第6話 旅人 3

王鳥は決まった時間に狩りに出る習性がある。その大体が明け方だったが、稀に餌が取れない日が続いた日は昼過ぎにもう一度狩りに出る事がある。鳥類は基本的に燃費が悪いが、王鳥はその中でもずば抜けて燃費が悪い。あの巨体で空を飛ぶためには、相当体重を絞らねばならない。流線型のスリムなフォルムを保つためにはとにかく脂肪を蓄えず、まめに食べて消費するしか手は無いのだ。

 王鳥が餌をまったく食べなくても動けるのは、長くて三日が限度だ。それ以上日が空くと空を飛ぶ力すら失ってしまう。ましてやこの樹木が過密に立ち並ぶ森林地帯で取れる獲物は、通常王鳥が捕獲する動物の大きさを考えると相当小さい。常に腹を減らしている状態で、しかも昨日は丸一日何も食べていない様子だったというから、今日は必ず二回目の狩りに乗り出すはず。

 悔しいことにあの有能な男の読みはぴたりと当たって、アリアが動くと同時に王鳥も動き出した。

 その動きを確認して、アリアは内懐にしまったナイフを取り出す。枝に吊るした山鳥の首元に刃を当て、ぐいっと刃先を食い込ませた。

「うえ~、生ぐさ~」

 ぼやきながらバンダナを取ってしまい、脱いだベストと鞄をひとまず横に置く。完全にこと切れてしまっているので出る血に勢いは無いものの、どんな生き物も大概首を走る動脈は太い。だらだらと流れる血の下に頭を入れ、伝い落ちてくる血液を顔と手足に満遍なく擦り付けた。

「準備は出来たか?」

「見ての通り!本当、弟子にこういう役目押し付けるのやめてよね。このクソ師匠」

「ほう?そういう台詞は俺より投げ物の腕が上がってから言うんだな」

 ラクスの言い分に、アリアは喉の奥でぐうっと呻いた。

 確かに今回の作戦は、投げ物の腕が成功を左右する。アリアとて主力武器は投げ武器なのだし、そこらの狩猟者より腕は格段に上だという自負があるが、目の前のこの男と比べると大きなことは言えない。何せアリアの武術を一から仕込んだのはこの男なのだ。ラクスの武器は近接武器だが、必要があればナイフだろうが石だろうが何でも使う。そしてその正確さと来たら、飛んでいる蚊すら叩き潰す程なのである。

 伊達や酔狂で天才などと称されているわけではない。業界で一目置かれるのは理由があるのだ。

 まあ生憎とその天才は、自らの弟子相手に自分の実力を誇示する大変残念な大人なのだが。

 何にせよ、この男にこれ以上何を言っても時間の無駄だ。アリアは付き合いが長い分、見た目に反した残念な中身をよく知っている。弟子との拳当て(※じゃんけん)で全力で後出しするような男だ。これまた異常に反射神経と状況判断力に優れているから勝てた例は一度も無い。

 ラクスは掌で銀色の物体を幾つか弄びながら、雑な仕草で風下を示す。

「ほら、早く行け。血が乾く」

「はいはい!わかったよ!!」

 ヤケクソのように声を上げて、アリアはその場を駆けだした。草の伸び放題な地面は当然走りづらいが、今更そんなことに頓着するアリアではない。足取り軽く王鳥がバタバタと身を捩らせている様を横目で確認しながら、所定の位置へと移動する。

 王鳥はその体の重さ故、平地から飛び立つことが出来ない。丘か崖、傾斜のある場所で助走をつけるか、あるいはダイレクトに飛び降りる。そういう生態だから、尚更このヤクモ大森林では生き難かったことだろう。元の世界片に帰ったところで幸せな生は望めないが、残ったところで今以上に体が大きくなればいずれこの森では生きていけなくなるだろう。

