ピエロは制服を脱ぎ捨てた

更科 周

前編

 人というものは勢いでとんでもないことをしてしまうものだと思う。始発の電車に揺られながら、友人から送られてきた一枚の写真を見つめ、嘲笑した。そこには高校時代の黒いセーラー服に角を生やした小悪魔女子高生を気取った彼女と、同様の制服に身を包み、口から血を流したゾンビ女子高生の装いをした自分が写っていた。二十三にもなって制服など着るものではないな、と改めて感じる。

 そもそも、いつからハロウィンはこんなゴミタウンメイクデーになったのだろう。バレンタインやクリスマス同様に企業の思惑に乗せられたということだろうか。近年ではイースターなども流行っているらしい。名言を必要とするのは悲しい時代だというが、イベントを必要とする時代もまた悲しい時代なのではないだろうか。イベントがないと大手を振って楽しめないというのだから。

 ハロウィンに対する憎悪を脳で煮やしながら、どうしてこんなことになったのかと回想する。全ては友人の綾から始まったのだ。一昨日、高校時代の友人である綾から連絡があった。「渋ハロ行くよ」とだけ書かれたメッセージだった。彼女はいつもそうなのである。こちらの意志などを確認することもなく、あたかも私が行くのが当たり前かのように誘うのだ。彼女のキラキラした目を思うと何も断れない私だ。強引な人間は得てして、子どものような純粋さを持っていると思う。所謂派手な女の子であった彼女と、よく言えば真面目な人間であった自分が仲よくしていたのは周りからすれば不思議な事であったと思う。しかし、私から見ればそうした人間といる方が楽だったのだ。いい意味で純粋でわかりやすい人間だからだ。中途半端に思春期をこじらせた同級生と心理戦を交わして日々を過ごすよりも、彼女といる方が楽だった。周りの人間は私に向かって「パシリにしかみえない」「かわいそう」などと言ったが、私はそうした人たちと馴れ合うより彼女のような子が好きだったのだ。楽しいことには本能で突き進み、嫌なことは嫌ということは案外難しい。人は理性を獲得するために本能を削ってしまうからだ。うんざりするくらいに振り回されてしまうことも少なくはなかったが、それほど負担に感じることもなかった。彼女といると少しだけ自分が大人になれているような気がした。癇癪を宥めるのは大変なものだったが。急な呼び出しに応じるくらいには彼女との生活は心地よかった。

 そういうわけで、彼女の誘いに乗りハロウィンの夜に渋谷を訪れた。例年熱を増す『渋ハロ』は、令和一年もその勢いを強めていたように思う。


「やっぱり人がすごいね。祭りの夜ってカンジ?」

 首に巻いた包帯が痒くて仕方がないかのように首を掻きながら綾は言う。渋谷は午後八時。昼間はどこにこれだけの人間をしまいこんでいたのか不思議なくらいの人々が街を練り歩いていた。狼男にドラキュラ、血まみれナースにプリンセス。皆が思い思いに仮装を楽しんでいた。綾の夜でも映えるように施された濃いめの化粧は、彼女の華やかさを際立たせている。血糊と口紅が彼女の唇をルビーのように色めかせていた。

「そうだね。にしても、この歳でセーラー服なんてなんだか悪いことしてる気分だ」

 ドンキで買った黒髪ぱっつんのウィッグは思ったよりも温かいなどと思いながら、久々に袖を通した高校時代の制服のスカートの裾を持ち上げた。

「そりゃそうだよ。ウチらもう二十三だもん。だからこんな時くらいしか楽しめないじゃーんってね」

 仮装できるようなコスチュームを持っていないと告げた際、じゃあ制服ゾンビにしようよ。うちらの歳じゃもうコスプレでしょ。と提案したのは綾だ。彼女はそれなりのコスチュームを持っていたであろうに、こうした提案をしてくれたのは彼女の優しさだと思う。

 渋谷区が主催する、通称「渋ハロ」であるが、仮装して練り歩く以外に何かあるのだろうかと思い、綾に尋ねた。

「仮装して、写真撮ったり撮られたりして楽しむだけだよ。あ、仮装の写真をSNSにアップするとクラブのフリーパスとか貰えるらしいね」

 やはり、こういうことには綾は詳しい。今思えば遊びのような遊びはほとんどが綾に教えてもらったものかもしれないなと思った。なるほど、と得心していると綾は次から次へと凝ったコスプレの人々と写真を撮り始めた。ゲームのキャラクターがいるかと思えば、本当にホラー映画から抜け出してきてしまったような仮装の者もいた。私達も軽い仮装ではあるが、綾が目立つタイプの美人なのでとにかく写真に誘われた。制服一枚では肌寒いはずの十月三十一日の夜は、祭りの喧騒に熱を帯びていた。


