王の帰還

第242話 アドニバルとエリシェ

〈アドニバル、ティムガの草原の行宮にて〉


「父さん、父さん、タニンを貸して!」


 ティムガの草原に造られた行宮あんぐうを、僕は息せき切って父さんの許へと駆けていく。行宮といっても王である父さんが宮殿を好まないため、野営地よりはましな砦、と言った方がしっくりくる。せっかくハドルメの将軍であるシャプシュじいちゃんがギルアドの城を宮殿にといってくれているのになぜここに住むんだろう。何よりあそこなら竜がたくさんいて、じいちゃんに頼めばこっそり貸してくれるのに!


「アドニバル、何度も言うがタニンは巨竜のため、お前ではまだ乗りこなせない。せめて馬に乗れるようになってからだ」


 父さんはそう言って僕を慰め、優しく頭を撫でてくれる。ふふっ、どうやら僕が飛竜に乗れるのをまだ知らないようだ。そのことを父さんに自慢したくて思わず口に出しそうになるけれど、母さんが知ったら怒るだろう。家族の中で、まず怒らせてはならないのがサリーヌ母さん、次はロト兄さんなのだ。


「なら父さん、一緒にタニンに乗ってクルケアンの大階段を見に行きましょう。もうすでに神殿を覆うまでできているんだって!」

「耳の早い子だ。いったい誰に聞いた?」

「ロト兄さんです。ハミルカルに騎乗して空から見たのだと。ねぇ、父さん、一緒に行こう」


 やれやれといった様子で椅子から立ち上がる父さんの腕をとって、行宮の外に引っ張り出す。早くタニンに乗ってここから離れないと僕の身が危ないのだ。案の定、鞍に飛び乗った瞬間に冷たい声が僕の背を刺した。壊れた水車がきしむように僕は振り返り、機嫌を取ろうと精一杯の笑顔を作った。


「アドニバル、あなた午前の勉強をさぼるつもりかしら。今日は私が歴史を教えてあげるといったでしょう」

「母さん、未来の歴史よりも今は目の前の歴史を見なくちゃ!」


 早く飛び立ってと、父さんの背中を叩く。呆れたような瞳を向けられるものの、父さんは手綱を引いて、タニンを空の上に舞い上がらせた。よしよし、これで今日一日は勉強から逃れることができる。


「サリーヌ、久々に家族で遠出をしよう。ロトと共にハミルカルに乗って後からきてくれ。せっかくアドニバルが今の歴史を学びたいといっているんだ。神殿の教堂でエリシェ殿に教えていただこう」

「エ、エリシェ姉ちゃんに教わるの? 母さんより手が早い人に教わりたくない!」

「……アドニバル、母さんは悲しいわ。淑やかに、優しく接したつもりだったけれどあなたには伝わらなかったみたいね」


 手で顔を覆ってさめざめと泣く母さんに少しだけ罪悪感を覚えるが、指の隙間から口の端が上がっているのを見てそんな気持ちは消し飛んだ。魔獣を正面から斬り伏せる淑やかな王妃様は、きっと神殿の特務機関式学習法とやらで僕をしごくのだろう……。


「ラザロ、ユバル、アビガイル、リシア! バルアダン中隊第一小隊は王の護衛をしつつクルケアンへ赴きます。敵対貴族の襲撃を受ければこれを排除せよ」


 王妃から王付きの小隊長へと切り替えた母さんが部下のラザロさんたちに指示を出していく。父さんはそんな様子に苦笑しながら僕を鞍の前方に座らせた。


「ということだ、まぁ諦めろアドニバル。せめてクルケアンまでは私達で先駆けといこう」

「え、母さんたちを待たなくてもいいの?」

「たまには竜でおもいっきり飛び回りたいだろう?」

「さすが父さん、話が分かる!」


 父さんが手綱を引き締め、拍車でタニンの腹を軽く叩くと、意を察した竜の王が文字通り空を切り裂いて飛んでいく。僕の歓声を風が後方へ吹き飛ばし、見る見るうちに行宮が遠ざかる。そして近づいてくるのはクルケアンの階段都市だ。大神殿を覆い隠すように作られた外壁は階段状となり、天に至る台座のように見える。そしてこれを下層として長い年月をかけてさらに中層、上層へと都市を積み上げていくというのだから面白い。未来のクルケアンではどんな人が生活し、都市を利用しているのだろうか。


「ねぇ、父さん。父さんがいた未来のクルケアンではあの台座の上に何があるの?」

「そうだな、あの台座を大廊下と呼んでいて、それより上には都市建設に関わるギルドの工房があるんだ。さらに上には私が所属している飛竜騎士団が詰める層があってね。そこの高さは百六十アスク(約千二百メートル)あたりになるかな。上層はもっと高いぞ。二百五十アスク(約千八百メートル)にもなって、そこには貴族の住宅や評議会があるんだ。……どうした、アドニバル、変な顔をして」

