第243話 未来の君へ、お元気ですか

〈エリシェ、アドニバルと建設中の下層にて〉


「エリシェ姉ちゃん、こっち、こっち!」

「まってよ、アドニバル。はしゃぐと外壁から落ちるわよ」

「大丈夫さ、あ、もう家が建ててあるよ、あっちには大きな塔も!」

「まったくトゥグラトの幼い時みたいに駆け回って……」


 ここはクルケアンの三十層あたりの外壁あたり。ヒトは神殿の側面を覆った外壁を横に延伸し、壁自体を街にすべく建設していく。トゥグラトはハドルメの民も受け入れて百万の人が住める都市にすると発表していた。今でさえヒトは二十万しかいないのに、都市の完成まで含めていったい何百年かかるのだろう。


「天に戻る階段かぁ」


 もしこの階段都市から天の入り口である外宮に辿り着けばどうなるだろう。わたしは魂と肉体を地上に降ろし、外宮に精神を置いてきた。おかげで魂は肉体から零れそうではあるが、精神が天に繋がっているため神の力の数分の一は行使できる。もしわたしが精神と触れ合えば、神であるエルシードに戻ってしまう。トゥグラトはそれを望んでいるのだろうか。


「どうしたの、エリシェ姉ちゃん?」

「ううん、何でもないわ。さぁ、わたし達の秘密の部屋を見つけましょう。こんなにたくさん空いている場所があるんだもの。少しだけもらっても大丈夫なはずよ!」

「……何かあったら責任はよろしくね」

「ふふん、まかせなさい。これでも神殿では偉いのよ?」


 勿論、部屋を勝手に使って大丈夫なはずはない。でもこの都市の石壁には空気を通すための穴や上下水道などがたくさん存在している。どこかわたし達だけが入れる部屋を作り、そこでアドニバルが帰る時代に向けて、できるだけ情報を送り続けねばならない。それはこの小さな友人と時を超えて語り合いたいだけでなく、彼がこっそり教えてくれた、わたし達の時代にこれから起こるはずの悲劇を未来において解決してもらう為なのだ……。 

 

 あの時、夕暮れの教堂でアドニバルはこういったのだ。


「父さんのいた世界ではハドルメの民が魔獣になってしまったんだ」

「十万の民が全て魔獣化するなんて……」

「でも大丈夫だよ。お父さんが未来に帰ったら全員を元に戻すんだって。そのための方法を探すためにアスタルトの兵は調査をしているんだよ。きっと何とかなるに決まってる」

「……アドニバル、あなたのお父さんは、いやバルアダン王は魔獣化そのものを今の時代で止めようとはしないの?」


 そうだ、そうすれば問題は解決するのだ。神であるわたしの力をバルアダン王に貸し与えればきっと……。


「そうかもしれない。でもね、エリシェ姉ちゃん」


 アドニバルが急に顔を俯ける。何かまずいことをいったのだろうか。いやそんなはずはない。未来がどうなるのか、わたしは知らない。知りたくもない。日常の積み重ねこそ未来につながるのであって、逆算するのはヒトの営みとして問題だろう。


「いいじゃない、魔獣化そのものを止めましょうよ。それともアドニバルはこの時代のヒトが苦しみつづけるのを良しとするの?」


 もしかしたら、吐く言葉に少し感情を込め過ぎたのかもしれない。わたしは目に涙を浮かべるアドニバルを見て慌てて抱きしめ謝罪した。


「だって、だってそうなると歴史が変わるよね。そうなると僕も生まれないことにならない?」

「!」


 わたしは自分を恥じた。違う世界から来たヒトに責任を投げつけ、自分は守ってもらうなんてなんて愚かなんだろう。


「母さんもいっていた。過去も、現在も、未来も守るんだって。だからこそ未来で全ての人を助けるんだって……」

「ごめんね、アドニバル。そうね、みんなで救われましょう」


 はりつけた笑顔を見せると、アドニバルは安心したように笑ってくれた。いつか起きる破局より、今はこの小さな友人を宥める方が先決だった。日が落ちた教堂で私は優しくアドニバルの背中をさすり続けながら思う。過去と現在と未来、どれかを選ばざるを得ないとしたらどうしたらいいのだろう。バァル兄様とイルモートが戦った過去なのか、ハドルメが魔獣化するという現在なのか、それとも未来なのか……。


