93話 子守は大変だぞ

 季節は冬を迎えた。

 里は落ち着きを取り戻し、より賑やかになりつつある。

 人間の軍を追い返したことでよしみを結びたいと申し入れてきた里もあるし、里に住みたがる流れ者も増えたのだ。


 特に大きな変化は『店』だ。

 モリーが拾ってきた人間が商家の者だったらしく、話を聞いた彼女は里の者にそれを伝えた。

 するとすぐに『やってみようか』という話となり、あれよあれよと毎日商売をする市が立つようになったのだ。

 これまで市は隊商が来たときだけだったので、これは大きな変化である。


(その人間は……名をなんといったかな?)


 どうも体を壊しているらしく、俺も2~3度会ったかどうかといった程度である。

 モリーはかわいがって世話をしているようだが、まあ、その辺は色々あるのだろう。

 ひょっとしたら立派に成長した弟、ピーターの代わりなのかもしれない。


 そして、我が家にも変化があった。


「そ、それじゃあ行ってくるぞ。4日か5日で帰るからな。し、シーラのことは女衆に頼んであるから」

「ああ、ゆっくりしてくるといい。なるべく俺もシーラと一緒にいるようにしよう」


 エルフの族長になったアシュリンはなにやら祭事があるそうで里に向かうのだ。


 最近理解したのだが、エルフ社会において『族長』と『里長』は別物であるらしい。

 分封などをした先で里を拓いても、それは『里長』であり、里のまとめ役でしかないようだ。

 今のエルフ族で最大の里長はバーンの父ドイル氏である。

 彼は長老衆と諮って里を運営しているわけだ。


 一方で『族長』は当代に生きるエルフの代表として祖霊と語らう存在だそうだ。

 それは彼らにとって大切な役目らしく、権威があるために里長も兼務する場合が多いらしい。


 まあ、俺にはよくわからんがアシュリンたちの追放も解け、里に入るときには顔に独特のペイントをするそうだ。

 ごちゃ混ぜ里ではエルフと確執があった種族も多いのでペイントはひかえてるそうだが、アシュリンは美人なので俺もペイントしないほうがいいと思う。


「し、シーラの着替えは分かるか?」

「分かるよ、大丈夫だ。俺だって毎日見てるんだから平気だよ」


 アシュリンはいつまでもシーラに「か、母ちゃんいなくて平気か?」とかやってるが、平気でないのは自分ではなかろうか。

 シーラも「へいき」といっているし、問題はないだろう。


「飯は館で食べるし問題ないだろ。気をつけてな」

「うん。し、シーラをよろしくな」


 なおも名残を惜しむアシュリンを見送ると、途端にシーラが泣き出した。

 めそめそと「かあちゃん、かあちゃん」とすすり泣くのだが、意味が分からない。


「なんで泣く必要があるんだ?お前も母ちゃんいなくても平気だっていったじゃないか」


 俺が思わず苦笑すると「いない、いない」とわんわん泣き出した。

 さすがにちょっとうっとうしい。


「母ちゃんはな、しばらく帰らないっていっただろ? そんなに泣くと母ちゃんが心配するだろうが」

「ぎえーっ! かあちゃん! かあちゃん!」


 いくら待てどもシーラは泣き続けている。

 泣き疲れたかな? と思うと「おい、おい、おい」としゃくり泣いて息を整え、またギャンギャンと泣くのだ。


「もう父ちゃんにはどうしたらいいのか分からん。放っといていいか?」


 俺の言葉が利いたのか、シーラはピタリと泣き止んだ。

 なにやら力んでいるが、悲しみを堪えるためにくいしばっているのだろうか。


(いや、なんか臭いな?)


 明らかに臭い。

 先ほどから力んでいたシーラからスッと表情が抜けたところを見るに、脱糞したのだろう。


「うんち」

「そうか。だけど次からはする前にいうようにな」


 こうしてシーラは泣き止んだが、困ったことが1つ。

 俺は他人の下の世話などしたことがないのだ。


(うーん、今まではアシュリンに任せきりだったからなあ)


 ちなみに故郷じゃ子守りは戦士の仕事ではなかったし、アシュリンがしていることを気にしたこともなかった。

 それに愛娘とはいえ糞の世話は気が引ける。


「くさい」

「オマエの糞だろ」


 たしかアシュリンは女衆に世話を頼んだとかいってたはずだ。


(しかし、糞もらしたから世話してくれとはいいづらいものがあるな……)


 いつもならモリーにでも頼むのだが、あいにく彼女は拾った人間に夢中で最近は顔もあまり見ないのだ。


 だが、こうしていても糞はなくならない。


「くさい」

「たしかに臭いな。とりあえず外に行くか」


 部屋が臭くなったので、娘を連れて外に出てみた。

 風のある外でも臭いものは臭い。


「さて、女房たちは織物か、川で洗濯か。なら川のほうが……いや、川で尻を綺麗にするのはいいが、シーラが風邪をひいてもいかんな」


 俺がぶつぶつとやっていると、見知った顔が現れた。

 ヤギ人の若者ピーターである。


(おっ、ちょうどいいのが来たな)


