第255話 王の帰還⑦ いってらっしゃい

〈バルアダン、天と地の狭間から地上へ〉


「サリーヌ、大丈夫か、サリーヌ!」

「……ええ、私は大丈夫。でもごめんなさい、アサグさんの魂を助けることはできなかった。私ができたのはモレクの呪いから解放することだけ」


 サリーヌがアサグの精神から帰還し、彼の魂を元に戻せなかったことを詫びた。


「何も謝ることはない。彼の想いを聞けたのならそれでいいのだ。私達が彼の生きざまを覚え、誰かに伝えよう。それが生きた証となる」


 うなだれるサリーヌを慰めるように抱きしめた。その時、背後に這いまわる音が聞こえ、サリーヌを抱いたまま後方へと後ずさる。


「蛇?」


 アサグであった肉体が五アスク(約三十六メートル)もある大蛇へと変貌していた。


「モレクか!」


 恐らくアサグの純粋な魂がサリーヌの力によって切り離され、神としての力がその肉体を変えたのであろう。


「私を醜いと思いますか、バルアダン」

「人と神を比べても仕方あるまい」

「私はヒトが憎い。主神の祝福を受け、神の似姿を取る貴方達が」

「それは主神に言うべきだな、迷惑だ。神は神同士で争え」

「いいや、主神はヒト全てに宿っている。だからこそヒトの代表である貴方と戦いたいのです。それにますますヒトに興味を持ちました。狙い通り、王妃のおかげでアサグの魂、そして王妃の魂の記憶を見ることができましたが、ヒトというのは本当に面白い」

「サリーヌの記憶を見ただと?」

「ご安心を、魂を汚してはいません。あぁ、しかしヒトとはなんと脆く、美しいものであるのか」


 そう呟きながら、モレクは暗闇に消えていった。そして入れ替わるようにシャプシュらが工房の奥から戻ってくる。


「シャプシュ、無事であったか」

「王よ、お喜びください。魔獣からヒトに戻す手段が判明してございます」

「そうか、よくやってくれた!」

「いえ、賢者ヤム殿の教えです。近いうちにクルケアンにてヤム殿とシルリ殿が魔獣の人化を行うとの由」

「ヤムか、そうか彼もこの地にいるのだな」

「王、ヤム殿をご存知でしたか。もしかすると王のいた未来の世界に関係するのですかな」


 私は言葉に詰まる。未来の事を軽々に話すわけにはいかない。彼らには彼らの歴史があり、人の生き方を縛る真似をしたくはなかった。ルガル館長はそれでも知識を求めたが、目の前の老人は、そんな私の気持ちを量ったかのように目じりを下げて、子供を許すかのように笑ってくれた。


「いいのです、王よ。あなたの優しいお気持ちは十分に理解しております」

「すまない、シャプシュ」


 一行を率いて地上に戻ると、そこは地下と変わらぬ凄惨な光景が広がっていた。クルケアンのハガル将軍が魔人となった神官兵を必死に押しとどめている。同じクルケアンに所属する軍人が神官と殺し合うのだ。魔人に自我はなく、タダイの指揮するままに無感動に剣や杖を振り上げている。


「クルケアン軍のハガルだ、お主ら正気を取り戻せ!」

「どうしたのだ、我らは仲間だぞ?」

「おい、止めをさせ、やつらはすぐに復活するぞ、首を、首を刎ねるんだ!」

「嫌だ、彼も市民じゃないか。それに俺達は魔獣と戦うのではなかったのか!」


 ハドルメ騎士団の援護も空しく、クルケアンの将兵が敗走を始めた。しかし一番近い彼らが時間を稼いでくれる隙に私は中央のアスタルトの兵士を前線に押し出すことができた。オシールの部下が飛竜を操り、私の前に降りてくる。


