92話 別れの季節

 生き物はいずれ死ぬ――当たり前のことだ。


 だが、この当たり前のことが受け入れがたい時もある。

 そのうちの一つが自分に近しい者が死にゆくときだ。


 ごちゃ混ぜ里で、俺は家族との別れが近づいてきたのを感じていた。

 ウシカだ。


 彼は完全に失明してより体調を崩していたが、そこを病魔に目をつけられたらしい。


 ウシカは衰病に犯され、すでに息も絶え絶えの様子なのだ。

 アシュリンの薬もヘビ人の祈祷も効果は薄く、もはやなす術はない。


「う、ウシカは心配だな……でも、これ以上強い薬なんてないし」


 アシュリンは薬研でゴリゴリとウシカに分けている薬草を挽いているが、ずいぶん前から病を癒す薬ではなく、苦しみを緩和する薬に切り替えているらしい。


「ウシカはなんの病気なんだ?」

「な、なんの病気っていうか……うーん、難しいな。か、体の色々なところが働いてないんだ」


 アシュリンいわく「これは寿命だな」とのことだ。


 老衰と考えれば、本来のリザードマンの寿命から考えれば異例の早さである。

 だが、盲目になったことが心身に大きな負担をかけていたのは想像に難くない。


「そうか、ウシカは苦労したものなあ……おっと、誰か来たな」


 俺が呟くと、見計らったように弟ウシカが訪れてきた。

 里長の家には色々な者がやってくるので珍しいことではない。


 だが、弟ウシカはなにをいうでもなく、ただ俺をじっと見ている。


「どうした? 親父の薬を取りに来たのか?」

「……違う。薬はもらうが、違う。親父どのが里長と先生に挨拶をしたいそうだ。末期の挨拶だ」


 弟ウシカの言葉に俺とアシュリンは思わず顔を見合わせた。

 先ほどの会話は虫の知らせというものだろうか。


「分かった。すぐに向かおう」

「いや、先生を呼んでくるから一緒に来てほしい」


 弟ウシカはそれだけをいい残し、素っ気なく出ていった。


(末期の挨拶、か)


 リザードマンは涙を流さないが悲しみを知らないわけではない。

 弟ウシカの心中はいかばりであろうか。


「し、心配だな」


 主語のないアシュリンの言葉に、俺は「ウシカか?」と問い直す。


「違う。お、弟ウシカだ」

「……そうだな。そっちも心配だ」


 アシュリンは挽いた薬草を混ぜ合わせ「女ウシカに届けてくれ」と俺に押しつけた。

 彼女もまた、やり場のない感情に苛立っているのだ。


「べ、ベルクは長生きしなきゃだめだぞ」


 アシュリンに言われて、はたと気がついた。


(そうか、いつかは俺も死ぬんだな)


 当たり前のことだが、普段は考えもしないことだ。

 しかし、自分の死を想像しても、なんのイメージも湧いてこない。


 俺はアシュリンの言葉に曖昧に頷くことしかできなかった。




☆★☆☆




 ほどなくして、俺はスケサンと共にウシカの家を訪ねた。

 この場には女ウシカも弟ウシカもいない。

 つまり、俺たちだけに話があるということだろう。


「呼び立ててすまぬ、ベルクどの、スケサンどの」


 意外なことに、ウシカは座ったまま俺たちを迎えた。

 驚くべきは盲目の彼がピタリと俺たちの気配を察したことだろう。

 目ではなく、他の働きで気配を探る術を身につけたに違いない。


「いや、ずいぶんよさそうじゃないか。末期なんて聞いたから驚いたぞ」


 俺とスケサンも適当な所に座り、ウシカと向き合った。


(痩せたな)


 リザードマンの顔色はよく分からないが、彼は見るからに痩せた。

 ふくよかで健康そうな女ウシカと比べれば彼の病はハッキリと見えるほどに濃い。

 