「全てを助ける、か。そんなこと神だってできやしない。バルアダン王、サリーヌ王妃、気付いていて? 貴方達が選ぼうとしているのはそんな道なのよ」


 わたしは胸の奥でそう呟いていた。


「あ、ここなら隠れ家としていいんじゃない?」


 わたしの意識はクルケアンの外壁に戻った。どうやらこの悪戯小僧は秘密の空洞を発見したらしい。身をかがめてようやく入れる隙間を抜け出ると、そこはちょっとした公堂ほどの大きさがある空間が広がっていた。石や木材が置いてあるその場所は、恐らく資材置き場だったのだろう。外壁を修理するための保管庫とすべく、そのまま入り口を石材で閉じたのだ。


「やるじゃない、ここをわたし達の秘密の場所とする!」

「じゃぁ、ここに藁の寝台を置いていい? それに干し肉も、それにそれに……」

「落ち着きなさい、我が友人よ」

「だめかなぁ」

「お菓子や本や、葡萄酒も用意しないといけないじゃない!」

「そっかぁ!」


「子供に葡萄酒を飲ませるつもりですか、エリシェ?」


 呆れたような声をして、私たちの背後から青年の声が響き渡る。しまった、この男にばれてしまった。そういえば昔、神殿のあちこちに隠れ家を作っていたのはわたしとこの男だった。


「トゥグラト!」

「神殿長?」

「まったく、二十六歳にもなって探検ごっことは。聖女と崇める民ががっかりするぞ」

「ふん、この歳で独身で悪かったわね。だから、まだまだわたしは子供です!」


 恋人のトゥグラトに口を尖らせて抗議する。この十年思い合っているが、彼が神殿の最高職にいるため、婚姻できないのだ。彼が市井に戻ればすぐにでも、といってくれているが、既に愛を誓ってくれているので形式にはこだわっていなかったりする。……うん、こだわる必要はない。


「独身は言い訳にできないよ。それにだからといって十歳のアドニバルと対等とはいかがなものかと」

「いいんだもん。ねぇ、アドニバル」

「うん、姉ちゃんは子供だよ!」

「……アドニバル、そこまで断言することはないんじゃないかな?」


 トゥグラトが笑いだし、つられてわたし達も笑う。その時、外から足音が響いたと思うとトゥグラトは口を指で押さえて静かにするように目で促したのだ。神殿長を探せ、と悲鳴とも怒声とも判別がつかない声が聞こえてきた。


「追手?」

「そう、追われている。いいか、じっとしてやり過ごすんだ」

「はい!」

「アドニバル、もう少し声を押さえて。あぁ、エリシェ、君は隙間から外を覗こうとしないで!」


 しばらくして足音が去っていくと、トゥグラトは大きくため息をついて床にへたりこんだ。


「やれやれ、どうやら撒いたらしい」

「神殿長様すごいや、命の危機だね、冒険だね!」

「そうだ、命の危機だった。僕はこれからも狙われるかもしれない。君達のこの隠れ家を使わせてもらってもいいかな?」

「勿論さ! それに敵が来たら僕がやっつけてあげるからね。神殿長様も、姉ちゃんも守ってあげる!」

「トゥグラトでいいよ。アドニバル、偉大なるバルアダン王の息子。僕らは対等な友人だ。いや、僕ら三人は、かな」

「ねぇ、トゥグラト、この場所を使うのはいいのだけれど、何があったの?」


 トゥグラトは顔をしかめていいづらそうにわたしを見つめた。神殿に何かあったのだろうか、それとも地下に封印した悪神共がクルケアンに害をなしたのか?それとも……。彼はぎこちなくアドニバルの方に向き直り、急ぎクルケアンでの屋敷に帰るように伝えたのだ。