「だって父さんが笑っているところ、久々に見たんだもの」

「ふふっ、そうかもしれないな。少し昔を思い出してな」


 そういって父さんはクルケアンの上空を指さした。


「都市があそこまで建設されたとして、お前なら外壁をよじ登っていけるかい」

「えー、絶対無理だよ。そんなことできる人なんて絶対にいない!」

「弟がいてな、目を離すと大抵はあの辺りまで登っていた。妹と一緒に叱っても、諭しても翌日にはまた登っているんだ。挙句の果てには妹まで一緒に連れ出して登り始める。まったく困った弟妹だった」

「僕の叔父さん、叔母さんになるのかな?」

「まぁ、そんなところだ。アドニバルとは似た者同士、きっと馬が合うと思うのだがね」

「僕はそんな無謀なことはしないよ!」

「いや、弟はいつも悪戯をしては周りから怒られていたし、女性には頭が上がらない。そっくりだと思うが?」

「まさか、僕はそんなに情けない男じゃないよ。頭が上がらないのはロト兄さんだけだし。まぁ、時にはエリシェ姉ちゃんも、母さんもそうかもしれないけれど」


 見くびってもらっては困る。僕は自分の事をアスタルトの国一番の十歳児だと思っているのだ。えへん、と胸を張って勇敢な男であることを父さんに示す。そして父さんに自分の武勲を報告していくのだ。何せ忙しい父さんと一緒に過ごす貴重な時間だ。……本当はクルケアンより、今この瞬間こそが僕が求めていたものだった。ロト兄さんとの試合で一本取ったこと、シャプシュ爺ちゃんに飛竜の乗り方を教わっていること、ハドルメ騎士団のオシールさんとシャマールさんと共に狩猟に出かけたこと‥‥‥。

 あぁ、もっともっと父さんに聞いて欲しい、父さんとの時間が欲しい。僕自身変だと思うのだけれども、何故か父さんと過ごす時間はもうあまりないように思えるのだ。でもそんな時間はあっという間に過ぎて、タニンはクルケアンの城壁に降り立った。


「いらっしゃい、アドニバル。クルケアンの神殿は君を歓迎するわ」

「げぇ、エリシェ姉ちゃん、何故ここに!」

「ずいぶんなご挨拶ね。それとも約束をすっぽかした事をごまかそうとしているのかしら」

「エリシェ殿、愚息が何かしでかしたので?」

「いいえ、バルアダン王。些細なことでございます。この子に私が魔力の使い方を教えようとしたのに、教堂に身代わりの藁人形を置いて逃げたのでございます」

「アドニバル、お前……」


 逃げようとすれどもここは既に二十アスク(約百四十四メートル)程度もある外壁の上。空にも地上にも道はない。そろそろとタニンに近づきその手綱を掴もうとした時、優しい声が頭上から降り注いだ。


「アドニバル、どこへ行こうというのかしら。せっかくクルケアンまで来たのですからエリシェさんと学んで帰りましょう。安心しなさい。私も一緒に教えてあげますから」

「か、母さん……」


 そしてもう一人、僕の兄さんが厳しい目をしながら言い放つ。


「そうだぞ、アド。お前には剣の才能も強い魔力もあるんだ。時間を惜しんで訓練に励め。終わった後で俺が剣の稽古をつけてやる」

「ロト兄さん……」


 頭の上がらない三人に、僕はことさらに頭を下げて両手を挙げ、降参の意を示した。慈悲を乞うたつもりだが、恐る恐る見上げると、それぞれが僕の拘束時間を相談しているところだった。

 あぁ、神様。今すぐにこのクルケアンから天へ昇って勉強のない世界に行きたいです。



 父さんがラザロさんを引き連れて神殿長へ挨拶に行っている間、僕は神殿の教堂にて座学を受けることになった。天蓋のように空を覆う外壁が、下層のこの場所から見ると強い圧迫感を受ける。わずかに残る天頂部の隙間から指す光が教堂の高窓を通してエリシェ姉ちゃんの顔を照らしていた。うん、本人には言えないけれどとても綺麗だ。神殿長のトゥグラト様が惚れるのも分かるような気がする。だって女神さまがいるとすればそれは目の前の女の人の事だろうから。母さんと同じく、とても(黙っていれば)美しい、そんな人が姉替わりなのだから僕としても鼻が高いわけだ。