 彼は姉のモリーが人間とイチャつくために家から追い出され、ウチで寝泊まりさせていた時期がある。

 シーラも慣れてるし適任だろう。


「ピーター、尻を拭いてくれ」

「ええっ!? お尻を?」


 なにやら妙に驚いているが、俺の尻を拭くとでも思ってるのか。

 シーラをずいっと差し出すと、ピーターは少し安心した様子を見せた。


「あ、シーラちゃんか」

「そうだ。今日からアシュリンがいなくてな」


 シーラが俺の「アシュリンがいない」という言葉に反応してぐずりだした。

 だが、ピーターはうまくあやしながら井戸に連れていき、尻を清めている。


「にいちゃん」

「はは、シーラちゃんは大人しいな」


 シーラも馴染みのあるピーターにはよく懐いていて大人しく尻を拭かれているが……娘の尻を人前に晒すのもなんなので、俺も見て覚えたいところだ。


「服は洗濯場の人たちに渡しとくね」

「すまんな。助かったぞ」


 ピーターは「それじゃ」と立ち去りかけたが、ここでトラブルが起きた。

 シーラがぐずりだしたのだ。


「おいおい、父ちゃんが着替えさせてやるっていってるだろ」

「やだーっ! にいちゃん! にいちゃん!」


 どうしたことかシーラはピーターと離れようとするとギャン泣きするのだ。

 これにはピーターも苦笑いである。


 そして、協議の結果……俺が洗濯場に行き、ピーターが着替えさせたわけだ。

 どうも釈然としないものがあるが、幼児の気まぐれに本気で怒るのもよくないだろう。


 しかし、シーラのきまぐれは続いた。


 それからというもの、シーラは食事も俺が与えると「いや! いや!」とぐずるし、寝るのも「いや! いや!」である。

 その度にピーターが召喚されるわけだが、さすがの俺も傷つくぞ。


 結局、シーラはピーターにベッタリで一緒にパコの世話をしたり、泊まりにいったりしている。

 自分の娘が未婚の男の家に通うなど想像もしていなかった苦しみだ。


「シーラ、今日は父ちゃんと遊ぶぞ」

「いやー! とうちゃん、いや!」


 さすがにこれは傷つくだろう。

 ムカついたのでシーラをピーターから引き離すことにしたのだが、案の定ギャン泣きである。

 だが、俺も親父の意地がある。


 シーラを小脇に抱えて里から出てみた。


「いやっ! いやっ! にいちゃん! にいちゃん!」

「やかましい! もう助けは来ないぞ」


 なんだか人さらいのようだが、親子なので問題はあるまい。

 しかし、衝動的に外に出たはいいが、行くあてもない。


(うーん、母ちゃんに会いたがってたし、エルフの里にでも向かうか)


 ここは無難にアシュリンを迎えにエルフの里に向かうことにした。


「今から母ちゃんに会いに行こう。それならいいだろ?」

「かあちゃん……? かあちゃん!」


 シーラも現金なもので母ちゃんと聞いただけでニコニコしている。


(そうか、始めからアシュリンをダシにすればよかったのか……)


 俺は1つ賢くなった。


 とはいえ、エルフの里はわりと遠い。

 俺はシーラを肩に乗せ、森を駆けた。

 全力ならば日暮れには間に合うはずだ。


 森の中でも、もはや迷うことなどはない。

 半日ほど駆け続けたが、シーラはぐずったりせずに大人しくしていた。


「そ、そんなに慌ててどうしたんだ!?」

「いや、シーラがアシュリンの顔が見たいっていうからさ」


 俺が全力で走ってきたからエルフの里では大騒ぎになったが、それはまあいいだろう。

 アシュリンは「そ、そんなに母ちゃんに会いたかったのか?」とご満悦である。


「かあちゃん? ぎえーっ!」

「な、なんで泣くんだっ!?」


 そして、シーラはアシュリンのペイントを見て泣いた。

 たしかに見慣れないと驚くのも無理はない。


(しかし、思いのほかショックを受けてるな……)


 さすがに無理やり娘を連れて来てアシュリンを悲しませてはバツが悪い。

 俺はこっそり「実は俺が心配で来てしまった」とアシュリンに耳打ちしてご機嫌をとることにした。


 我が家は女ばかりで扱いが難しい。

 次は男が欲しいもんだ。




■■■■



通貨


ごちゃ混ぜ里では通貨はなく、基本的には物々交換だ。

だが、皆が欲しがるので通貨の代わりに使われるモノはいくつかある。

銅製品の指輪や腕輪などのアクセサリー、酒、布である。

常設の市ができたことで経済が発展すれば、銅の指輪などが共通の通貨になるのかもしれない。

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