「この場所は君には狭すぎるよ」

 師に指定された大楠。大人の五人では足りないだろう太い幹には縦横無尽に蔦が絡みつき、洞に溜まった土の間からは雑草の緑が覗いている。地上から見上げれば首が痛くなる程の威容を誇るその天辺に立ち、アリアは王鳥の姿を見守った。

 頃合い良く風が吹き始めている。ざわざわと森を鳴らす風は、アリアの髪や耳飾りをも揺らし、柔らかな頬にパタパタとそれらを吹き付ける。

 風の向かう先は丁度王鳥のいる方向だった。勿論、ラクスがここ暫く気候の状態を観測してそうなるように仕向けたのだから当たり前だ。この風が王鳥の元に届かなければ、決してアリア達の策は成らない。

 アリアの見守る先で、王鳥が何かに気付いたようにピタリと動きを止めた。白い冠羽をつけた頭を左右に動かして探すのは、血の匂いの出所。普通の状態ならば突然現れた餌の匂いを逆に警戒しただろうが、今の彼は酷く飢えている。飢えは知能が高い筈の王鳥の判断力を鈍らせ、鼻腔に飛び込んできた餌の香りは後先考えずに王鳥をその匂いの元へと急き立てる。間に峡谷を挟んでいるのも好都合だし、向かい風は王鳥が飛ぶのには最も適した風向きだ。助走をつけて峡谷に飛び込んだ王鳥は、そのままその巨体を浮き上がらせ、血を塗り付けたアリアを目がけて飛んでくる。

 王鳥はニウドでは神の使いとも言われており、王鳥乗りの技術は神に与えられた秘法として固く秘されていると聞く。なるほど、木の密集したこの場所で邪魔な樹木を避けながら蛇行するのではなく、ニウドの広い空を悠然と飛んでいたのだったらさぞ神秘的な光景に見えただろう。逃走中のアリアがそんなことを思わず考えてしまうほど、流線形の体つきと、輝くばかりに白い羽を併せ持つその鳥の姿は優美そのものだった。優美な癖に容赦なく距離を詰めてくるから、見とれている暇など無かったけれど。

 王鳥は速い。あまり持久力は無いものの、全力で飛べば最高速度は飛竜すらも凌ぐと言われている。アリアは王鳥が飛び立つのを確認した瞬間に手袋の留め金を外して手首に巻いたワイヤーを投げつけ、今いる楠よりもやや低い杉の木に移動した。そうやって次々と木を変えながら飛び移り、徐々に高度を下げていく。

 目指すのは落雷で燃えたのであろう、そこだけぽっかりと空いた一画。若木が芽を出してはいるが、邪魔な大木が無い貴重な空間だ。

「あそこ、まで…!!」

 うかうかしていればあっという間に追い付かれる。あちらは飛行、こちらは木の枝を跳んだり跳ねたりで移動しているのだからそれも当たり前の話で、しかし羽ばたきを邪魔する木立のお陰で、何とか爪はかけられずにいる。勿論、それは王鳥から逃げているのが訓練を受けたアリアのような人間だからであって、一般人ならまず間違いなくお陀仏だっただろうが。

 素早さと身軽さはアリアが唯一ラクスに勝てる長所である。それを考えればアリアの囮役は正しく適任、ラクスの選択は何も間違っていないことになるが、それはそれ、これはこれだ。腹立たしいものは腹立たしいし、何よりもあの態度がどうかと思う。

 アリアは最後の椈の枝を蹴る。草地で前転して勢いを殺しながら声を上げた。

「師匠!!」

 見上げた空はそれまでの光景と違ってぽっかり青空が覗いている。緑が襞のように連なっていた森に、そこだけ穴が空いたように何もない空間が広がっていた。アリアの周りには木とも呼べないような若木が幾本かと、折れて倒れ、更に腐って半ば地面と同化してしまった古木の残骸。無残に裂け、或いは焼け焦げたそれらを見れば、どの辺りに落雷があったのかは一目瞭然だった。

