第264話 死者の都⑨ おかえりなさい 

〈サリーヌ、赤光の前で〉


 あぁ、封印の隙間から赤い光が漏れ出していく。恐らく封印される前に満ちていない魔力で発動させたのだろう。しかしそれでも多くの民が犠牲になってしまう。


「トゥグラトさん、エリシェさん! タニンに乗って西側から光をできるだけ抑え込んでください。私は東側、ハドルメ側の光を抑え込みます。シャプシュ将軍、私を東へ連れて行ってくれますか?」


 それはシャプシュ将軍が魔獣になる恐れもあるということだ。しかし彼は笑顔で頷いた。


「勿論です。最後までハドルメは王妃と共に」

「……王妃、私もお供します。きっとオシール兄さんも王妃の許へ向かうでしょう」


 傷だらけのシャマールが、縋るように同行を求める。


「ええ、シャプシュ、シャマール。最後まで一緒にいましょう」


 私はトゥグラトとエリシェを思いっきり抱きしめる。

 王妃としてはしたないかもしれないが、ずっとやりたかったのだ。


「ねぇ、二人とも、未来の世界で私とあなた達が親友だったらどうする?」

「とても素敵ね、トゥグラトもそう思うでしょ?」

「あぁ、なんて素敵な未来なんだ」

「それで、暗い世界にいた私をあなた達が引っ張り上げてくれるの。そしてクルケアン中を駆け回って、怒られたり、お祭りをしたり……。そしてエリシェがトゥグラトのほっぺをつねってみんなで笑うのよ」

「そんな世界で生きたいな」

「その世界でも頬をつねられるのかぁ」

「だから、幼い私をよろしくね。それと、ありがとう。ずっと二人にはお礼を言いたかった」

「お礼なんて、未来の世界で会えるのなら、そこでいってくれればいいの。死なないで、サリーヌ……」


 私は泣きじゃくるエリシェの髪を撫で、トゥグラトの肩を軽く叩く。そしてタニンにそっと口づけをするともう一度二人を強く抱きしめてこう言った。もしかしたら泣き顔を見られたくなかったのかもしれない。


「じゃぁ、またね」


 そう言い残してシャプシュ将軍の竜に飛び乗り、東側を目指す。オシールも合流し、私を先頭に赤い光に向かい合う。


 そして、光が弾けた。


 熱い、体が燃えるように溶けていくのがわかる。私は祝福の力を最大限に放出し、背後の仲間達を守った。この場所で光をさえぎってもたかが知れている。中心に赴き、発生源を押さえつけなければならない。しかし既に肉体は溶け、精神の器で魂の思考を維持しているにすぎなかった。


「王妃か、それだけの力を持ちながらなぜ関係のないヒトまで守る」


 ラシャプの声が響き渡る。そうか、彼がこの赤光の、そして呪いの中心にいるのか。意識を集中すれば地下の赤い光をラシャプが吸い上げ、空に放っているのがわかる。


「ラシャプ、それが分からないからこそ人に固執するのでしょう?」

「ヒトに固執だと?」

「あなたは復讐をしようとして天を目指すのではないわ、主神が愛した人を知りたいから、地上に降り続けているのよ」

「……知った風なことを」

「私は絶望の中で生きてきた。それを家族が、友人が、バルアダンが救ってくれた。最初は誰もが知らない存在なのにね。家族だって最初はそう。でも人は誰とでも絆を持つことができる。もしかしたら、あなた達とでも」

「神と対等とは、やはりお前達は獣よ」

「ええ、そうよ、私達は生まれて愛を知った獣。ラシャプ、あなたも誰かを愛しなさい」


 光の中心にいるラシャプの体を掴む。その瞬間、より強い光の波動が私達を吹き飛ばした。ラシャプの呪いを全身を通じて理解する。名を奪うこと、そして記憶を奪うこと。ヤムの言っていることは正しかった。人からそれを奪えば、獣になるに違いない。今の私の力では両方を守ることなんてできない。せめて大事な記憶を魂に刻み込み、そこから名前を思い出せるように願うしかない。

 私の命を光に変え、みんなに声と力を届ける。


「あなたの大事な記憶を強く思いなさい。魂が忘れないように、私がその思い出を保ってあげる……」


 やがて精神すらも変質していき、私の周りでみんなが魔獣へと変化していく。戸惑うように蠢く獣たちに向かって私はやさしく語りかけた。


「北東へ行きなさい。そこではぐれないようにみんなで一緒に待っていてください。王が必ずみんなを助けます。永遠の闇なんてない。互いの魂の鼓動が聞こえる場所で待っていればいつか必ず光が差し込むから……」


 そういって私は彼らの魂にティムガの草原の美しい光景を刻みつけた。いつかまた、この場所で会いましょう。そういう願いを込めて。

 多くの記憶が失われるかもしれない。

 でも忘れることなんてあるのだろうか?

 それはきっと思い出せないだけなのだ。


 消えゆく意識の中、最後に愛しいバルのことを想う。


 私、頑張ったよね。褒めてくれるかなぁ。

 肉体も、精神も、魂もボロボロになっちゃった。

 魔獣にすらなれず、私はここで死ぬだろう。

 死が眠りというならば、家族の夢を見ていたい。

 私の大好きな人達の夢を……。



 家に帰ったら、たくさん料理を作ろう。

 アドニバルは成長期だし、

 ロトもまだまだ筋肉をつけてもらわないとね。

 甘いものが好きなバルのためにお菓子も用意しなくちゃ。

 あ、おかえりなさい、バル!

 今日はね、とても楽しいことがあったのよ。セトとエルが……。



 その日、クルケアンを赤光が襲った。

 多くの人が消失し、特にハドルメという国が壊滅的な被害を受けたという。同時期に大量発生した魔獣は体を寄り添うようにして黒き大地と呼ばれる場所へ向かった。また、その光は市民の記憶の大半を消失させ人々はしばらく生活に苦しむことになった。かろうじて王と王妃の存在があったことは伝えられており、王妃が死んだとされる場所には黄金の書が落ちていたとの記録が残っている。それには王とその家族について記されていたといわれるが真偽は定かではない。いつしか人は王の書、と呼ぶようになった。傷をつけられぬその書は、何人も奪うことのできない美しい魂の記憶そのものなのだとも伝えられている。


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