「おねーさん、お菓子あげる」

 後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには中学生くらいの男の子がいた。これだけの人がいる中である。自分のことを呼んだと勘違いしている可能性の方が高い。振り返りはしたが、他の人を探している振りをした。気が付けば綾が見当たらなくなっていたので、あながち嘘ではない。「合ってるよ。おねーさん」とピエロの服を着たその男の子が笑う。仮装を楽しむだけの祭りに成り下がったものだと思っていたが、本来の楽しみ方を試みる者もいるらしい。

「今時のハロウィンはトリックオアトリートなんて言わなくてもお菓子がもらえるんだね」

不意に突き出されたチョコポップに驚きながら、声にする。

「いや、ほんとは言ってもらいたいんだけどね。トリックオアトリートなんて今じゃ誰も言ってくれない。俺のお菓子食べてほしいから、毎年こうして配ってるんだ」

 人の濁流から外れた道の端とはいえ、叫び声や嬌声が響く中で彼の話を聞くことは容易ではなかった。彼が差し出し続けているチョコポップを受け取り、丁寧に巻かれたラッピングを剥いで口に入れる。

「あ、おいしい」

 思わず笑みがこぼれるのを感じた。そういえば、チョコレートなんて口にするのはいつぶりだろうか。年齢を重ねるにつれ、お菓子を買わなくなっていたことに今更気づいた。何故だろうか。肌が荒れるからか、体重維持が難しくなるからだろうか。いつの間にか失っていた感動に想いを馳せながら、しばし咀嚼した。少年は嬉しそうにこちらを見つめている。

「美味しいでしょ。将来パティシエになるんだ」

 夢を語る瞳は、夜にはあまりに眩しかった。

「そうなんだ。私もパティシエールになりたかった頃があったよ」  

 過去の自分を思い出しながら答える。彼のキラキラとした目を見るとまるで自分のように見えた。ちなみに、今の自分はといえば、OA機器会社のOLをしている。

「ならなかったんだ?」

 言外の言葉を察した少年がこちらを窺う。

「まあね」

 そう言って言葉を濁し、チョコホップを頬張る。またもや何かを察したような少年はもう一つチョコホップを取り出し、こちらへ寄越した。

「おねーさん美味しそうに食べてくれたから、もう一個あげる」

 そうして押し付けると少年はそそくさと去っていった。


 少年は夢のように人込みの中に消えた。どこか不思議さを感じさせる者だったと思いながら、手の中にあるチョコホップを見つめる。現実味に欠けるお祭り騒ぎの夜だからだろうか。過去を回想してしまう。

 あれは高校二年生の時だっただろうか。あの頃まで私は、将来はパティシエールになるものだと信じていた。幼稚園の頃から高校生までとすると十数年にもなる夢であった。しかし、中学生の頃から始まった受験教育は、ティーンエイジャーの夢を壊すのに十分なものだった。いい大学に入っていい就職をしろ、と言われながらも大学進学を決めるまでは自分は夢を叶えるものだとどこかで信じていたのだが、気が付けば安定を求めるようになっていった。パティシエールの仕事を知るにつれて陰鬱な気持ちになっていったし、進学校に入ったのに大学に進学しないなんて、という周りの目もあった。流される方が楽なのである。時間は流れであるからだ。後悔などはしていない。そんな夢があったことも今の今まで忘れていた。いろいろなしがらみに縛られなくてもよい大人に早くなってしまいたかった。過去を思い出して感傷に耽るだなんて自分も歳をとったものだ。

 そう長くない半生を思い返しながら、時計を見ると時刻は気が付けば十時半を指していた。携帯がポケットでブルブルと震えたかと思えば、誰かが自分の肩を叩いた。

「やあっと見つけた~! 琴どこにいったかと思ったよ」

 息を切らした綾がそこにはいた。こちらも見つかってよかったとの旨を返し、携帯を見遣ると綾からのメッセージが何件か入っていた。

「あ、結構連絡くれてたんだね。ごめん、会社からマナーモードにしてたや」

「全然大丈夫。見つかったしね!」 

 綾はにかっと笑い、そう答えた。終わりよければ全てよしとする彼女らしさの出る返答だった。

「てか、さっきクラブのチケット貰ったの! 行こうよ。寒くなってきたし」

 くい、と彼女は私の手を引く。いつまでも彼女は変わらないな、と思った。あれほどなりたかった大人になったというのに、なんだか変わらないままでいる綾が羨ましくなったような気がした。

「綾は変わらないね」

 私に背を向けてずいずいと人の海をかき分けていく小さな背中に呟いた。綾には聞こえなかったようだ。

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