第308話 永遠の孤独① 月と子守歌

〈トゥイ、時計台にて〉


 サラ導師が大空洞へと赴いて一刻程立った時だろうか。エラムが時計塔の水力計算機クレシドラ渾天儀こんてんぎを操作しながらうめき声をあげている。


「二日後の夜に外宮いけば、月までの魔力の流れに乗ることができるんだ、でもそのための手段がない」

「クルケアンの最上階から、飛竜でいけないの?」


 私達は天への道を観測すべく、タファト先生、アバカスさんの指示で様々な計算をしているのだ。クルケアンの頂上にある外宮から天へ赴く道筋と最適な時期は概ね分かっている。地球に対して月と太陽が直線上に重なる大潮の日に魔力が月へと流れるので、新月や満月の時に外宮から渡ればいいのである。そしてエラムが言うには魔力の河の流れを星々の動きと共に読み取りつつ最適な航路を辿れば月に着くとのことだ。だが、外宮にどうやっていくかということと、月へ行くための乗り物がない。


「アバカスさん、バルアダンさんやガドがいっていた、天と地の結び目ドゥル・アン・キを使った方がいいのかなぁ」

「いいや、エラム。あの結び目はらせん状に伸びた世界において、向こう側の、違う時代へ落ちるためのものだ。それも縁のある、引き寄せられるものがないとどこまでも奈落へ落ち続ける」


 それに、北方の天と地の結び目ドゥル・アン・キはすでに閉じ、神殿下の大空洞から流れ出る魔力も感じられないのだとアバカスさんは言った。恐らくイルモートの復活で地下に溜まっていた魔力の流れが変わったのだろうとのことだった。


「前にシャプシュ様の魂を通じて月へと行きましたが、同じような方法はどうでしょう?」

「エラム、言いづらいが、シャプシュ殿はラシャプによって魂を使い果たし、精神と肉体をシャヘル殿に返したとのことだ。その方法はもう使えないし……」


 アバカスさんは言いづらそうに口を噤んだ。私とエラムは黙とうをしてシャプシュ様の魂の安寧を祈る。でも、アバカスさんはその死を嘆く以外にも心配がありそうだった。エラムも気づいたらしく、言葉の続きを促すようにじっと見る。


「……バルアダンがハドルメの魂を解放する力を最上層で解き放ち、なおかつその力を直接に死の国まで持ち込むとのことだ。我々は肉体を持って天に上がる道を用意する必要がある」


 なぜかアバカスさんが目を逸らす。でも少しの不審よりも、クルケアンで一番強いと思っている人が同行する嬉しさが勝ってしまう。


「バルアダンさんも一緒に行くのね。こんなに心強いことはありません」

「タニンに乗っていくのはどうでしょう。バルアダンさんの騎竜であるタニンであれば最上層から天を上り外宮に辿り着けるのでは?」

「いや、タニンにも同行はしてもらうが、祝福の減少からか四百年前に比べてずいぶんと小さくなった。上空の強風には抗し切れんだろう。彼が活躍するとすれば外宮から魔力の風を受けて月まで行く手段としてかな」


 だが、誰が勝つかにもよるが、とアバカスさんが呟いた。すでにラシャプ、モレクはバルアダンさんらが打ち倒している。生き残ったダゴンを危険視しているのかなとも思うが、それは杞憂だろう。だってガド達が大空洞へ向かった後、ベリアさん、フェルネスさん、バルアダンさんとクルケアンで最強の戦士達も降りていったのだから。


「竜を帆船とすれば、星々からの魔力を風とした計算はエラムとアバカスさんに任せるね。私は外宮への生き道を聞いてくる」

「トゥイ、誰に聞くつもりだい?」

「もともと階段都市から天に上がろうとした人。ちょっと怖いからタファト先生と一緒に行ってくるね」


 エラムは私が誰に会いに行くか見当がついていたようだ。血相を変えて飛び出し、やがて多くの騎士が出迎えに来た。階下にいたタファト先生を呼んで、手を繋いで時計塔を降りていく。


「タファト先生、こんなに多くの騎士が護衛につくなんて、物語のお姫様になった気分です」

「あら、トゥイは前からお姫様よ。だって素敵な王子様がいるじゃない」

「目にくまができて、機械に埋もれて計算をしている王子様かぁ」

「そしてお姫様のことを第一に思っている王子様、でしょ」

「そうですね、イグアルさんと同じで、ほっとけない人でもあるかな」


 タファト先生と笑いながら夜の広場を歩く。多くの人が死んだ夜にしては不謹慎だけど、何か話をしたり、笑っていたりしないと落ち着かない。これから会う人は、ううん、人ではなくて、怖い神様なのだから。でも、そんな怖さは、月の光が消してくれたのだと思う。だって闇夜に白く浮かび上がった神様を見て思わず口走ってしまったのだ。


「何て綺麗――」


 獅子が神官に向ける優しそうな目と、体を預けて星を見ている神官の顔を見ると、怖さは消え失せていた。


「アスタルトの家のトゥイですね。ちょうど兄と貴女のことを話していたのですよ」

「私のことをご存じで?」

「ええ、星祭りの時の物語の作者を知らないはずはありません。この階段都市を登って想い人に会いに行く……私や兄と同じはずなのに、貴女の語る物語は美しく、こちらは血に塗れてしまった」


