第7話 旅人 4

「教会の仕事?何でまた?」

 ラクスが持ち込んだ山鳥を山椒で香り高く焼いた一品を頬張りながら、アリアは見せられた依頼書に浮かんだ疑問をそのままラクスに投げつけた。

 ヤクモ大森林から程近い、薬師の総本山とも呼ばれる街、ルリコウ。通常の市の他に薬市、或いは草市と呼ばれる薬種の類を扱う専門の市があるこの街は、あちらこちらに薬種の香ばしいような甘いような独特な香りが漂っている。料理も薬膳と呼ばれる薬種の効能を利用したものが多く、今アリアが食べている山鳥の焼き物も、山椒の他に何やら色々血行を良くしたり風邪を引きにくくしたりする薬草が使われているらしかった。アリアとしては美味しければ何でもいいが、そちらの方も抜かりはない。健康は豊かな食から、ということで、アレスの人々は決して食にも手は抜かない性質らしい。素晴らしい話だ。

 そんな楽しい食事の時間に出来れば仕事の話などしたくはないが、睡眠時間を削るのもあまり頂けない話で、だからラクスが今話を切り出したこと自体は不自然ではない。

 問題は、その仕事の中身の方だった。

「えっと…教会から盗まれた法具、調度の奪還?恐らく犯人は旅人を含んだ一団で…って何で教会から本部に依頼がくるわけ?」

 ラクスから受け取ったリストに上がっているのは衣装箱やら飾り箪笥、法衣等の衣装や布地、希少価値の高い金属を使った法具類など、教会で金になりそうなものが一通り。幸いなことに神像は無事だったらしいが、法具の類が無くては儀式に支障を来すということで一刻も早く奪還してほしいという旨の依頼だった。

 純粋に内容だけ見れば可笑しな話ではない。盗賊団に旅人が混じっていれば必ず盗品は他の世界片に持ち逃げされるし、そうなれば追える人間は限られる。これが教会から来た依頼でなかったら、割と日常的にみられる類の依頼内容ではある。

 問題は、依頼を出しているのが教会だという点だった。

「あそこには巡礼僧がいるでしょ?普段からボク達のこと目の敵にしてるくせに、どういう風の吹き回しかな?」

 そう、世界の割れ目である「狭間」を越えられる人間は限られる。しかし、教会は旅人以外にその割れ目を越えられる唯一の職種、巡礼僧を擁する組織なのだ。彼等の主な役目は世界の狭間のどこかで眠っているという神の聖体を探すことであり、決して旅人のような便利屋ではないものの、教会の配下なのだから盗難品くらいは探してくれる。教会から儀式に使う道具を盗まれた、などというスキャンダルをわざわざ公開して依頼を出す理由が何一つとして存在しない。大体にして教会は「神から与えられる聖なる特権」を土足で踏み荒らす旅人を毛嫌いしており、何かの拍子に旅人か巡礼僧と接触しようものなら必ず嫌味を言ってくる。それが原因で死傷者が出る大騒ぎに発展した例だってあるのだ。そもそも旅人本部と教会は、水と油の間柄の筈なのである。

 アリアが水浴びしている間に役人からリストを押し付けられたらしいラクスが、苦い顔でリストを睨む。

「普通に考えたらそうなんだが…。見てみろ、期限」

「え?…はぁ?明後日?!盗難入ったのって一昨日、だよね?」

「そうだ。明後日から第三月の三百年に一度の新月期が始まるだろう。その神事になんとしても間に合わせたいとかで、早急に何とかしろと支部にもお達しがあったそうだぞ。まあ、教会の依頼なんて好き好んで受ける奴はいないから、支部の人間が他の依頼で来た奴に頼んで回ってる状態らしいが…」

「そっか。そんなん言ってたね、そういえば」

 言ってアリアは見えもしない空を仰いだ。勿論、見えるのはタバコの脂で汚れた木造建築の天井だけだが、あの天井を越え、更に屋根の向こうには神の目とも称される第三月がその白い姿を夜空に浮かべている筈だった。