「王、そしてシャマール副団長、いぞぎ前線にお越しください。トゥグラト殿、王子達の御加勢を!」


 飛竜を駆り、湖の反対側に迎えば、そこには呆然と立ち尽くすロトがいた。


「ロト、大丈夫か、しっかりしろ!」

「父上……。いや、バルアダン王」


 ロトが近寄る私に向かって無言で剣を突き出した。反射的に身をよじりロトを跳ね飛ばす。


「やはり、不意を衝いても勝てないか」

「ロト、どうしたのだ。正気に戻るんだ!」

「彼は正気ですよ、バルアダン王」

「タダイ!」


 林の陰からタダイが現れる。その腕はアドニバルを締め上げており、オシール、トゥグラトとエリシェがアドニバルを取り戻そうとにじり寄るが、そのたびにタダイは短剣をアドニバルの首筋にあて牽制していた。


「私が彼に提案したのです。弟を生かしたいのであれば、養父である貴方を殺せとね。それに、ふふっ、貴方も意地が悪い。ヤバルの裏切りを彼に伝えていないのですから。あぁ、ご安心ください。彼は英雄の子や王の養子ではなく、ハドルメを裏切った男の子で、王の憐みにすがって生きていく只の拾い子に過ぎないと伝えてあげました」

「ロト、ヤバルは誇り高い男だった、その男の言葉はまやかしだ」

「あぁ、我欲のままに最強を目指したヤバルは貴方に挑んで敗北したとも教えています。可哀そうなロト。これまでの真実が優しさで固められた嘘だったとは!」

「貴様……!」

「おっと、こちらに剣を向ければ本当の子供が死ぬことになりますよ。どちらが大事かは分かり切ったことでしょう?」


 ロトの肩が一瞬震え、虚ろな目を私からアドニバルの方へ移した。


「兄さん、ロト兄さん! 僕の事はいいんだ、だからその悪い奴をやっつけてよ。英雄は最後に必ず勝つんだ、そうでしょう?」

「アドニバル……」

「父が追い求めたのは最強。それに嘘偽りなぞ在りません。ロト、貴方も最強を目指すのでしょう。ならば目の前のその男こそ、超えなければいけないのです。いつまで家族ごっこに甘んじて、人生の目的を偽るのです」

「家族ごっこ……」

「最強を目指すのなら孤高であるはず。弱いから群れるのです。さぁ、私が王の動きを封じています。王を殺し、ヤバルの意思を継ぎなさい」


 全員が動けない中、ロトが意を決したように剣を私に向けた。その目は澄んでおり、迷いが消えたようだった。


「王よ、俺に父の強さを示してくれてありがとうございました。未熟者でしたがアドニバルの兄代わりはできたと思います」

「違うぞ、お前も私の子供なのだ」

「そうよ、ロト、だからその剣を捨てて」

「王妃よ、母の温もりを与えてくれてありがとうございました。本当に嬉しゅうございました」

「ロト!」

「これより私は只のロトとして王に挑む。御覚悟を!」


 ロトは迷いなく剣を衝きつけ、私の首の皮を切り裂いた。初撃が躱されたとみるや、私の右腕の甲に剣を滑らせながら牽制し、同時に体当たりをしてくる。ロトは至近の距離で同じことを、と呟やき、反動を使って距離を取った。


「……成長したな、ロト。お前はもっと強くなる」


 私は首から流れ出る血を押さえながら、嬉しい感情を抑えることができない。子の成長を喜ぶ親をこれまで見てきたつもりだが、背丈が伸びる以外にそう感じるとはこれまで思わなかったのだ。子は育ち、戦士として自分に挑む。その結果、自分を超えるのであれば嬉しい事ではないか。


「だが、まだだ。まだヤバルの強さには届かぬ」


 強くロトに向けて踏み込んで、その顔に向けて強い一撃を衝く。ロトが必死の表情で躱すものの、その代わりに私の切っ先は左の肩当てを打ち砕いた。そして身をよじり、剣の柄と肩とでロトを跳ね飛ばす。子にされたことを親がそのまま返すのだ。私は父親に向いていないのだろう。


「迷いがないな、バルアダン。獣とはお主の事よ」

「どうかな、タダイ。私は獣ではなく、甘い父親にすぎんよ」

「何?」


 跳ね飛ばされたロトが、その勢いを生かすように背を丸めて地面に衝突する。そして鞭のようなしなやかさで跳躍し、回転しながら短剣をタダイに向けて振りかざしたのだ。


「タダイ、覚悟!」

「何だと?」


 タダイの首から血しぶきが飛び、アドニバルを掴んでいた腕がぶらりと垂れ下がった。ロトがすかさずアドニバルを抱え込み、後退する。首を押さえ、片膝をついたタダイは荒い息をしながら私を見上げた。


