94話 失われた故郷

 冬も過ぎ、木々が芽吹き始めたころにモリーが拾った人間をつれてやってきた。


 どうも巣籠もりをしている間に子供ができちゃったから、ごちゃ混ぜ里に移住したいのだとか。


「まあ、いいんじゃないか?モリーもこの人間が気に入ったんだろ?」

「はい。スタブロスさんは子供のために残ってくれるって約束してくれたんです」


 モリーはニコニコしているが、よほどこの人間を気に入ったものらしい。


「ふむ、スタブロスよ。故郷に未練はないのか? 戦で取り交わされた協定により帰郷は妨げぬぞ」


 スケサンの言葉にスタブロスはピクリと眉を動かしたが、ハッキリと「1人では帰りません」と口にした。

 微妙ないい回しだが、モリーと腹の子を捨てては帰らないということだろう。

 モリーも少しホッとした様子だ。


「特に問題はないだろ。体はいいのか?」

「はい、まだ少し足が痺れているのですが……不思議なことに子供ができてから調子もよくなりました」


 病は気からという。

 これは子供ができて心の充実があったのだろう。


「ふむ、ならばスタブロスには人間の情報を教えてほしい。だが、故郷のことゆえ無理強いはせぬ」

「そうですか、でも俺は商家の出だし、なにも特別なことは――」


 スタブロスの言葉にスケサンが「ほう?」と食いついた。

 なにか興味を引かれたようだ。


「商家か。ならば読み書きはできるな?」

「はい。でも、古語はできません」


 スケサンは「少しまて」と館を出ていった。

 なにやら思いついたことがあるようだ。


「まあ、常設の市もスタブロスの話からなんだろ? スケサンも人間の国のことで聞きたいことがあるのかもな。他にも気がついたことがあればなんでもいってくれ」

「いや、本当に大したこと知らないんですよ……」


 俺も別にスタブロスを気に入ってるわけではないが、産まれてくる子供が『人間の子』だと肩身が狭くなってはまずい。

 これからはこうして外で声をかけるようにしたいものだ。


 適当な話をしているうちに、スケサンが帰ってきた。

 なにやら小脇に抱えているようだ。


「うむ、待たせたな。これを見てくれ」

「うん? 地図だな」


 スケサンが持ってきたのは人間の地図だ。

 これまでの戦いでいくつか手に入れたやつである。


「オヌシが読める字とはこれかね?」

「あ、はい――そうですね。意味がわからない記号とかもありますけど、字は読めます」


 スタブロスの言葉を聞き、スケサンは「よしよし」と頷いた。


「なら重ねて問うが、オヌシはこの里で何かやりたいこと――まあ、職業とかだな。なにか生きていく術はあるかね?」

「……すいません。それは、まだ……」


 スタブロスが気まずげに口ごもると、モリーがすかさず「大丈夫ですよ」とささやき、寄り添った。

 モリーはジト目でスケサンに『私の男をいじめるな』といわんばかりの視線を送る。

 スケサンに恩義を感じている彼女にしては珍しいことだ。


「モリーよ、思い違いをするでない」


 スケサンは苦笑し「文字だよ」と告げた。

 そこに嫌みや皮肉の色はない。


「ベルクよ、私の知る文字は、オヌシの知る文字とまるで違うものであったろう? 人間の文字も別物だ」


 俺は「そうだな」と頷く。

 実はごちゃ混ぜ里には文字はない。

 そもそも大森林の民は文字が無い文化の種族が多いのだ。

 あれば便利なのかもしれないが、実際に不便もないし気にしたこともなかった。


 ちなみに、鬼人には文字がある。


「うむ、そこでだ。スタブロスさえよければ、史官を任せようと思うのだが、どうかね?」

「ん? 史官とはなんだ?」


 スケサンがいうには、史官とは文書や記録を扱う仕事らしい。

 歴史や事件を記すだけでなく、時には暦や地勢も研究するそうだ。


「そんな難しいことは……その、とてもできそうにないです」

