第10話 出会い 3

軽口を叩きながら時間を待って再び扉を開けて階下に下りる。既に煙は消えていたが、目の細かい布で口と鼻を覆うことは忘れない。

 階下の隠し倉庫は面積としては小さく、精々猟師の山小屋を二つつなげたくらいの広さしかない。壁と同じく床も石造りで、その堅そうなベッドには男が三人仲良く伸びていた。薬はしっかり効いているらしい。

 アリアとラクスは手分けして商人達とブルーノを縛り、部屋の隅に纏めて転がした。今回の依頼は盗品の奪還であって罪人の捕縛は管轄外だから、彼等をどうこうする必要は別に無い。

「リストにあるものは大体あるが…この人形ってのは…」

 金の杯に燭台、香炉、その他なんだかよくわからない道具。装飾品の類は長持の中に収まっているようだったが、恐らく一番の目玉だったであろう儀式に使うという特別製の人形とやらが見当たらない。

 殆どの盗品がここで確認できた以上、盗品を分けて保管していることは考えにくい。人形の類は好事家に高く売れることはあっても、価値は大体作られた年代で決まる。儀式のために特注した新しい人形をブルーノが特別視するとは思えない。

「…足がつきやすいと判断して途中で捨てたか」

 人形の類を高く売るには確かな筋の鑑定書をつけるか、もしくは目利きの店主に売るしか無い。しかし、鑑定に持ち込んだとしても、儀式に使うような特別な様式のものならば出所を怪しまれる可能性は十分にあるし、闇市にいるような商人ならば、一目で教会に関係するとわかるようなものを扱うのは嫌がる。つまり、盗品を流すような人間にとって、今回の人形は価値が出にくい。

 捨てられたのならばラクス達にはどうしようもない。いや、ブルーノに捨てた場所を吐かせる手もあるが、儀式で使えるような状態で残っているかどうかは甚だ怪しいだろう。

「とりあえずそれが起きるまで探さないわけにもいかないな。アリア、お前その長持ちの中身確認しとけ。俺は周囲に人形を隠せる場所が無いか検める」

 ラクスが忌々しそうにため息をつきながらそう言うのに頷いて、アリアは長持の蓋に手をかけた。深い飴色に変色した木肌は経てきた年月を感じさせ、金具や装飾は蝶番を除けば本物の金だ。蓋には螺鈿の細工が施され、所々に宝石も象眼された長持は、納められた中身だけでなく長持本体の価値も計り知れない。重厚な蓋は重く、持ち上げると微かに香の馥郁とした香りが流れてくる。中に納められた装飾品の数々や、煌びやかな衣装。それらを収納する内側には深紅の天鵞絨が貼られていた。

 中に納められた古風な衣装や装飾品を、リストと照らし合わせて確認し、一致したものに印をつけていく。さほど時間をかけずに一通りリストに挙がったものに印をつけ終わり、アリアはそこで首を捻った。

「これだけ……?」

 重厚な長持。長さも幅も子供なら収まりそうな程。厚みも相当で、アリアの腿の半ば程まである。よくもまあこんな物を盗み出したと感心したくなる代物である。当然、収納量はそれに見合うだけのものがあるはずで、引き出しがついていなければ、収納部の上段部分が下段の蓋になっている構造だと思っていたのに、妙に底の浅い上段部分を調べただけで、リストの盗品は全て揃ってしまった。それに、教会の大事な衣装をしまうには、妙に物が重なって入っていた気がする。金糸の縫い取りや宝石飾りのある衣装を、こんな風に詰め込むように保管するだろうか。飾りを引っかけてかぎ裂きでも作れば大事だ。

「……隠し扉」

 思い当たる可能性はそれしかない。

 金持ちがこういうものにからくりの仕掛けを仕込むことはよくある。店の帳簿、あるいは裏帳簿、隠し財産の場所や秘密の仕入れ先。そういうものをしまっておくのにうってつけだから、腕の良いからくり細工職人は一年以上先まで予約注文を抱えていると聞く。これだけの重さがあれば普通の盗人は中だけ持ち出す方を選ぶから、仕掛けに隠された大事なものは盗まれずに済む算段なのだが、今回は外側を派手に装飾したせいで、長持自体がブルーノのお宝になってしまったのだろう。なんとも本末転倒な話だ。