「何と、親子の芝居に騙されるとは、私もまだまだヒトを知らないようですね……」

「タダイ、操っている魔人を解放しろ」

「解放してどうするのです。理性を取り戻せば、溶け合った人格が私は誰だと悲鳴を上げるでしょう。残酷なことをなさる」

「加害者であるお前がいうことか!」

「どのみち、今の私の命が尽きれば彼らは解放されます。ふふっ、元の仲間に殺されるか、自殺するか、王のやり方を見させていただきましょう」


 自分が死ぬというのに、その後を見るという矛盾、そして死に及んでの余裕が私を苛立たせる。


「タダイよ、お主は何者だ。ラシャプと同じく主神に捨てられたとでもいうのか」

「私をあの神と同じにするな!」


 タダイが激高した。両眼を血で充血し、神官服を自身の血で赤く染め上げて立ち上がる。


「私は主神の従者、タダイである。主神からこの世界とヒトを見守るように仰せつかっているのだ。その他の神如きと一緒にしないでもらおう」

「見守るだと? 破壊ではないのか」

「見守るべきヒトが四たび世界を壊したのだ。主神が作りたもうたこの世界をな。……ならば私はこの世界を滅ぼそう。あの方の世界がこれ以上汚されるのは見たくはない!」


 アドニバルの無事を確認したオシールが、タダイの言葉を受けて吐き捨てるかのように呟いた。


「ならとっとと自害をすればよい。貴様らの価値判断で世を乱されて迷惑だ。できないのなら俺がその首を刎ねてやろう」

「ふ、ふふ、死ねというか。あぁ、あぁ、死にたいとも!」

「気が触れたか。……望み通りにしてやろう」


 オシールの大剣が一閃し、タダイの首が地に落ちた。それと同時に魔人たちの動きが止まり、地面に倒れこんだ。クルケアンの兵たちも安堵して仲間だった魔人の横にへたり込む。その瞬間、自分の体が黄金の光に包まれていくのを感じた。


「この光は……」


 トゥグラトがわたしの前に進み出て、片ひざを折って進言する。


「バルアダン王、どうやら王に以前施した、帰還のための術式に必要な魔力が満ちたのだと思います。私からの魔力はすでに王へと渡っていますが、この湖を介して二つの世界の魔力が大量に王に流れ込んでいるのでしょう。……もう時間がありません、我々に今後の指示をお願いします」

「シャプシュ、ハガル将軍!」

「はっ!」

「全てを天文台のルガルに話してある。彼と相談し、最善と思う行動をとれ。例え結果が最悪になったとしても未来で私が救ってみせる」

「……それはこの世界の住人が魔獣となるという結末でしょうか」

「そうだ、シャプシュよ。それが最悪の結果だ。どんな状態でも時を待って耐えてくれ。そしてハガル将軍、あの魔人となった神官を未来へ連れて行ってもよいか」

「王の優しさに感謝いたします。人格が混ざり合ったのであれば新しい世界へ連れて行った方が彼らのためでしょう」


 私は長年に渡り共に戦ってくれた兵士に向きあい、一人ひとりの顔を眺めた。いつの間に皆年を取ったのだろう。若い兵士や敗残兵で構成された寄せ集めの軍隊が、今では家族のように愛しく思う。


「皆、十二年ものあいだよく付き従ってくれた。多くの仲間と友人の犠牲をもって遂に魔獣を人に戻す術を手に入れた! さぁ、我らの故郷へ帰ろう。帰って家族を、魔獣となったこの世界の友人を救うのだ!」


 私の万感を込めた言葉に、アスタルトの兵は歓呼で応えた。故郷を捨て、はるか遠い過去の時代で生きていたのも、自分たちの家族を守るためであった。家族と同じ時代に生きていないという現実は彼らに想像以上の苦痛を与えていた。それがもうすぐ報われようとしているのだ。だが中には帰還を喜ばない者もいた。この時代の人と恋に落ち、恋人となったり所帯を持ったりした若い兵達だった。


