第283話 天国への階段③ 千年の過去、三日の未来

 深夜、上層のトゥグラトの私室に呼ばれぬ訪問者がやってきた。

 その人物は部屋に入るなり、部屋の主に生首を三つほど放り投げる。恨めしげな目をしたそれらの首の切断面を見てトゥグラトは満足げにうなずいた。そして男はクルケアンの頂点に立つトゥグラトを前に、無礼にも足を組んで長椅子に腰かけた。


「元老トゥグラト、それとも昔のようにラシャプと呼べばいいのかな」

「ラシャプで良い。上位の魔人を三体、一撃で首をはねるとは、どうやら力も戻りつつあるのではないか、ダゴンよ」

「お主、部下に我のことを伝えていなかったのか。こやつらは無礼にもザハグリム、裏切り者よと襲いかかってきおったぞ」

「何、どのくらい力が回復したか試したのよ。夜になれば力が満ち、その体を支配できるまでにはなったか。では我の力で封印を解いてやろうか」

「まだバルアダンが帰ってきておらぬ。それまでは不要だ。封印を解いたら四百年ぶりにお主の呪いが降りかかるのであろう?」


 ラシャプは低い声で笑った。……ここに至ってもダゴンは怒りと憎しみを手放したくないらしい。これがメルカルトであれば記憶をなくしたとしても、ただ最強を求めて戦うのだろう。戦士と武人、神も個性というものが出てきたではないか。


「よかろう、ただ我を上回る力を手に入れればその呪いも意味をなさぬ。どうだ、試してみるか?」

「……どういう意味だ」

「地下で目を覚ましているイルモートの肉体だ。タダイが地下に結界を張り、その体を支配しようとあがいておる。結界を破り、ダゴン、お主がイルモートの肉体を支配してはどうかな?」

「いうたな、ラシャプよ。あの力を手にすれば世界を支配することができる。我の下について満足するお前ではあるまい」

「もうよい」

「何?」

「もうよいのだ。イルモートの力を利用するが、力が欲しいわけではない。その代わり力を手に入れれば外宮殿から広寒宮までの道を赤光の力で作ってもらうぞ。それが条件だ」


 ダゴンは同盟者の顔をじっと見る。獅子の王としての覇気はいささかも衰えてはいない。しかし何かに執着しているようなものを感じるのだ。


「どうした、四百年ぶりにあったのだ、もっと語ろうではないか」


 ラシャプの顔が獅子に変化した。そして床に落ちた生首を拾い上げ、一口で咀嚼し、胃の中へ放り込む。

 その間、ダゴンはラシャプの目が気になっていた。暗い目でずっと射すくめるような目で自分を見続けている、その虚ろな目を。


 いや、違う。ラシャプは自分を見てはいない。

 この男はヒトも神も、すでに捉えていない。

 いや捉えられているのだ。

 それは例えるなら静かな狂気、妄執の類だ。


 気圧されたのであろう、ダゴンの魂が僅かに震える。しかし水竜の王の本能がそれを見せることを拒み、ごまかすように近くの酒杯を手にとってあおる。


「よかろう、ならば元老院が終わり次第、地下に向かう。ちょうどこの体の下僕共が地下に潜入するらしい。陽が当たらぬ地下なれば、力も存分にふるえるはずだ。タダイを切り、イルモートの体に乗っ取り、天を目指すとするぞ」


 お主こそどうするのだ、とダゴンに問われ、ラシャプはティムガの草原に目を向けた。


「大地が震えだした、空が響き出した。バルアダンが明日の昼には戻ってくる。ハドルメもろともあの王を殺し、魔獣石としてこの階段都市を外宮までつなげる材料とするつもりだ」

「抜け駆けをするつもりか! 我はバルアダンを倒すためにヒトの体で眠り続けたのだぞ!」


 ダゴンの怒りが雲を呼び、激しい雷と雨が上層を叩きつける。

 瞬間、稲光が走ると、竜と獅子の影が壁に浮き上がった。


「ダゴンよ、選べ。イルモートの力を得て全てを支配するか。それとも王と戦い、イルモートの力を得た我に支配されるかをだ」

「……簡単なことだ。お主を殺して、バルアダンも殺す。その上でイルモートを手に入れてくれる」


 四百年ぶりに再会した同盟者たちが互いの喉を引き裂こうとする。しかし爪を振りかざそうとするも微動だにしないことに神々は気づいた。首も動かず、ただ正面を見るしかない。そこには大蛇にからめとられた相手の姿があった。


「モレクか。無事に帰ってきたのは喜ばしいが、何の真似だ」

「これは失礼をいたしました、我が兄よ」


 ラシャプは視線のみを声のする方に寄せて、驚愕の声を上げる。代々の高位の神官の体、それも男の体ばかりその依り代としていたモレクが、女性の姿で現れたのだ。

 ラシャプは魔力が高ければ依り代の性別など気にはしてこなかったが、モレクは男の体であることにこの四百年こだわり続けていたのだ。


「モ、モレク、おぬしのその姿は――」

「お気になさらず。これはかりそめの姿です。ある月の祝福者によって体を変化させられただけで、男でも女でもありません」

「……お主の体なぞどうでもよい。それより何の真似だ、邪魔だてするつもりなら喰い殺す」

「兄上、そしてダゴンよ、獣の王の誇りに従い、それぞれが至上とするもののために戦えばいいのです。ダゴン、あなたは戦いを好むか、それとも勝利か?」

「勝利だ。戦いはその手段だ」

「兄上、求めるものは天か、地上か」

「……どちらでもない」


「ならば二人にこのモレクが裁定を与える」

「ほう、蛇ごときが裁定だと、偉くなったではないか。蛇ごときに誰が従うものかよ」


 神々を縛る蛇がその大きさを増していく。ダゴンは格下とみていたモレクにこれほどの力があるのかと心中で舌打ちをする。


「私の裁定に従わぬであれば、私がその相手を殺そう。それは我が兄とて同じこと」


 ラシャプは黙したまま目を逸らした。

 

「ダゴンよ、イルモートを手に入れよ。そのうえで兄上とバルアダン、その勝者と戦うのだ。私は裁定者としてそれらの戦いに手は出さない、よろしいな?」


 そういってモレクは魔力で出現させた大蛇を消したのである。荒々しく去るダゴンの背中が見えなくなった後、モレクはラシャプに頭を下げた。


「差し出がましい真似をいたしました。お許しください」

「モレク、お前は!」

「せめて兄上が存分に戦える環境を用意いたしましょう」

「違うのだ、お前のその力、原始の時と同じではないか。それにその魂の傷はどうしたことだ、そのままでは……」


 死ぬぞ、という言葉をラシャプは飲み込んだ。獣たちがおびえ、道を譲った死の象徴であるラシャプが、死という言葉を恐れ口に出せずにいる。


「タダイめにやられました。あと三日も生きてはいられぬでしょう。だが、おかげで会いたい者に会えた。だから私はその人たちのためにこの命を使うつもりです」

「それは我も含まれるのか」

「無論。ですがある一人を害するのであれば兄上とて見過ごすわけにはいけません。私めが望むのは獅子の王の誇りをかけて、あのバルアダンに挑んでほしいのです」

「……そうだな、モレク。わが家族よ」


 ラシャプはそれ以上声をかけられなかった。千年を戦い、四百年を兄として彼はモレクの傍にいた。しかしたった三日後にはモレクの存在が消えるという。

 自分はどうすればいいのか。そして精神の内に染みのように広がっていくこの感情はいったい何なのだろうか、ラシャプは戸惑いながら、ただモレクを見つめ続けていた。

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