第322話 星を見る人② エルシャとエルシード
〈エルシャ、外宮にて〉
長い階段を上った先には、まるで大神殿のような宮殿が空に浮かんでいた。
「みんな、とりあえずタフェレト神の離宮へ行きましょう。そこで魔力の観測をして月へ飛ぶ準備をしなければね」
タファト先生がわたし達を宮殿に案内してくれる。先生が建物に入った途端、眩いばかりに廊下も部屋も中庭さえも輝きだした。下町の娘として不相応な場所に戸惑うばかりだけど、わたしには時間がないのだ。エラムやガドがタニンから大きな観測機を降ろしているのに悪いと思いつつも、気晴らしをしたいからと言って離宮の外に散歩に出る。
うん、自分ながら自然な演技ができた。これでエルシードの精神が眠っている離宮に行くことができる。まぁ、場所がどこかは分からないけど、何となく青く光っている建物に向かって駆けだした。
「よし、ここまでくれば、気づかれても追いつけないよね」
最初の宮殿と違ってやや小さい門をくぐり、回廊にでる。その中心には整えられた庭園があり、たくさんの花がきれいに咲いていた。誰が世話をしているのだろうと考えて花に触ると、そのまま掬い上げるように取ってしまっていた。
人様の庭園の花を手折ってしまったと焦るが、その花は風に溶けるように消え、そしてもとの位置に戻っている。
「本物の花じゃないの?」
「それは花の精神、地上に咲く花の記憶。草木にも魂があり、それを包む精神もあるの」
「誰!」
振り返って声のする方を見れば、そこにはわたしが立っていた。
「会いたかったわ。エルシード、もう一人のわたし」
「ええ、こちらもよ。エルシャ、わたしの大切な夢」
うっかり握手をしようとして手を引っ込めたわたしを、エルシードは笑って中庭の中央にある古びた椅子に案内をしてくれる。いつの間にかお茶と菓子が目の前に出現し、淡く光る夜のお茶会といったところだ。
「ええと、あなたは精神なのよね? 聞きたいことがあるだけど会話はちゃんとできるの?」
「そうね、できることといえばエルシードとあなたの記憶を引き出して答えることだけ。絵を見ながらその由来を解説するといったところかしら」
「その割には流暢に話しているんだけど」
「話し方も記憶からの再現よ。そういう意味では精神は挿絵つきの本と一緒なのかもしれない。文章の書き方がエルシードの個性であって、それを読んでどう受け止めるかはあなた次第ね」
「う、読み物……」
「あら、エルシャ、本を読むのは苦手?」
「わたしの記憶も持っているなら知っているでしょ!」
「もちろんそうよ。読みなさいと言われた本をセトに押し付けて、彼に本を読ませて父親に自慢げに読んだと報告したのよね」
「うう、反論すらできない……」
わたしの悔しい顔を見て、エルシードは吹き出すように笑う。でもその笑いも記憶をもとにしたエルシードがとっていたであろう再現なのだ。そしてわたしはエルシードが言った通り、本を読むのが少し、そう少しだけ苦手だ。だって感情が分からないから。笑っていたとしても怒っている時もある。人の想いをわたしは目と耳で感じていたいのだ。そしてその考えも見透かしたようにエルシードはある提案をしてくれた。
「エルシャ、あなたの髪飾りをここにおいてくれる?」
祝福の時にバル兄さんからもらった髪飾りを茶卓(テーブル)の上に置くと、エルシードは祝福を込めてくれと言う。なんでも髪飾りを肉体に、祝福を魂の力と見立てれば、仮初でもエルシードとして話すことができるのだという。
祝福を込めた髪飾りを身に着けた彼女の頬に赤みがさしていく。そしてわたしの目をじっと見つめたかと思うと、すごい勢いで抱き着いてきたのだ。
「エル! ずっと会いたかった!」
「え、触れ合っているけど、わたし大丈夫なの?」
「ええ、髪飾りと祝福のおかげで精神が安定しているの。あなたを乗っ取ったりしないから安心して」
わたしは抱きかかえられ、花畑をくるくると振り回されながら目を回す。どうやらエルシード神というのはずいぶんとお転婆な神様だったようだ。
「あら、エルに言われたくはないわね。お転婆なのはいい勝負じゃないかしら」
「クルケアン第一の淑女に向かって失礼な評価ね」
「それ、わたしも四百年前に自称していたわ」
やがてエルシードも目を回したらしく、わたし達は花の記憶の庭園に転がってしまう。そして顔を向き合って大笑いをしたのだ。過去と当代の淑女らしく、豪快に、そして楽し気に。
