第8話 出会い 1

「ふんふん、聖水入れる細工物の水差しと、礼服用の装身具、金の香炉と…長持?」

 そこでリストを読み上げていたアリアは、澱みなく続けていた声を止めた。

「どうした?続けろ」

「ねえ、これ見つけたらボク等が持っていくの?長持抱えて?」

「そんな訳あるか。発見を支部に報告すればそれでいい。ほら、続けろ」

「あー、良かった。えーっと…金細工の盃とー、銀細工の燭台がごっそり。あ、あと儀式用の人形だって。なんか特注の凄いやつって書いてある」

「最後の奴が本命だな、多分」

「人形なんて何に使うのかな?」

「俺に聞くな。教会の儀式のことなんか聞かれても知らん。…ここを東だな」

 アリアの言葉を受けて方向を確認するように空を見上げたラクスは、櫂で船を押し出して舳先の角度を調整する。

「次の角の方が近いんじゃない?」

「よく見ろ。水量が多い。この水位じゃ橋の下が通れない」

「…また上がってる気がするんだけど」

「雨季の後だ。仕方ないだろう。まあそうでなくともここの所良く降ると支部の連中がぼやいてたが…」

 言いながら水面に視線を落とし、ラクスは僅かに眉をしかめる。冷静に対象を観察する時の彼の癖だった。

 第二世界片、ラテウは古代語で水を意味するその名が示す通り、世界片の総面積のうち陸地はたった二割程度しか存在せず、大陸らしい大陸は無い水の世界である。広大の海のあちらこちらに群島のように島々が固まって存在しており、それぞれが一つの街のように機能しているこの世界片では、地理的条件からして水運が発達するのは必然、島間でのやり取りも盛んで商業も発達しているが、反面居住や耕作に適した陸地面積が極端に狭い。しかも旅人本部の調査によると、水位は年々僅かずつではあるが確実に上昇しているらしい。当然、住んでいる人々もそのことに気付いてはいるが、それでも嘆いてばかりはいられない。とにかく生きている以上生活していかなければならないから、人々は声高く掛け声を交わしながら船を漕ぐ。だからラテウの街はいつも賑やかだ。

 群島を成す島々の中でもアリア達のいるここカメンテールは陸地面積が一番大きく、商人の街として名高い。あちらこちらの島で取れた収穫物や、加工された細工物や魔具等々がそれぞれ市を成し、穀物を売りに来た者が肉を買い、或いは魔具を仕入れに来た者が宝石細工を捌いていく、交易場のような役割を持っていた。

 ラテウの島は、どんな小さな島であっても水源を持っている。大きな島であればあちこちに泉や湖があり、島は道の代わりに水路で縦横無尽に区切られていた。そのためラテウの島を行くならば徒歩や騎馬より船の方が話が早い。潮の満ち引きで地図が変わるややこしさはあるが、品物を移動させるのは陸運より水運の方が遥かに労力が少なくて済むからだ。だからラテウでは今ラクスが漕いでいるようなゴンドゥーラと呼ばれる小舟が主とした移動手段で、ラテウの出身者なら子供から老人まで櫂を操れるのが普通だった。

 水路に浮かんでいるゴンドゥーラは移動に使うものだけではない。品物を積み込んで商いをしている店船も相当あって、それらは少しでも人の目を引こうと鮮やかな彩色を施してあるから、カメンテールの水路は耳にも目にも賑々しい。

 人が集まれば情報も集まる。そして異分子は人混みの方が目立たない。それらの理由からラテウにおける旅人の支部、その本拠地はカメンテールに存在し、そして盗みを犯した旅人が盗品を捌きに来るのもまたカメンテールだ。何しろ雑多なものが集う街であるし、そもそも旅人の本部は生物と魔鉱石以外の世界片間持ち込みに関しては割と無関心である。旅人が個人的に犯罪に手を染めていても基本的には放置。依頼があれば粛々と対応するが、そうでなければ余程目に余る場合を除いて本部の旅人が動くことはない。

「で、目星はついてるって?そのおバカな旅人」

「ああ、どうやらブルーノっていう山賊崩れの男が主犯らしいな。他の人間はブルーノに金で雇われたってのが実情らしい。腕っぷしはそこそこだが頭の方はからっきしで、依頼の成功率は半分以下。それも大体は低ランクの魔材採取だの魔石運搬だのの地味な仕事で、稼ぎはそれほどのものでもなかったらしい。それでまた悪い『病気』が出たんだろうが…よりにもよって教会狙うとはな」