 眠りについた創生の神ギリトワイスが、夢の中でこの世界のことを見ていられるように天に己の目の代わりに浮かべたと言われる第三月は、他の二つの月と違って白く柔らかい光を地上に落とすことは無い。ただただ白い姿をぼんやりと浮かべているだけだが、その代わり時刻に関係なくずっとその姿を見せている。それはネセルテにいようがアレスにいようが、はたまた闇の世界であるギルスにいようが同じことで、どういう仕組みになっているのかと、何度かそんなことを考えたことはある。アリアが生まれてからこっち、ずっと空にあり続けた月だから、消えてしまうことなど想像出来ない。何せ三百年に一度の珍事だ。遭遇出来るだけアリアは運が良いのかも知れなかった。

 そんなわけで、教会の立場からしてみれば、第三月は結構重要な存在で、それが空から欠けて消えるという節目を迎えるにはやはりそれなりの儀式が要るのだろう。幼い頃から集会にもまともに出ていないからアリアにはさっぱりわからないが、世間的には結構大騒ぎだったりするのかもしれない。教会が躍起になるのもこれで少しは説明がつく。

「ってことは受けるんだ?」

「まああんだけ頭下げられたらなぁ…。やるって言っちまったからにはやらにゃならんだろうな。まあどう見ても大した盗賊じゃなさそうだし、手間はそんなにかからんだろう。祭りの準備でドタバタ騒ぎしてた隙に侵入されて逃げられたってだけの話だろうしな」

「…お人好し」

 ぼそっと呟いた言葉に降ってきたのは拳骨だ。しかしそれは予め予想出来ていたので、アリアは最小限の動きで躱して、テーブルの上のグラスを取った。伊達に長い付き合いではない。行動パターンはお見通しだ。

 どうせ役人に頭を下げられて、断るに断れなくなったのだろう。賞金もたかだが三千リン。中位の素材集めと余り変わらない値段である。教会と関わり合いになりたくない旅人にしてみれば、面倒くさいだけで実入りは低い。それは受ける人間もいないだろう。

 ラクスは昔から下手で出られると弱い。勿論、含むところがある人間の泣き落としはしっかり見抜いて蹴ってみせるが、本当に困り果てて泣きついてきた人間を無碍にすることが出来ないのだ。大方今回の役人も上からやる人間を掴まえてこいと無茶振りされ、頼んだ人間に大方断られた挙句にラクスに泣きついたのだろう。でなければこんな安い仕事をAAランクの旅人にはわざわざ頼まない。

 その役人は運が良かった。これがラクス以外なら、すげなく断られてお終いだっただろう。

 アリアの師であるラクス=フォゲットは、自分より弱い子供と女と男には頗る甘く出来ている。そしてその弟子は自分の師匠のそんなところが別に嫌いでなかったりするのだ。

「ふーん。ラテウでの目撃証言ねえ。場所絞れてるなら何とかなりそうだね。うん、行ける行ける」

 アリアはぐっとグラスの中身を飲み干して、音を立てて机に戻す。空になったのを察してお代わりを注ぎに来てくれたお姉さんに愛想よく微笑んで、なみなみと注がれたそれを再び口に含んだ。アレスの酒は果実酒が主で、その中でもやはり薬種で風味付けしたものが多く、酒精は弱いが味わい深い。悪酔いしないから寝酒にも最適だし、聞くところによれば胃腸にも良いらしい。

「おいしーい!これが飲めないなんて師匠可哀相…」

「俺は別に飲めんで良い。それより、明日は早朝に出るぞ」

 飲みすぎるなよ、と言いおいてラクスが席を立つ。酒精がまるでダメな彼は、食事を取る以上の時間を酒場で過ごすことは殆ど無い。成年を迎えた男性が酒場で酒を飲まないのは却って悪目立ちするからだ。ラクスが先に部屋に戻り、アリアが暫く手酌で酒を飲んで部屋に帰るのが、師弟の内での暗黙の了解なのである。

 菜種の油で燃えるランプに淡い黄色の酒をかざし、水面に小波を立てて香りを楽しむ。

「さーて、お家に帰る前にもう一仕事だね」

 目指すは第二世界片、ラテウ。その世界の面積の実に七割以上を海と湖が占める水の都だ。


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