「さぁ、アドニバル。今日はもう帰るんだ。ロトが飛竜に乗って探していたぞ。何か約束していたのではないか?」

「あ、そうだった、そろそろ剣の稽古をするんだっけ。でもせっかくこの場所を見つけたんだし、もう少し遊びたいなぁ」

「ふふっ、友人にしてくれたお礼に、この場所を改造してあげよう。僕の印の祝福があれば秘密の入り口や、隠し通路、部屋を増やすことも簡単さ!」

「すごいやトゥグラト兄ちゃん!ねぇねぇ、明日の午後も来るからさ、その時までにできる?」

「あぁ、すごい隠れ家にしてあげよう」

「……トゥグラト、子供っぽいのはあなたの方じゃない。神殿長はもっと紳士的にふるまうべきだわ。わたしはこれでも淑女として振舞うこともできるのよ?」

「ねぇ、トゥグラト兄ちゃん、淑女ってどんな意味?」

「そうだね、エリシェが見本だとすれば、口が悪く、手が早い女性ってことかな。ほら、アドニバルもよくほっぺをつねられるだろう?」

「そっか、じゃぁ母さんもやっぱり淑女だったんだ、父さんに教えてあげなくちゃ!」


 そういうと、アドニバルはすごい速さで壁の隙間から抜け出していった。最後にわたしをからかうように、にぃ、と笑って去っていく。よし、あとでサリーヌさんと結託してアドニバルとトゥグラトに説教だ。淑女の正しい意味をその身に叩き込んでやるぞ。


「アドニバルを帰らしたのは巻き込まないようにするためよね。わたしなら大丈夫だから。誰に追われていたか話してくれる?」

「あぁ、そうだ。……いや、違う」

「もう、何なの、わたしがあなたを助けるのに理由はいらないでしょ」

「うん、そうだ。でも少し待っていてくれ。アドニバルとの約束を先に果たす」


 トゥグラトは権能杖を振りかざし、「モノの在り方」を決めていく印の祝福を持って、隠れ家を小さな神殿のように作り替えていく。小塔への抜け道や、隠し通路、石材を抜かないと入れない隠し小部屋まで作るのは、昔、クルケアン一の悪戯っ子といわれた彼に相応しい仕事ぶりだ。

 最後にトゥグラトは城壁内の太陽の祝福を伝える導管をこっそり伸ばして、魔道具の灯りで部屋を照らしていく。その灯りが彼の影をゆっくりと揺らしていく。やがてその影の手が伸びて、わたしの影と重なった。視線が上がり、わたし達はお互いの目を見つめ合う。

 