「脳みその半分くらいは筋肉で出来てるのかもねー」

 ラクスが呆れた風なのも仕方ない。

 元より教会と本部は水と油の間柄。末端の旅人と巡礼僧も遭えば冷たい火花か熱い拳のどちらかのやり取りになるが、上の折り合いの悪さはそれ以上だ。特に教会は、神に選ばれし者のみが入ることの出来る神聖な『神域』に、帰依もしていない者が踏み込むことは言語道断。世界片間に旅人が持っている商業ルートや情報網を放棄して、本来世界を統べる神の僕たる教会にその販路を譲るべきと、常日頃から主張している。勿論、その理不尽極まりない難癖を本部がまともに取り合ったことなど一度もないが、難癖つけてくるだけの相手は鬱陶しい。しかも教会は教会で、世界全土に散らばる各地の教会や修道会がかなりの土地や魔石の採掘権を持っている。当然ながらその土地や、採掘された魔石には旅人は手を出せない。お互いに目の上のたんこぶであることには間違いないのだ。

 その教会が、旅人本部に依頼をかける。それがどれだけ異常なことか。これが祭儀直前の今の時期でなければ、天地がひっくり返ったとしてもそんなことはあり得なかったに違いない。

 もしこれでラクスや他の旅人が盗品を見つけることがあったら、教会は旅人本部に一つ借りを作ることになる。世界の狭間を渡るものとして、己に唯一無二の正当性があると訴えている教会にとって、これ以上屈辱的なことはない。

 恐らく、盗品が返ってきたところで教会は盗人を絶対に許さない。主犯の男だけではない。盗みに関わった者は全員、地の果てまでも巡礼僧に追われることになるだろう。

 巡礼僧は教えに帰依した修道僧の中で素質を見出され、更に長年の修行を積んだ者達の集まりだ。養成に時間がかかる分、圧倒的に旅人よりも数は少ないが、その実力は高く、そして個々で能力にばらつきのある旅人よりも遥かに均質で、その上技術の幅も広かった。

 その巡礼僧に追われるのだ。彼等が今後安心して外を歩ける日は二度と来ない。

「ちょっと考えればわかることだと思うんだけどね。よっぽどお金に困ってたのかな?」

「さてな。俺達がそこまで考えてやる義理も義務もない。馬鹿は馬鹿らしい末路を辿るだけだろう」

 言いながらラクスは今いる大きな水路から分岐する小さな水路にゴンドゥーラを漕ぎ入れる。何度かそうやって複雑な水路を右に曲がり左に曲がり、そうやって入ったどことなく薄暗い風情の裏路地の一角に船をもやいだ。

 ラテウの道はとにかく入り組んでいる。一番面積の大きなカメンテールですらアリア達の住む第一世界片―ネセルテの郊外の街ほどの面積しかなく、その狭い面積を更に水路に細切れにされているから、一区画の広さは酷く狭いし道は細い。そもそも水路だって自然の河川を利用したものが大半だから秩序だった街造りは難しく、大通りから外れた区画の中には人の足が向きにくい、薄暗い路地もそこかしこに存在する。

 ラクスが船を入れたここも、汚水を処理する施設に繋がる地下水路が近くにあるせいで正規の商店や住宅は見られず、どう見ても怪しげな看板を掲げる店や、住む家すら持てない貧しい人々の板切れで作った掘立小屋がそこかしこに点在している地区だった。

 耕作地の少ないラテウでは土地は何よりも貴重である。一般市民は自分の土地を持つことが出来ず、家や店を持つためには高い金を出して国府から土地を借り受ける必要があった。そのため一戸建ての家を持っているのは余程の金持ちか貴族が役人くらいで、普通の市民は住宅街に軒を連ねる集合住宅に住居を持つのが一般的だ。しかし、その集合住宅にしても、かかる費用は生活費を占める割合から見て決して安いわけではない。その費用が捻出出来ない人々は当然ながら一定数存在し、その一部は日雇い仕事で糊口をしのぎながら板切れや筵で風雨を凌ぎ、またその苦労を厭う者は街をうろついて他人のポケットを、或いは他人の家や商店の軒先を狙った。

 盗みが絶えないから盗品を流す場所が要る。だからラテウの路地裏では、毎日どこかで盗品を捌く闇市が立つのだ。国府はこれを取り締まろうと躍起になっているようだが、根本を解決しなければ決して消えない闇である。結果、今日も闇市は無事に開かれているという訳だ。