 飛竜騎士団が獅子と神官を取り囲むが、私は隊長さんにお願いをして少し下がっていてもらう。この美しい神官は私と同じで月に会いたい人がいるのだろうか。


「私は月に会いたい人がいます。強くてすまし顔だけど、どこか抜けているところが可愛い女の子。そして大切なお友達なんです。あなたは?」

「我らが会いたいのは、神も畏れず、他の人のために命すら投げ出せる強い人。でも兄想いで、泣き虫な子でもありました」

「……そのために戦いをしてきたのですか?」


 神様に対してこれは恐れ多い質問だったのかもしれない。でも聞きたかった。

 だって私と神様の目的は一緒なのだから。

 私は神様のように戦いたくはないのだから。


 緊張する私を安心させるように神官は笑い、白い獅子の顔に手を添える。


「兄上、答えてくださいますか?」

「……最初は世界を支配するためであった。だが、いつの頃からだろう、美しいと思ったあの者に会いたくなったのだ」


 獅子は月を見上げて低く唸った。


「なぜあのように美しい瞳を持てるのだろう。なぜあのように強い魂を我らは持てないのだろう、そしてなぜあんなにも儚げなのだろう。……そう思うともう一度会いたくなった。だが、その我儘によって家族を傷つけてしまった」

「兄上、私は気にしてはおりませぬ。それにサリーヌに惹かれたのは私も同じなのです。」


 神官はそう言って慰めるかのように獅子のたてがみに顔をうずめた。

 そうか、神様も一緒なんだ。だって神様はサリーヌに会いたいと言ったのだ。

 だから私は手が届く位置まで歩み寄る。背後で騎士たちが止めようとするけれど、タファト先生がそれを制してくれた。


「なら、私達と一緒に月へと行きませんか?」

「勇敢な娘よ。クルケアンを人血で染めた悪神に手を差し伸べるのか」

「だって、私もあなた達も会いたい人は一緒じゃないですか。……正直、最上層から外宮へ行く方法を聞こうと思っていました。でも目的が同じなら、聞くだけでなく一緒に行った方が心強いでしょう?」


 獅子が突然笑い出した。私は驚いたのだけど、獅子の口を見て、なんて大きいんだろう、牙はどうなっているのだろうと失礼にも覗き見る。そんな様子を見てまた獅子は笑い出す。


「お主と我らは敵だったのだぞ」

「敵でした。もちろん許すことはできません。でもそれとはきっと別なんです」


 サリーヌに会いに行くのであれば、誰だってアスタルトの家の仲間なのだから。


「……モレク、聞いたか。我らを仲間だと」

「千年の生の終わりに仲間ができるとは……これが最初であればよかったのに」

「最後まで仲間ができぬよりましだろうよ、流石はサリーヌの友だ。だがな、トゥイ。我らはもうじき死ぬ」

「明後日には天に辿り着いて見せます。もう少しだけ生きて――」

「天への道は用意しよう。だが、お主に我らの魂のひとかけらを預かってもらいたい」


 サリーヌが眠る月で魂の死を迎えたいのだと獅子は言った。

 サリーヌにせめてもの恩返しがしたいのだと神官は言った。

 私は、新しくできた仲間に首を縦に振ることしかできない。


「必ず魂を月に届けましょう、アスタルトの家の仲間として約束します」

「感謝する。……タファト、お主にも頼みがあるのだ」

「何でしょう、ラシャプ」

「我が腹心であったピエアリス家のエパドゥンに伝えてほしい。我を裏切り、クルケアンの民の側についたのであれば、貴族の力を以って最後の階段を架けて欲しいとな」

「神であるあなたが命令ではなく願いですか」

「そうだ、もはや神でも王でもない」

「伝えておきましょう。ですがあの獣王ラシャプが変わったものですね」

「女神タフェレトの精神を受け継いだお主なら、昨日から千年前の我しか知らぬであろう。だが我は今日で変わったのだ」

「兄上、つい先ほども変わりましたぞ。なにせ我らはアスタルトの家の新入りなのですから」


 ラシャプとモレクはひとしきり楽しそうに笑った後、温かい光のようなものを私に差し出した。それは私の中にゆっくりと入っていき、そして眠るように熱を失っていった。そして疲れたような笑顔を私に向け、二人きりにしてくれないかと言ったのだ。


「最後は愛する家族と共に過ごしたいのでな」


 獅子が力を失い、トゥグラトと名乗っていた人の姿となる。そして誰も引き裂けない指を見て満足そうに頷くと、神官を引き寄せて星と月を眺め始めた。私は邪魔をせぬよう足音を立てずにその場を離れる。タファト先生にも、騎士達にも人差し指を口に当てて静かにしてもらうようにお願いする。なぜならモレクが美しい声で歌い始めたのだ。そのか細い声に重ねるように、少し照れたような声が重なる。


 愛しい我が子よ

 カルブ河のように穏やかに

 眠気をもよおした小鹿のようにその瞼を閉じていて


 愛しい我が子よ

 草原の風のように穏やかに

 丘の上でまどろむ小竜のようにその翼を休めていて


 愛しい我が子よ

 夢魔があなたを襲わぬように

 今は私の声だけを聴いていておくれ



 ……恐らくそれは遠い遠い昔の子守り歌だった。

 いったいどこでその歌を聞いたのだろう、いつの間に覚えていたのだろう。

 神様は月を見ながら歌い続ける。父親と母親が我が子に想いを伝えるように、優しく愛を込めて。


 翌朝、手を握りしめ合って死んだ二人を見て私は思う。

 もしかしたら神様は子供が欲しかったのではないのだろうか。

 短命の人でさえ孤独には耐えられない。まして神様は永遠なのだ。

 私は冷たくなった二人の手を握りしめる。


「魂のかけら、必ず月まで届けます」


 私は誓い、そして願う。どうか私の熱が彼らを温かく包んでくれますように、と。



 

 

 
















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