第263話 死者の都⑧ 決戦

〈クルケアン北壁にて〉


「ハドルメ騎士団、突撃せよ。北壁を貴族共の首で飾ってやれ」

「オシール団長、サリーヌの騎士はそんな下品な言葉を使っていいんですか?」

「む、そうだな。北壁の汚れを貴族様の血で洗い流して差し上げよう、これならいいのではないか」

「団長の冗談はもう少し品があればいいんですが」


 シャマールの渋面をよそに、自らは上品と思っている騎士達は哄笑しながら北壁を目指し突っ込んでいく。竜も人も砲撃を受けることに恐怖を感じてはいない。彼らは国を背負うだけでなく、十二年の間、見守ってくれた王妃のために恩返しがしたかったのだ。肩を砕かれ、目を失ったとしても王妃のためにと槍を構え、竜ごと城壁にぶつかっていく。石と砲台が砕け、第二陣の騎士団が城壁にとりついた。戦意を失った貴族は砲を放棄して下層へと逃げていく。オシールはあえて追い詰めず、神殿に彼らを閉じ込めるようにゆっくりと一層一層を確保していった。最下層ではハガル将軍が兵と市民を扇動して、同じく貴族を追い詰めている事だろう。


「エリシェ殿、トゥグラト殿、そしてサリーヌ王妃、頼みましたぞ」


 血塗られた大剣を振り回しながら、オシールは敬愛する王妃に願った。



 神殿では教皇が事態の急変に激怒していた。今夜は大事な魔獣化の儀式というのに、それを狙うかのようにハドルメ騎士団が猛攻を加えているのだ。既に儀式は発動し誰も止められるものでもないが、敗報をもたらす使者をその爪で引き裂いていて苛立ちを沈めていたのである。


「教皇アドラム、猊下が落ち着かれぬでは貴族も動揺するでしょう。さぁ、血を飲んで落ち着いてください」

「……タダイよ。お主はここにいてよいのか?」

「はい、あとは発動の命令を待つばかりです。月が天頂に座す頃合いが効果は高いでしょう。時機はお任せする故、ここで戦況を見物しております」


 教皇アドラムはタダイの余裕に忌々しさを感じて舌打ちをした。そして神官兵と貴族たちはその様子をみて怒りが自分達に来ないようにと必死に願っていた。そもそもアドラムとは、十二年前にバルアダンに挑み敗北したカフ家の長(おさ)である。あの戦いでは魔神が出現したともいうが、それがアドラムだったという噂もあるのだ。十二年ぶりに姿を現したと思えば、貴族の支持と暴力を以って教皇に就任し、そして今、彼らの目の前で血で満たされた杯を傾けている。どう考えても尋常な男ではない。逃げたい気持ちはあるのだが、それをすれば自らの血があの杯に注がれるだろう。


「ふん、好きなようにせよ。ようやく我も神の力を取り戻せたのだ。王妃だろうが、騎士団だろうが、直接この爪で心臓をもぎ取ってくれる」

「失礼ながらダゴン様、力は取り戻せても、魂にひびが入っておりまする。ヒトの魂で埋めなければなりませぬが、処置いたしましょうか?」

「そうだな、戦いの前に治療といくか」


 取り巻きの者たちはその会話を聞いて震えだした。タダイ神官は教皇をダゴン、と呼んだのだ。カフ家のアドラムではないのか? ダゴン、思い至る名前では悪神の名しかない。それに人の魂で埋めるとはどういうことか……。彼らは恐る恐る教皇を見上げると、目の前に巨大な爪が振り下ろされているのを見た。悲鳴と共に最悪の想像が事実に代わり、神殿の広間は彼らの血で染まっていった。


 その時、教皇は神殿が強い魔力に包まれるのを感じた。タダイが眉をしかめ、生き残っている兵に物見をさせる。だが、これほどの魔力となれば祝福者、それも神に近い者でしかありえないのだ。やがて物見が三人の祝福者が巨大な飛竜に乗って魔力を放出しているとの報告をする。


「猊下、恐らくトゥグラト達が攻めてきたのでしょう。私はそちらに出向きます。……ご武運を」

「待て、タダイ。呪いの発動の言葉を我に預けるのだ。お主が敗れるということもあろう」


 言外に裏切るなよ、との意味を含ませ、ダゴンは皮肉気に笑った。タダイは呆れたようにため息をつくと、発動の言葉を記した巻物を敬意無く教皇に放り投げた。


 神殿の南西、入り江に面した物見の塔において、巨竜のタニンがトゥグラト、エリシェ、サリーヌを乗せて漂っている。


「ありがとう、タニン。ここは危険になるわ、近くの城壁に降ろしてくれればいいのよ」


 しかしタニンは悲し気な鳴き声を上げると、それを拒否した。最後までここにいたい、そんな甘えを持った鳴き声に、サリーヌは優しく首を撫でる。


「分かったわ、最後までよろしくね。タニン」

「エリシェ、まず君が祝福で水の内幕を張ってくれ。その外側に僕が封印の膜を張る。サリーヌ王妃はそれを少しずつ形を変えて神殿の形状に合わせてください」


 三人が頷き、祝福が発動される。あとはこれを半日持たせればいいのだ。すでにクルケアンの大半はオシールが占領し、余力が出たこともあってシャマールとシャプシュ将軍、そして三十騎のハドルメ騎士団が王妃の護衛についていた。


