーを退治したな?」

「うん、間違いない」


 またもスケサンはスタブロスになにやら指示をだした。

 どうやら修正させているようだ。

 粘土板は焼かなければいくらでも書き直せる。


「リザードマンとよしみを通じ、イヌ人、オオカミ人、ドワーフなどを迎え入れた。中にはいがみ合う種族もいたであろう?」

「そうだな。トラ人やヘビ人……クマ人にキツネ人もいたな」


 いつの間にか里には種族が増え、数えるのも大変だ。

 というか、すでに混血もいるから把握はできないだろう。


「そして大きくなった里は人間に見つかり、何度も交戦した……これは確認するまでもなく、スタブロスが詳しいだろう」

「いえ、本当によく知らないんです。政治には興味がなかったので……布告官が街角で騒いでるのを見かけたくらいです」


 スケサンが「布告官とは法令を皆に伝える役人だな?」などと確認しているが、なにやら心当たりがあるようだ。

 スタブロスは政治に興味がないといっているが、官職にはそれなりに知見があるのかもしれない。


「さて、ベルクよ。手直しをしたが確認せよ」

「ほとんど変わっていませんが……」


 ほどなくして、スケサンから声がかけられた。

 読み上げるスタブロスは不安げな表情だ。


混沌の王ごちゃ混ぜの里長ベルクは遥か北よりきたる。精霊王に仕えし戦士スケサブロウ・ホネカワと共にを拓く。その妻は森のエルフ族長アシュリン。ベルクはこの地において仲間を率いて魔獣を退治し、諸族の争いを鎮め、外敵を退ける。その徳を慕い数えきれぬ種族が集い交わる」


 スタブロスが読み上げる文は先ほどと変わらないようにも聞こえる。

 だが、スケサンと確認したように事実のみが書かれているのは理解できた。


「これは美辞麗句ではないぞ。オヌシの成したことが偉業に聞こえたのならば、それは間違いなく偉業なのだろうよ」


 スケサンは嬉しげに「クックック」と喉を鳴らす。

 これには反論しようもない。


「まだ細かい事柄は別で書かねばならんだろうな。こうして歴史に名を刻むのは戦士の誉れであろう?」

「そうだな。優れた戦士は語り継がれるものだ……だが、自分のこととなると複雑だよ」


 故郷では勇敢な戦士たちの事跡を何度も聞いたものだ。


(ひょっとしたら、偉大な戦士たちも本人は複雑だったのかもな)


 なんとなくおかしみを感じ、俺もスケサンにつられて笑ってしまう。


「話を絵にした。見てみろ」


 不意に黙っていた弟ウシカが声をあげた。

 なにやら余っていた粘土板に絵を描いていたようだ。


「あっ、上手いですね」

「うむ、これはヤガーだな。よく描けておる」


 そこには俺がヤガーを絞め殺す姿が描かれている。

 弟ウシカは凝り性で、ものつくりが好きだ。

 今までも焼き物に絵付けなどもしているため絵が上手い。


「うむ、これはよいな。文字と共に絵も見せれば皆の理解も進むだろう」


 スケサンは感心して何度も「ほうほう」と頷いている。

 たしかに文字だけより絵があった方が面白い。


「ベルクよ、これは芸術というものだ。衣食が満ちればこうした文化が生まれてくる。こうした営みもまた、人には必要なものさ」


 スケサンは「それにしても」と言葉を続ける。

 実に楽しそうだ。


「弟ウシカは名手だ。文字を学び、スタブロスの記録を絵で助けてやってくれ」


 スケサンが絶賛すると、弟ウシカは嬉しげに目を細めた。


 少し後の話になるが、文字や絵の記録は大きな甕や壺に描くことが増えたようだ。

 身近なものにすることで皆が文字に興味を持つようにとスタブロスと弟ウシカが工夫をしたらしい。


 こうして俺たちの歩みは記録に残され、歴史の一部となったのだ。




■■■■



建国物語


国を興した英雄の歩みを記す物語は世界中に残っている。

中には明らかに誇張されたものもあるが、多くの民族にとって建国物語は民族的なアイデンティティの拠り所である。

近い将来、様々な種族が登場するベルクと家族たちの記録は、寄り合い所帯の里の民に共通の価値観と精神性を生み出す象徴的なものになるのかもしれない。

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