「……だが、この世界で残りたい者は、残ってよい」


 私の言葉に兵たちから動揺の声が上がる。


「しかし、王よ! それでは帰還する仲間や、未来の家族に対して申し訳ない。王の戦いはまだ続くのだから」

「お主達に楽をしてもらうつもりはない。残る者は此処で得た知識を書物にして伝えていって欲しいのだ。シャマールの報告によれば魔獣化を解くには名を思い出さねばならない。全ての人の名を、記録を残せ! そして、クルケアンの都市建設に関わりつつ、将来に備えて祝福に拠らぬ仕掛けを都市に施してほしい。我が旅団の成果を、皆と共に生きた証を未来に伝えよ」

「ならば、王よ、残る我らに名を与えてください。必ず未来でその名をもった我らの子孫が王を助けんと駆けつけることでしょう」

「よかろう、お主らはこれから車輪のギルドを名乗るのだ。クルケアンを発展させしめたかのギルドこそ、お主達が創始するにふさわしい。私が帰還した後、お主達の子と共に最後の戦いへ望むだろう。それまでこのクルケアンを頼むぞ」


 元の世界に戻る兵とこの世界に残る兵、それぞれが肩を抱き合い、激励をする。時間や場所が違ったとしても私たちは家族なのだ。

 光が強くなり、私と帰還する兵達が包まれていく。あぁ、なぜ別れはこんなに急なのだろう。感謝や謝罪の気持ちばかりが溢れてくる。


「オシール、ハドルメ騎士団の誇りを頼んだぞ。シャマール、ハドルメとクルケアンのよき懸け橋となってくれ」


 二人の兄弟が、十二年前の幼児にもどったかのように抱き着き、私と共に涙を流した。苦楽を共にした彼らもまた私の子供であるのだ。また、会おう、とのともすれば不吉な言葉に彼らは喜んで頷いてくれた。既に下半身が消えかかり、私は慌ててロトを呼び止めた。


「ロト!」

「王よ、先ほどの私の言葉は真実です。お世話になりました。私は誇り高きヤバルの息子。あなたを倒す力を身につけ、必ずその前に立つでしょう」

「ロト……」

「ではさらばです。ハミルカルをお預かりします。いずれタニンに乗ったあなたと決着をつけましょう」

「あぁ、待っている。待っているぞ。だが最後にこれだけはいわせてくれ。……愛しているぞ、我が子よ」


 黒い竜に乗ってロトがクルケアンの方角に飛び去っていく。なぜかそれがフェルネスの後ろ姿に重なった。


「フェルネス……? フェルネス!」


 あぁ、私は強くあらねばならない。思えば天と地の境目に落ちたのもフェルネスに敗れたからであった。


「二度も破れたら親として立つ瀬がないな。覚悟をしておけよ、ロト」


 最後に別れを言わなければならない人達がいる。未熟だった私をこれまで引っ張ってくれた最愛の女性と、自分を子育てに悩むただの情けない父親だと自覚させてくれたもう一人の息子にだ。


「お別れだ、サリーヌ、アドニバル」


 呆然とし、そして置いて行かれると悟ったアドニバルが泣きじゃくる。


「こら、アドニバル。泣いてお母さんを困らすんじゃない」

「僕も父さんの世界に行くんだ! 母さんも一緒にいこう!」

「すまない、実は母さんとはもう決めていたことなんだ。過去と未来から世界を救うために。成長したお前と会いたかったが……。母さんとロトを頼んだぞ」


 私に時間がないことを知って、アドニバルは涙をぬぐって抱き着いてくる。サリーヌごと愛する我が子を抱きしめ、その体温を忘れまいと腕に力を込めた。


「……うん、分かった。そのかわり父さんは悪い奴らをやっつけてね」

「あぁ、もちろんだ」

「サリーヌ、いってくるよ。もし死者の国があるのなら、そこでまた会おう」

「ええ、いってらっしゃい、バル。きっと、きっとまた会えるわ」


 サリーヌとアドニバルを抱きしめていた腕の感触がなくなり、光が私と兵の全てを包む。湖面が私達を受け入れるかのように裂けはじめ、大きな穴が出現した。光は矢のように穴の奥へ放たれ、私の意識も共に沈んでいった。


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