「まあ、まて。初めはこの地図からだな。ここに記してある言葉を教えてほしいのだ」


 スタブロスは地図を眺め「そのくらいなら」と自信なげに呟いた。


「ここが大森林です。ここが故郷のエーリス」

「ふむ、ここがメナンドローポリだな」


 スケサンは「ほうほう」と喜んでいる。

 いまさら地図の確認とは、逆襲でもする気なのだろうか。


「ここは荒野だな。ベルクはここを渡ったのだろう?」

「ああ、荒野にはラクダ人やミーアキャット人てのがいてな。そいつらにくっついて渡ったんだ。でも大軍の移動は無理だな」


 俺の説明を聞き、スケサンは「なるほど、それも書き加えてくれ」とスタブロスに注文した。

 スタブロスは炭を削った筆で地図に文字を書き込んでいく。


 そして、スタブロスの指が俺の故郷を示し、聞き捨てならない言葉が飛び出した。


「ここは鬼人王の領地と書かれていますが、いまは北方開拓地フロンティアと呼ばれています」

「ちょっと待て、今は鬼人王の領地ではないのか? 今の……いや、もうしばらく経つが、鬼人の王ムフタールはどうしたんだ? 戦死したのか?」


 俺の勢いに圧倒され、スタブロスは「あの、よく知らなくて」とうろたえた。

 その様子がまた、俺をイラつかせる。


「まてまて、1つずつ確認しようではないか。この地は今、鬼人の土地ではないのか?」

「はい。もう十何年も前に同盟都市の連合軍が勝ったんです。俺の親父も従軍したんで間違いはないです。それで今は人間が開拓してます」


 この言葉にはさすがに衝撃を受けた。

 十何年も前とは俺が大森林にたどり着く前かもしれない。

 つまり、俺がフラフラしてる間に鬼人と人間で決戦があり――


(負けたのか)


 悔しい、という気持ちはある。

 だが、同時に『やはりな』とも感じざるを得ない。


「俺が出てくる前はかなりボロボロだったからな。仕方ないといえば仕方ないだろう」


 俺が知る中でも、鬼人の社会は衰退しきっていた。


 戦が続き、減った戦士を補うために混血が進み、血が薄まった。

 血の薄い、弱い鬼人は戦を倦み、帰属意識が稀薄になった。

 

 かつて無敵を誇った鉄の団結は失われ、こうして国を捨てる不心得者がでるほどに疲弊していたのだ。


 そして戦で敗れれば全てを奪われる。

 なんのことはない、奪う側だった鬼人も奪われる番がきただけだ。


(だが、しかし――)


 俺の心を察したか、スケサンが「鬼人王のことなど、詳しいことは分かるか?」とスタブロスに訊ねてくれた。


「すいません、俺もよく分からなくて」

「気にするな、短命種に10年は長い。産まれる前の話だろ?」


 俺が「気にするな」と庇ったのに、スタブロスは「いや、産まれてますけど」などと不満をこぼした。

 かわいくないヤツである。


 その後もスケサンとスタブロスは地図を見ながらやり取りをしていたが、俺の耳には今一つ入ってこなかった。


(そうか、滅んだのか)


 半ば忘れていた故郷。

 滅び去った故郷の思い出なんてろくなものがない。


(そう思っていたんだけど、な)


 久しぶりに死んだ両親のことを思い出そうとしたが、もう声も思い出せないようなおぼろげな記憶だ。


 意外なほど落ち込む自分に気づき、少しばかり驚いた。




■■■■



文字


恐らくは鬼人など、長命種が使う文字が『古語』である可能性が高い。

だが、長い時を生きる長命種は総じて記録をとることに淡白であり、自然と衰退していったようだ。

スタブロスは古語を知らないが、これは無理もない。

現実でも100年前の手紙をスラスラ読める者は稀、文字とは意外なほど速く変化するようだ。

余談ではあるが、ベルクも言及しているように森では文字がない文化が主流。

多くの伝承は口伝である。

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