「城壁に敵兵!」


 騎士の一人が入り江に建設された細い城壁の上に、神官兵の部隊を発見する。シャマールはそこにタダイの姿を発見し、シャプシュに王妃の直衛を頼むと、部下を率いて対峙した。


「タダイよ、兵を退くがいい。あなたはともかく、神官兵まで道連れにしたくはない」

「これはシャマール殿、何を誤解しているのです。私はただ王妃に御機嫌伺をしたく来たのですぞ」

「……神官服を血で染めておいて、ふざけたことを。さぁ神官兵よ、この場から去れ」

「無駄です。彼らの家族は教皇の間に繋がれています。まったくヒトとは家族思いな事ですね」

「貴様!」


 細い城壁の上で神官兵が絶望の声を上げてハドルメ騎士団に向かっていく。しかし竜を御するハドルメ騎士団は城壁の外から細くなった兵達を攻撃し、命だけは助かるようにと海に叩き落していた。シャマールは竜を降り、城壁に腰かけて笑うタダイに向けて突進する。全ての祝福を持つタダイには、竜や仲間を守るためにも近接戦で倒すしかないと考えたのである。


「怖や怖や。ヒト同士の殺し合い、流石にハドルメは慣れていらっしゃる」

「諸悪の根源が何を言う」

「……流石に本気を出さねばなりませんか」


 タダイが太陽の祝福を発現させ、シャマールの周りを炎で覆う。そして細身の長剣をかざし触れたものを腐食させる月の祝福をかけ、最後に印の祝福により魂そのものの力を奪う呪いを付与する。シャマールは長槍を構え、突進するタダイに突きつけた。タダイはその穂先を剣先で撥ね退けると槍は崩れるように溶けて消えた。


「どうです、イルモートの呪いは素晴らしいでしょう」


 シャマールは槍を捨て剣を構えるのが若干遅れ、タダイの切っ先を鎧で受ける。その鎧も腐食し溶けていくのを見て、タダイは愉悦の表情を浮かべた。ハドルメ最高の剣士もこの程度かと、止めを刺そうとシャマールの腹部に剣を突き立てた。わずかに逸れてわき腹をかすめるものの、シャマールの肉体もいずれ腐っていくだろう。その時、タダイは目の前にシャマールの長剣が迫るのを見たのである。


「何だと?」


 シャマールは片手でタダイの剣を押さえ、残る手でタダイの肩口に剣を振り下ろしたのだった。死を恐れないシャマールにタダイは気圧される。痛みで剣を落とし、視線を下げた瞬間、シャマールの姿を見失ったのだ。周りには炎があるばかり、空を飛べるはずもない。いったいどこへ……。


「タダイよ、お前は人の覚悟を知らぬ。それが敗因だ」


 シャマールは業火の中にその身を隠し、背後からタダイに組み付いた。そして短剣でその首をくびり切ったのである。そしてとどめとばかりにタダイの落とした長剣を手に取って心臓に突き入れた。


「……覚悟だと、シャマール、お前に何の覚悟があるのだ」

「シルリ、そしてサリーヌ王妃、兄弟、私の大切な家族のためであれば命なぞ惜しいものか」


 心臓を穿たれたタダイの体が消えていく。


「おのれ、イルモートの呪いめ、これでは復活に時間がかかってしまう。だが、まだだ、まだ動けるぞ」


 崩れ落ちたシャマールを乗り越え、タダイはサリーヌに向かって這いよって行くが、シャプシュによってその頭蓋を叩き割られ、体は塵となった。シャプシュはシャマールを抱え起こすものの、火傷は重く、また呪いによって体を蝕まれている。これまでか、とシャプシュがうな垂れた瞬間、シャマールの体が光に包まれた。サリーヌがその祝福により、シャマールを治しているのだ。


「い、いけま、せん。王妃。御身の力を、命を私に使っては……」

「シャマール、あなたもオシールも私の大切な息子です。母より先に死ぬ子がありましょうか。その呪いも私が引き受けましょう。命が尽きるこの身にとって何も問題はありません」


 子供をあやすようにサリーヌは優しく微笑んだ。そして権能杖をかざし、海に落ちた神官兵をも光に包んで救っていく。

 シャマールはこの場にはいない兄に向かって語りかける。

 オシール兄さん、私達を育ててくれた大好きなお母さんは、聖女様なんだよ、知っていたかい……。

 幼少の時、サリーヌの膝の上を争って兄と大喧嘩した記憶を思い出しながらシャマールは意識を失った。



 同じころ、神殿中央部の教皇アドラムことダゴンはタダイが戻らない状況に焦りを感じていた。このままでは王妃たちの封印が成立してしまうのだ。その前に呪いを発動させるかどうか逡巡する。