 アリアはぐるりと長持ちの周囲を回りながら、怪しい場所を調べてみた。勿論、それ自体なとんでもなく高価な美術品だから粗雑な扱いは出来ない。出来るだけ装飾の無い場所を選んで慎重に長持ちの底に近い部分を叩くと、コツンと隠し部屋に高い音が響いた。中が空洞である証拠だ。

「これは開けてみないとね」

 俄然やる気になって、長持を調べた。こういうからくりの中には、開け方を知らなければ絶対に開けられないような複雑なものもあるが、幸いなことにどうやらこれはそこまでのものでは無かったらしい。アリアが宝石の象眼された装飾の一部を捻るとそれが抵抗なくくるりと回り、かちりと音がして長持ちの中程の高さの部分から上部が指一本分ほどの幅で後ろに押し出される。どうやら片方の端に支柱が通してあり、そこを起点に上半分が回転して開く仕組みのようだった。

 仕組みを理解したアリアは、長持ちの上の部分を奥に押しやり、下半分の収納部分を大きく開く。どうやら仕切りがあって色々なものが分けて収納されていた上段と違って、下段はそれまるごとが大きな収納になっているようだった。

「え……?」

 そうやって現れたものに、思わずアリアは息を呑む。

 現れたものが、どう見ても人形などと呼べる代物ではなかったからだ。

 身長は少し小さめだろうか。立てばアリアの肩より少し下に頭が来るだろう。全体的に線が細い印象で、人が入るようには設計されていない長持ちの中にぴたりと収まっている。陶器と言われれば一瞬納得してしまいそうな肌は白く滑らか、指を組んだ格好はまるで棺に収まる死人のようだが、微かに上下する胸を見れば彼が死人や作り物ではないことは一目瞭然だった。

 もし少年が当たり前にその辺りで見るような外見をしていれば、アリアも無頼漢に攫われたか迷い込んだかした少年が、長持ちの中に身を隠した可能性を考えただろう。しかし、仰々しい刺繍の施された高位神官のそれのようなローブを見れば、彼が教会の関係者であることはすぐに察せられたし、それ以上に彼の体の周囲に広がった、月光を梳いて糸にしたような柔らかな銀色の髪にも注目せずにはいられなかった

「うそ…だって、こんな…」

 現実離れした見てくれではあるが、彼が人形ではなく人間で、しかも生きているのは間違いない。

「……きれいな子」

 視線が離せない。こんな外見の子供は見たことがない筈なのに、何故か無性に懐かしいような切ない気分になって、吸い寄せられるように手が伸びた。

 その白磁のような頬に指先が触れた瞬間。

「あっ、つゥ!!」

 ばちりと何かが爆ぜるような音を立てて、指先から火花が散る。途端に力が抜けるような奇妙な感覚が体を襲い、アリアは思わず石畳の上に膝をついた。

「どうした?!」

 異変を察知したラクスが血相を変えて駆け寄ってくるのが、視界の端にちらりと見えたが、アリアの視線は何かに引き寄せられるように、その少年から離れない。尻餅をついたままのアリアの肩を、支えるように彼が掴んだ時でさえ、アリアはラクスの方を見られなかった。

 長持の中から少年がゆっくりと上半身を起こし、伸び放題の髪を邪魔そうに払いのける。俯いていた顔がゆっくりと上向き、伏せられていた瞳がアリアを捉える。

 その瞬間、覚えた感覚を何と呼べば良いのか、アリアは知らない。突き上がってくる衝動に、泣きたいような思いに駆られるも、驚きの余り硬直した体はそのやり方さえ忘れてしまったようだった。

「おい、アリア?!」

 ラクスが肩を揺さぶっているのはわかるが反応出来ない。

 少年は暫くの間そんなアリアの様子をじっと見ていたが、徐に立ち上がって長持を出ると、アリアの傍にしゃがんで血の気が下がって冷たくなったアリアの右手を取った。

「やっと会えたね」

 海の底よりも深い真っ青な瞳が微笑み、白く細い手がアリアの手を握りしめる。

 ――温かい。

 死人には、人形には持ち得ない温度。命あるものの温もり。

 それを感じた瞬間、頭の中で何かがぷつりと切れたような音がして、墜落するように意識が遠くなっていく。

 焦るようにアリアを呼ぶラクスの声が急激に遠のいていく中で、アリアは昏く閉じたどこかで、誰かが自分を呼ぶのを聞いたような気がした。

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The world creation @houko3

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