「……いや、そうでもないのだ」


 ウシカは苦笑と共に否定する。

 力のない、ヤスリをかけたようなざらついたしゃがれ声からは生命力を感じることができない。


「まずは礼を言わせてくれ。お二人に助けられなければ我らは野垂れ死んだであろう。今日まで命を長らえたことに感謝を」


 その言葉を、俺とスケサンはじっと黙って聞いた。

 この里で――いや、大森林でウシカの功績は計り知れない。


 いまやリザードマンが農耕し、イモを育てるのは当たり前のことだ。

 イモは彼らの主要な交易品となり、さまざまな種族が喜んで口にしている。


 これは全て、ウシカが農耕を始めたがゆえなのだ。

 今、里では様々な作物を育てているが、これも農耕を発展させてきた結果だろう。

 この盲目のリザードマンは間違いなく、大森林に新たな歴史を書き加えた偉人なのである。


「そして、訊ねたきことがあるのだ」


 ウシカはボソリと「我もスケルトンになれるであろうか」とスケサンに訊ねた。

 これには俺も驚くより他はない。


 リザードマンにはリザードマンの弔いの文化がある。

 それを捨ててスケルトンになるというのか。

 それに、今までスケルトン隊に加えられた者は敵対者であったり、野垂れ死にの死者だった。

 つまり、進んでスケルトンになりたいという者は初めてのことなのだ。


「……できる、ともいえる。できない、ともいえる」


 それに対するスケサンの答えは曖昧なものだった。

 まるでなぞなぞのような話だ。


「体はスケルトンの材料にはなるだろう。だが、それはウシカではない。スケルトンに自我はないからだ。果たしてそれがスケルトンになるといえるであろうか」


 スケサンははぐらかしたり、誤魔化したりすることなく、正直に伝えたのだろう。

 その言葉からは誠意を感じた。


「そうか、ならば質問を変えよう。我が体を使ったスケルトンはめしいているだろうか?」

「……否だ。スケルトンは視界に頼ることはない。他のスケルトン同様の働きをするであろう」


 ウシカは満足げにリザードマン独特のギザギザ歯を見せて笑う。

 その答えが欲しかったといわんばかりだ。


「ならば我の骸をスケルトンの端に加えてほしい。1度くらいは戦場で皆と肩を並べたいと思っていたのだ。スケルトンになって叶うのならば、この身の死は好ましくさえ思える」

「承知した。その願いは叶えよう。ベルクが証人だ」


 ウシカの望みはスケルトンとして戦うことらしい。


 リザードマンは知勇に優れた戦士の種族だ。

 視力を失い、戦えなくなった自身に思うところがあるのだろう。


(俺は――どうだろう? 戦士として死にたいだろうか?)


 その問いに、答えはでなかった。




☆★☆☆




 それから数日後、ウシカは息を引き取った。

 それはまるで枯れ葉が枝から落ちるような、自然な死だったらしい。


「ベルクよ、ウシカは実に見事に生き、見事に死んだな。実に立派なことだ」

「うん、まあ、そうかな。ウシカは立派なやつだったよ」


 スケサンの言葉は分かるような気もするが、よく分からない気もする。

 ただ、ウシカは立派なやつだったと思う。


「うむ、それでよい」

「ん、なんかあるのか?」


 スケサンは少し考え「伝えたいことがある」とハッキリ口にした。

 これには俺も少し身構えてしまう。


「実はな、私にも寿命が近づいているようなのだ。洞穴にいたころより力の減少は感じていたが、ここ半年はそれが顕著なのだ」


 これには驚いた。

 スケルトンにも寿命があるのか。


「我と共に洞穴に転がっていた部下たちが風化したように、私にも時が来たようだ」

「そうか、それは近いのか?」


 俺の問いに、スケサンは「わからぬ」と答えた。


「1年後かもしれぬし、10年後かもしれぬ。ただ、今まで過ごした長い時を思えば残された時間はごく僅かなものだ」


 スケサンの言葉は穏やかなものだ。

 そこに焦りや悲しみは感じられない。


「そうか、それはまた……なんといったらよいのかな」

「クク、オヌシは素直ゆえにな。言葉が見つからぬのならば無理をする必要はない」


 スケサンは「ただ覚えておけ」とだけいい残し、その場を離れた。


 これはどう考えればよいのだろうか。

 情報が処理しきれず、俺はその場でしばし固まってしまった。


 そして、その日から数ヶ月後、スケルトン隊の中にリザードマンのスケルトンが隊に加わったようだ。




■■■■



ウシカ


年齢的にはまだ中年だが、身心の負担により衰弱死をしてしまった。

やはり厳しい大森林の環境の中で視力を失うことは大変な苦労があったようだ。

ウシカの死後、本来ならば子供がウシカを襲名し、継がなかった子は別家として別の名を名乗る。

だが、ごちゃ混ぜ里ではそこまで厳密にルールを適用することもなく、兄ウシカ弟ウシカとして呼ばれているようだ。

そこには偉大な功績を残したウシカの遺徳を偲ぶ気持ちもあるのだろう。

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