「エリシェ、神殿長を辞めることにした。いや、辞めてきた。実は部屋にその書置きをして飛び出してきたんだ。あの追手は僕を止めようとする神官たちさ」

「クルケアンの市民にはあなたの力が必要でしょうに」

「……そうだね」

「貴族だってあなたやバルアダン王に叛く時機を図っているのよ」

「…そうだ」

「それに、そんな大事なこと、兄であるアサグさんには話したの?」

「あぁ、兄さんは肩を叩いて祝福してくれたよ。幸せになれって」

「!」


 あぁ、そういうことか。高位の神官ではできないこと、それも神殿長では猶更できないことか。

 頬に熱を感じ、鼓動が早くなるのを感じる。

 うん。そろそろだとは自分でも思っていた。

 実は待ち望んでいた。

 でもいざその時が来たかと思うと、嬉しさと緊張とで動けなくなる。


「エリシェ、長く待たせてしまった」

「……はい」

「長い間、そう、とても長い間、君を想い続けていたんだ。そしてこれからもだ」

「…はい」

「僕と結婚しておくれ、そして家族となって欲しい」

「はい!」


 想像の中では、静かに嬉し涙を流しながら彼の求愛を受けるものと思っていた。

 でも実際は、本当のところは嬉しすぎてじっとしていられなかった。

 彼がびっくりするほどに抱き着いて、飛び上がりながら返事を繰り返す。


「はい、はい、はい!」


 自分でも泣き声をあげているのか、歓声をあげているのかわからない。でも彼を愛しいと思うわたしの気持ちは伝わったはずだ。だってようやく落ち着いて照れ笑いを浮かべた後に、トゥグラトはとびきり長く、やさしい接吻をしてくれたのだから。



 その時、大きな音が鳴り響き、頭上から子供が落ちてきた。


「アドニバル!」

「え、えへへ、ばれちゃった」

「どうして、あなたは帰ったはずじゃ」

「まだまだ甘いね、エリシェ姉ちゃん。みんなでそろそろじゃないか、って噂してたんだよ。それに今日のトゥグラト兄ちゃんの緊張ぶりを見てて、僕はぴん、ときたね。素敵なことがあるとすれば、それはきっと今日だって!」


 得意げな顔をして褒めて欲しいように胸を逸らして近寄ってきた。わたしは祝福してくれる友人代表の小さな男の子を抱きしめ、思いっきり頭を撫でてあげた。


「ありがとう、アドニバル。でも覗き見は紳士としてどうかしら」

「だって大好きな姉ちゃんが幸せになれると思うと、つい……」


 可愛い奴め、大好きな弟分にそういわれれば仕方ない。うん、ありがとう、アドニバル。


「つい、みんなを呼んじゃった!」

「え?」


 アドニバルが落ちてきた天井の穴が崩れ、複数の悲鳴がわたしの周囲で響き渡る。


「もう、アドニバル!穴をあけすぎよ!」

「えー、覗きにくいからって月の祝福を用いて穴を拡げたのは母さんだよ?」

「そ、そうだったかしら?」

「アドニバル、父さんは覗きは良くないと思うんだ」

「でも、父さんもついてきたじゃない」

「……母さんを止めようと思ってな」

「トゥグラト様、エリシェ様、両親と弟が失礼をしました!」


 バルアダン王、サリーヌ王妃、その養子のロトが床に座り込んで、わいわい騒ぎだした。そして穴を見上げると、喜色を浮かべているアサグ大司祭やあきらめ顔の追手の神官たちがいるではないか。



「ごめんね、姉ちゃん!」


 白い歯を見せて朗らかに笑うと、この小さい悪童は脱兎のごとく走り去った。


「アドニバル、許さないからね! もうお菓子は半分しかあげないから!」


 ともかくも、多くの人に祝福されて、わたしはトゥグラトと家族になったのだ。あぁ、このまま幸せが続けば、そしてヒトとして生きられたらどんなに良かっただろう。



 アドニバル、わたしの大切な友達へ。

 あなたは無事に未来へ帰れたかしら?

 未来でこの手紙を読んでくれていますか。

 未来はどうなっていますか。

 

 わたしはあの隠れ家で手紙を書き続けています。あなたが消えたように、辛い事も多いので楽しかった時のことも書き残しておきますね。わたしがトゥグラトの求婚を受けた時、君が落ちてきてびっくりしたけれど嬉しかったんだぞ。

 さて、お姉ちゃんはこの時代のクルケアンの全てを文字に書き残すつもりです。天文台の観測によれば魔獣化はもうすぐそこまで迫ってきているらしいの。それまでに多くのことを君に残そうと思う。きっとあなたの助けになるでしょう。そして、きっとあなたやバルアダン王がみんなを救ってくれるはずだから。


 その時はまた一緒にお菓子を食べようね。


 エリシェより、君が未来に戻っていることを信じて。

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