 速度を落とした今、アリアは恰好の餌食だ。案の定歓喜の雄叫びを挙げながらアリア目がけて捕獲の体勢に入る気配がしたが、当のアリアはちらともそちらは見なかった。

 見て確認する必要などない。王鳥の爪がアリアに届くことは決してないのだから。

 頭を庇って伏せた体勢で目を瞑る。その直後、瞼の裏側の視界すらも白く染める閃光が弾けた。その光が消えると同時に、間近な巨大なものが地響きを立てて落ちてくる。周囲の木々に宿っていたのだろう小鳥たちが一斉に飛び立つその羽ばたきで周囲の空気が震えるようだった。

「終わったぞ」

 涼しい声でそんなことを言いながらどこかの木の上から危なげなく飛び降りてくるラクスを出迎えて、アリアはあちこちについた土や枯れ葉を払いながら立ち上がった。

 振り返ればそこには地面に横たわる王鳥の白い巨躯。羽を広げたまま地面に落ちたその鳥は、改めて地上で見れば見る程しみじみと大きく美しい。死んだわけでは無いことは、微かに痙攣している羽や足をみれば明らかだが、瞼の無い瞳がまったく動かずに中空を見つめていることからして意識が無いことは確かなようだった。

 ラクスが使ったのは閃光を発する特殊な道具である。開発者曰く、白光石と雷鳴石を砕いて粉にしたものを特殊な方法で加工して云々、ということらしいが、例によってアリアもラクスも理解はしていない。とりあえず異なる二種類の銀筒に入った粉を混ぜ合わせると反応し、熱の出ない閃光を周囲にバラ撒くという代物で、先ほどラクスが掌で弄んでいたものの正体である。

 人も含めた動物は許容量を超えた光が目の前で炸裂すると、反射的に意識を失う。それはほんのわずかな時間だが、巨体の野生動物を傷つけずに大人しくさせるにはもってこいの道具だった。ただ使い方が難しいのが難点で、発光する時間は僅かに数秒、しかも粉を混ぜ合わせてから炸裂するまではきっかり五秒の時間しかない。足元の不安定な木の上から、丁度獲物を狙って降下体勢に入っている王鳥の目の前で炸裂するように卵の半分程の大きさの銀筒を投げる。言うは易し行うは難し。それもタイミングを誤ればアリアが落下した王鳥の下敷きになりかねない。

 アリアにだって不可能な芸当では無いが、恐らく三回に一回くらいは失敗する。それをいとも簡単にやり遂げて涼しい顔なのだから、本当に可愛げというものが無い。しかしそんなラクスだからこそ、アリアだって囮役として動くことに少しの躊躇もせずに済んだわけで。

「ちぇー、まだ敵わないなぁ」

「阿呆。十年早い」

「五歳しか離れてないでしょ!」

 覚えている限り、幼少の頃からやり取りの中身に変化は無い。慣れたテンポで軽口を叩きながら、手際良く作業を進める。

 小刀の先に塗布した睡眠薬を王鳥に投与する師を見ながら、万が一王鳥が目を覚ました時のために足と嘴に拘束具をはめる。これも王鳥が暴れても壊れないよう、とある筋から手に入れた特別性だ。今回はこれをつけたまま支部の輸送担当官に引き渡すから、拘束具の代金だけは請求できる。だから金に糸目はつけなかった。

「怒られないと良いけど…」

「実際に使ったもんを出し渋られる謂れは無いな。ほら、早く連絡しろ」

 言ってラクスが寄越したのは、支部に依頼遂行を知らせるための魔法札だ。魔技師が細工した一枚の紙を半分に切って、片方に文字を書くともう片方に同じ文字が浮かび上がる。燃やしたり濡らしても同じことで、常に二枚が同じ状態になるよう術式が刻んであるらしい。今回のように捕獲後の生物の輸送や収監を支部に託す場合、支部から支給してもらえる非常に便利な道具だった。