「この路地裏が今日の闇市開催日だ。ブルーノの最後の目撃情報の位置からして、ここに流しに来る可能性が高い」

「それって支部付きの情報屋から?」

「ああ。受ける物好きは他にいないから需要も無いだろうってことで、珍しいことに随分安値で売ってくれたぞ」

「まあ買ってくれるだけで御の字だろうねー」

 言いながらアリアはぐらぐら揺れるゴンドゥーラの上から危なげなく石畳の上に飛び移る。

 賞金稼ぎなどという商売があるくらいだから情報屋という人種も珍しくは無いが、その中でも旅人支部に張り付いているタイプの情報屋は、旅人との取引を専門に行っている連中で、通称を支部付きという。別に旅人の本部や支部と直接契約している訳ではなく、世界片間移動をしてくる旅人が高確率で顔を出す支部に張り付いていれば、取引がしやすいというそれだけの話だ。彼等の売る情報は、希少性と信憑性、そしてどれだけ詳細であるかという三つの基準でランク付けされ、それぞれに見合った値段か情報を要求される。場合によってはとんでもない値段を吹っ掛けてくる強欲な連中だが、それぞれ隔絶された世界片間を移動する旅人にとって無くてはならない存在なのだ。

 急ぎブルーノを探し、盗品の行方を聞き出さねばならないラクスは、ラテウに渡って真っ先に支部へ行き、情報屋の一人と取引した。ブルーノの最終目撃情報と闇市の開催場所を聞き出すためだ。情報屋は旅人の依頼リストには常に気を配って情報を集めるが、集めたは良いもののブルーノの情報はやはり人気が無かったらしい。

 アリアを追ってラクスも石畳へと飛び移る。アリアより頭一つ分高い長躯を物ともせず、船底を蹴る音すらさせない。いつもながら見事な身のこなしを横目に見ながら、アリアは繋ぎ杭の乱立した舫場から怪しい雰囲気の漂う路地裏へと、一段飛ばしで階段を上がる。区画整理から取り残されたそこは細い路地が幾つも交差して複雑な迷路を形成し、入り組んだ小路を歩く人々は俯き加減に暗がりへ消えていく。こういう路地裏はラテウには幾つもあって、どこもここと同じように顔を上げて歩けない人間が多く屯していたが、アリア自身はこの胡乱な空気が別に嫌いではなかった。何もかもがごちゃ混ぜになった混沌とした空気は、表通りのそれとはまったく違う匂いを醸し出してはいるが、そこで生きる人々は図太く強かでたくましい。普通の娘ならば忌避すべき場所ではあるが、アリアはとりあえず財布から注意を逸らさなければ、これといって道を行くのに支障はない。

 通りに上がったアリアは、いつも通り周囲の人間の気配へ注意を向けていた。それは最早息をするのと同じく当たり前に身についている行為で、だから脇道から突然出てきた少年が、アリアにぶつかって尻もちをついた時には本当に驚いた。

「おい、何してんだ」

 咄嗟に声も出なかったアリアを咎めるように言って、アリア本人よりも先に長身を屈めて少年に手を伸ばしたのはラクスだった。こういう時、彼は膝をつくのを躊躇しない。勿論、同時に摺られたものがないかどうかも確認しているのだろうが、彼の行為の大半は善意からくるものだと知っている。ラクスが子供に滅法弱いのだ。

「ごめんなさい、お姉さん。僕余所見してて」

 素直にラクスの手に縋って立ち上がった少年は、そう言ってぺこりと頭を下げた。

 身長はアリアの胸ほど。年齢は十歳かそこらだろうか。厚手の黒のコートに薄い黄色のスカーフをリボン結びにして、膝下までのズボンは光沢のある黒。一見すると良家の子息のようにも見える。冬の針葉樹のような黒味を帯びた緑色の髪、髪と同じ色をした瞳は釣り上がって大きく、まるで賢い猫のような印象を与える少年だった。

「あ、ボクこそごめんね。怪我はない?」

「お姉さん、女の人なのにボクって言ってるんだ。面白いね。うん、怪我はないよ。ありがとう」

 にこりと笑う顔に邪気は無い。しかし、恰好通り彼が良い所の子供だとするなら、こんな治安の悪い路地裏を一人でうろうろしているわけがない。大方、品物を捌きにきた窃盗団の一味なのだろう。大きな商家を狙う連中は、盗みのために子供を使って下調べをさせることが多いのだ。