「どうした、教皇よ。逆境に弱いのでは民はついてこないぞ?」

「誰だ?」


 ダゴンが頭上を見ると、黒竜に乗った少年が見下ろしていることに気づく。


「ヤバルの息子ロト。私怨から貴様たち魔神を殺しに来た。弟の仇、貴様の首を取ることで果たさせてもらう」

「ヤバルの息子だと、ならばこちらも恨みがある」

「ほう、どんな恨みだ」

「十二年前、貴様の父によって打ち倒された恥辱だ」

「そうか、貴様はヤバルによって打ち負かされたのか」


 ロトは上機嫌で神に対して剣を構え、ハミルカルに拍車を叩きつけて降下する。迎え撃つ教皇は聖職者らしからぬ戦斧を暴風のようにロトに叩きつけた。ハミルカルがその強靭な前脚でモレクの手首を押さえ、ロトが剣で戦斧を押さえる。しかしそれでも人竜ごと吹き飛ばされてしまう。


「未熟、未熟。所詮は小僧だ。ヤバルやバルアダンの足元にもおよばん」

「……未熟なのは痛いほどに分かっている。そして俺自身がそれを一番許せないのだ」


 あの時、弟を救えなかった。魔人やタダイを殺す力があれば弟が消え去る前に救えたのだ。唇を噛みしめ、痛む体に鞭を入れて、ロトはハミルカルの手綱を握る。


 ……力を求めるか?

 内なる声がロトの中に響いた。頭を打ったための妄想かと笑い飛ばすが、声は再び聞こえてくる。


 あぁ、求めるさ。

 ……力を分け与えて欲しいか?


 何を馬鹿な、他人の力が欲しいわけじゃない、俺自身が強くならねばならんのだ。

 ……ならばまずは生きることだ。生きて強くなる道もあるだろう。


「悔しいが、その通りかもな!」


 ロトはハミルカルと共に再びダゴンに向けて突進する。冷笑を浮かべたダゴンは戦斧を鞍上のロトに向けて薙ぎ払った。しかしそこにロトはなく、空を切った戦斧を引き戻そうとしている隙にハミルカルが牙をダゴンの首に差し込んだ。


「おのれ、神に成れなかった飛竜如きが!」


 ダゴンが強靭な拳でハミルカルを叩きつけたあと、懐に入れていた呪い発動の巻物が失われていることに気づく。そしてまたもや頭上で己を嘲笑う声を聞いた。


「愚かな神よ、残念ながら今の俺ではまだ勝てない。この巻物を頂いて失礼するとしよう。王妃達の封印をおとなしくそこで受けるといい」

「貴様!」


 天井を打ち破り、まだ封印がされていない隙間を狙って外に出ようとしたロトは、巨大な蛇が自分とハミルカルに巻き付いていることを知った。そして意識が急速に遠のき、竜共々床に落下したのである。


「ダゴン、この粗忽者め。こんな小僧程度に我らの宿願を潰されてどうするのです」

「モレクか、初めから加勢してくれればよいものを。この小僧、素早さだけは目を見張るものがあったわ。さて、目を覚まさぬうちに竜共々殺しておくか」


 片はついたと、モレクがその場を後にしようとした瞬間、背後から異様な力が立ち上がるのを感じた。振り向くと意識のないはずのロトが立っており、剣の一振りでダゴンを壁に叩きつけたのだ。


「メルカルト、そこにいたのですか。親子にとりつくとは酔狂ですね」

「久闊を叙したいところだが、今はこの場から逃げさせてもらおう」

「貴方が? バァルと武を競い合った貴方が逃げるというのですか?」

「あぁ、逃げる。まだヒトの強さを見切れていないからな」

「私とダゴンの二人を相手に逃げられるとでも?」

「その場合は全力で叩き潰す。が、よいのかな、王妃の封印はもうすぐそこまで迫っているぞ。我を相手に半日で勝負がつくと思うな」

「その巻物は置いて行きなさい。それが交換条件です」

「勿論だ。ヒトの争いや営みには興味はない」

「それよりもその少年の方が大事ですか、呆れた神だ」


 モレクがやれやれと首を振り、視線を戻した時にはロトも竜も神殿から消え去っていた。モレクは巻物を手に取り、呪いを早期に発動させる。クルケアン、ハドルメ全ての住人を魔獣化するには弱いが、二十万近くは可能だろう。イルモートの肉体がある地下へと巻物を置き、発動の言葉を唱える。


「破壊の神の力を以て、魂を無垢なものに戻らさせしめよ。苦しみなき愛なき獣へ魂を導かれたし」


 そして世界は赤い光に包まれた。

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