 任務終了。対象を引き取りに来られたし。

 簡潔な文と大体の場所を書き込んで、アリアはそれをポケットに突っ込む。こうなれば後は支部の人間が王鳥を引き取りに来るのを待つばかりで特にやることも無い。落ち着くと思い出したかのように血液でベタベタな顔や体が不快になって、アリアは一仕事終えて携帯食を齧っているラクスに声をかけた。

「師匠ー、ボク顔洗いに行ってくる」

「おう。ついでに上換えてこい。猛獣でも呼び寄せたら厄介だ」

「はーい。でも捨てないからね。洗濯してもらうからね!」

 知らん、とでも言いたげな男にべーっと一つ舌を出し、着替えの入った鞄を片手に少し下ったところにある水場に足を向ける。ヤクモ大森林は大木が奔放に根を伸ばし、水をしっかり土壌に抱え込んでくれるお陰で、小さな水場が点在している。そのどれもが澄んだ冷たい湧き水で、森を住処にしている動物達は勿論、旅人も飲み水や水浴びに困ることは無い。勿論、浴びるには少々冷たいのが難点だが、少々冷水に浸かったところで風邪をひくような軟な鍛え方はしていない。

 見つけた泉は小さかった。直径四メルといったところだろうか。滾々と水が湧き出る泉の周囲はぐるりと大木に囲まれていて、水浴びするには絶好のロケーションだ。

「んー、膝上までってとこかなぁ」

 石を放り投げて沈む速度で大体の深さを測る。水が綺麗な分、目測だけでは実際の距離を見誤るのだ。浅いつもり足を踏み入れて、全身濡れネズミになるのは御免こうむりたい。旅の途中のことでもあるし、持っている着替えは限られているのだ。

 深さを確認したアリアは上のシャツと靴と靴下を脱ぎ捨て、ショートパンツに下着代わりの晒しだけの姿になり、澄んだ水に足を浸ける。ぶるっと震えが足元から這い上がってくるが、今は汚れを綺麗にしたかった。ざぶざぶと歩いて腿の辺りまで水が来た辺りで止まり、えいっと体を腰から曲げて髪を浸す。そのまま顔も水で洗い、錆びた匂いの汚れをこすり落とした。

 髪と顔を洗い、晒しを濡らさないように注意しながら上半身にもへばりついた血糊を落とすとそれだけで人心地ついた気分になる。本当は晒しも取って洗いたいが、野外で晒しを取るなとラクスから煩く言われているのでそこは我慢だ。別に裸の一つや二つ見られたところで何も支障はないし、不埒な輩の一人や二人襲ってきても伸してしまえる自信はあるからアリア自身は構わないのだが、何かとアリアを年頃の娘扱いしたがる節のある兄貴分達には別の言い分があるらしい。

「難儀なもんだなぁ」

 言いながらアリアは岸に放り出してあった鞄から汚れていないシャツを引っ張り出す。手巾で手足と顔をよく拭いて、シャツを頭から被り、犬のように頭を振って黒髪についた水滴を飛ばせば、既に支部の役員が来ていても可笑しくない時刻になっていた。支部の役員は大体移動用の魔獣を飼い慣らしているから、駆け付けるまでの時間が短いのだ。

 アリアは絞った手巾で髪に残った水気を取りながら、急ぎ足で来た道を引き返す。

 引き渡しが完了すれば依頼は終了。火のあるところで美味しいご飯が食べられる。

 時刻から見て、今日はアレスに泊まることになりそうだ。アレスはとにかく山の幸が美味しいから、今夜の夕飯は期待できる。

 茸の土瓶蒸し、猪の鍋物、鹿肉を木の実のソースで煮込んだの。

 様々な料理を頭に思い描きながら、アリアはラクスが待機しているだろう場所に、足取りも軽く向かうのだった。


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