 これで彼が傷の一つや二つでもつけていようものなら、ラクスが何かしら動いたかもしれない。事実、そうやって盗賊団に無理矢理使われていた子供を助けて救貧院に入れたことも何度かある。しかし、彼はいたって健康そのもの。暮らしの糧が法の道から外れていても、本人が強く生きていけるのならば、手出しをしてもお節介に終わるだけだ。

 アリアは子供の様子を観察して、彼の言葉通り、転んだ際にどこも傷めていないことを確かめた。足も手も問題なく動いているし、転げた時に頭を打った様子もなかった。本当に問題ないだろう。そう判断して路地の奥へ向かおうと歩き出した少年の背中に手を振った。路地に走り込む寸前でそれに気付いた少年は振り向いて手を振り返し、手を振りながら少年特有の不安定な高い声を張り上げる。

「そうそう、探し物があるなら早いうちに済ませて中央に帰るといいよ!今夜は荒れるから!!」

「え?それってどういう…」

 意味か、と問う前に少年は身を翻して路地裏に走り込み、暗がりの中へ姿を消してしまう。咄嗟に追いかけたが、どこかの路地にでも入ってしまったのか、角から覗いた細い通路に既に少年の背中は見えなかった。

「今夜は荒れるって…今は晴れてるけど…。地元の人間の勘って奴かな。ねえ、ししょ…」

「あいつ…何者だ…?」

 問いかけたアリアは、尋常でない様子の兄貴分の様子に思わず言葉を止めた。

 半ば呻くようなラクスの問いは、アリアに投げられたものではない。答えを持つ者などいないのに、それでも問わずにはいられない。まるでそんな風だった。

「何者って…あの子が何?」

 恐る恐るアリアが尋ねれば、微かに苛立ちを含んだ声音で答えが返ってくる。

「気付かなかったのか。『中央』に帰れと言ったんだぞ、奴は。俺達を見て」

「あっ…!」

 中央、といえば首都ともとらえられるが、ここカメンテールを抱えるヴァレスチーロ王国の首都は、首都としては異例なことに領土のほぼ東の端に当たる位置に存在する。だからヴァレスチーロの国民は首都を指して中央とは呼ばない。もしも先程の少年が余所者で、首都を指して中央だと言っているにしても、今のアリア達は明らかにヴァレスチーロ人らしい恰好はしていない。余所者が数多く流入するカメンテールはともかくとして、長い歴史を持つ首都の人間の恰好は保守的だ。間違っても未婚の女は足をむき出しにしたりしないし、そもそも未亡人でも無ければ髪は切らない。男性の髪だってラクスのように長くない。精々がところ肩までの長さが一般的だった。

「どう見てもヴァレスチーロ人じゃないボク等に中央に帰れってことは…」

「第一世界片(ネセルテ)のこと、だろうな…」

 アリアの言葉を継いだラクスの苦い声が、剣呑な空気を醸し出す。

 世界片を呼び称する名前はそれぞれ古代語に由来している。今アリア達がいる第二世界片は古代語で水、第三世界片は火、第四、第五、第六、第七がそれぞれ地、風、光、闇を意味する古代語がそのまま名称として使われている。どれもそれぞれの世界片が持つ自然の偏重とも呼べる特性から名付けられた。

 そしてアリア達が居を置き、そして旅人の本部が置かれているとされる世界片。第一世界片の呼び名はネセルテ。これは古代語で中心、真ん中を意味する言葉――つまり中央だ。

「あの子…ボク等が旅人だって事に気付いてた…?」

「そうなるな。含みの有る無しはわからんが…探し物って言葉も気になる。しばらくは用心した方が良いかもな」

 旅人の存在を現実のものとして認知している人間は少ない。他所の世界片に何か用事が無ければ依頼をしなければならない事などないからだ。多くの魔導装置の動力源である魔石は、世界片によって産出量にばらつきがあるから、各政府関係者に魔石運搬に関わる旅人の存在を知らない者はいないが、それでも恰好を見ただけで旅人を判別できる者は少数派に違いない。そしてその少数派の関係者はこんな所をうろうろしないし、子供である筈もない。

 勿論、アリア達は自分達が旅人だと知られて直接不利益を被ることは無いが、それでも意味深にそれをチラつかせてくる人間の存在が気持ち悪いことに変わりはない。

 そして彼の言葉を信じるのなら、今夜のラテウは荒れるらしい。

 もやもやした思いを抱えながらアリアは空を見上げる。高い建物に遮られて狭く見える空は、少年の警告じみた言葉に反して澄んだ青い色をしていた。

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