双子のような、そして姉のようなこの人と友人でいれたらどんなに楽しいだろう。でもわたしは聞かないといけないんだ。
「ねぇ、エルシード。わたしの魂と体を取り戻したい?」
風が少しだけ強く吹いたように感じた。満天の星空を見上げながらわたしは彼女の返事を待つ。その時間は不快なものでも、あせるものでもないのが不思議だった。
「そうね、イルモートの魂が生きていたら、わたしはそうしていたかもしれない」
「え? イルモートの魂はセトでしょう?」
「ううん、あなたを通してセトを見ていたのだけど、イルモートはラシャプの呪いを受けて魂を切り分けたようなの。記憶を失ったまっさらな魂をセトに、呪いは自分にね」
「どうしてそれが分かるの?」
「わたしも同じだからよ、エルシャ。わたしも魂を切り分けたの。そして小さくなった魂はじきに消える。……イルモートもね」
「どうして!」
「呪いで記憶を、愛する人との大切な思い出を忘れたくなかったの。わたしはね、エル。この四百年、精神の海でイルモートとの記憶を眺め続けていた……」
だから満足なのだとエルシードはいった。
イルモートがセトに願いを託したのなら、わたしも託すのだと。
「何をわたしに託すの?」
「幸せな家族を作ってねって。心残りは子供ができなかったことだから」
「こ、子供! そ、そんな今すぐには。セトもあと十年もすれば落ち着くだろうし……」
「あら、別に相手はセトじゃなくてもいいのよ」
「……」
「冗談、でも好きな人と結ばれてくれれば嬉しいわ」
恥ずかしさで真っ赤になるけれど、どこか既視感があった。そうだ、クルケアンの頂上で、セトが急に子供のことを聞いたのだった。もしかすると……。
「イルモートもセトに同じことを言ったんだわ! ねぇ、イルモートさんとお話ができるかも」
「きっと彼もここに来るでしょう。でもじきにこの仮初の魂も消えてしまう。だからエルシャにもう一つ、お願いをしたいの」
エルシードはわたしの体を借りたいのだとお願いした。精神を固定した髪飾りならば、わたしに危害は及ばない。それを身に着けて、一時的に神様のエルシードとしてイルモートに会いたいのだという。もちろん私に否やはない。
「ありがとう。イルモートに話したいことがあったの。サリーヌが創った死の国をあの人の力と私の精神で包めば、死者の魂ももっと安らかに過ごせるはず。もちろんイルモートの魂も……」
そしてエルシードの精神は髪飾りに吸い込まれるように消えた。わたしは髪飾りを手に取り、そっと髪に差し込んだのだ。どうか、この恋人達が最後にお話ができますようにと願いを込めて。
〈エルシード、エルシャの体を借りながら〉
ごめんね、エル。
あなたにはこれからの光景を見せたくなかったの。
イルモートはわたしのために、
そしてエルのために神としての精神を殺しにかかるでしょう。
魂を分けたとはいえ、意識が違うとはいえ、
わたし達は意識の深層でつながっている。
愛する人に剣を突き立てられるような、
おぞましい記憶はあなたには見せられない。
あぁ、離宮の外から荒い息遣いと足音が聞こえる。
その音は中庭の前で迷うように止まると、しばらくの間動かない。
夜空に冷たい刃鳴りの音が小さく響く。
少し嗚咽の声も聞こえるのは、きっと彼の優しい性格のせいだろう。
精神を壊すために、わたしを人に戻すために、
あの人はこの数百年悩み、覚悟を決めていたに違いない。
イルモート、
わたしの神性を奪うためにクルケアンを天に伸ばそうとした人。
それを目前にしてもためらってしまう人。
まったく、不器用で、向こう見ずで、
そしてとびきり優しいその性格を好きになってしまったのだから、
自分ながら仕方ない。
こんなに愛されて、不幸せなはずはないのに。
わたしはもう十分なのだと彼に言いたいのだ。
ねぇ。イルモート。
サリーヌの死者の国を土として、
わたしの精神を揺りかごとして全ての魂のための国を作ろうよ。
そして一緒に星を見るんだ。
わたし達から分かたれた魂、
わたし達の子供ともいうべきセトとエルシャを見守りながら。
そう、地上の国を見上げる天の国。
あなたの愛した人の、その魂の休息所を。
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