「そうだ、エリシェ姉ちゃん、なぜクルケアンは階段をつくるの?」

「アドニバル、話題を逸らして授業を逃げようとしていないわよね?」

「そんなわけないです、はい」

「……もう、仕方ないなぁ、これは階段ではないの。この神殿の地下には悪い魔神がいてそれを封印するために外壁で覆っているのよ。また祝福で都市機能を効率的にまわしていくのもあるわね。こう、魔力を階段に滑らせるように流し込んでいるの」

「でも、石と木材では崩れ落ちてしまわない?」

「でもこれ以上は高くするつもりはないはずよ」

「でも、父さんは未来のクルケアンはもっと高くなるっていっていたよ」

「未来ですって?」

「うん、父さんがいた世界だよ」

「何をいっているのアドニバルったら、そんな未来の計画はないわ」

「でも、父さんは雲と同じくらいの高さに飛竜騎士団の本部があったっていってた」

「そう、あの王がそういっていたの……。ねぇ、アドニバル、わたし達クルケアンの市民はね、未来から来たというバルアダン王の話を聞くことは禁じられているの。トゥグラトもいっていたけれど未来を知ると私たちの生きる意味がなくなるからって」


 そりゃあそうだ。僕だって明日の食事に蜂蜜抜きの麦粥が出ると知れば、やる気がなくなるに決まっている。


「王はいつか未来へ帰る。勿論、君もね。だからアドニバルがいなくなってもこのクルケアンで元気に暮らしていることが想像できるように、王の話をこっそり教えてくれない?」

「いいよ、じゃあね……」


 どうやら授業を回避できたようだ。まだまだ甘いな、エリシェ姉ちゃん。難しい講義から解放された僕は喜んで父さんや母さんから聞いた話をする。


「父さんには弟と妹がいて、セトとエルシャっていうんだ。それがさぁ、エリシェ姉ちゃんとトゥグラト神殿長の子供の時そっくりなんだ。いたずらっ子のセトが、エルシャにやりこめられているらしいよ」

「あら、わたしはそんなやり込めるなんてしないけれど? 淑女ですし」


 以前、講義に飽きて机に突っ伏していた僕を、両の拳でこめかみを押さえつけたのは一体誰だったか。


「……それでね。そのセトっていう子はいつもクルケアンの頂上を目指しているんだって。何回も何回も失敗しては飛竜騎士団に捕まって降ろされるんだ」

「その子は何でクルケアンの頂上へ?」

「それは知らないや。でも二百五十アスク(約千八百メートル)もある頂上にいったところで怖いだけだと思うよ。きっとそのセトは天に登りたいんじゃない?」


 高窓から差し込んでいた光が消えた。エリシェ姉ちゃんの顔は影が差したかのように暗く、その表情は見えない。


「二百五十アスク、そこまで都市を高くすればきっと広寒宮の外宮に届く。それが目的なの、トゥグラト――」

「エリシェ姉ちゃん、なにをぶつぶついっているの」


 教堂が暗くなったためか、太陽の祝福を受けた角灯ランプに輝きが生まれ、ゆっくりと部屋を照らしていく。

 気のせいだろうか、エリシェ姉ちゃんの顔に夕陽のような光が当たる寸前、何かが頬から零れ落ちたような気がしたのだ。でも次の瞬間、露わになったエリシェ姉ちゃんの顔には笑みが浮かんでいた。


「やはりここは太陽の光は届きにくくなったなぁ。きっと未来のクルケアンは祝福なしでは機能しないかも。ならやっぱりアドニバル、あなたの魔力も鍛えてみんなの役に立たなければね。きっとあなたには神様の祝福があるはずだわ。わたしと同じ、エルシード神の水の祝福なら嬉しいのだけど。さてと、特訓特訓!」

「あぁ、授業に戻ってしまった」


 いつもの倍くらい厳しい講義が終わり、へとへとになって教堂を後にする。何とか母さんの授業と兄さんの稽古からは逃げなければ……。


「あぁ、安心なさい、アドニバル。今日はもう他の指導はないらしいわ」

「本当? やったぁ!」

「その代わり十日間はクルケアンでかわるがわる指導するそうよ。明日はサリーヌ王妃で、明後日はロト君ね。その次がわたし。一応王子なんだし、しっかり学ばないとね」


 僕の情けない声が神殿の最下層に響き渡った。そんな僕を慰めようとしたのか、最後にエリシェ姉ちゃんが素敵な提案をしてくれた。


「午後は授業もないらしいし、建設中のクルケアンの探検に出かけましょう。これだけ大きい外壁ですもの。きっと誰も知らない秘密の場所もあるはずよ。そこに二人で手紙を隠しましょう」

「手紙?」

「そうよ。わたしからは、いつか未来に帰るあなたに向けた手紙を、あなたは未来に私に伝えたい手紙をね。あ、手紙の内容はわたしに教えちゃだめよ。お互い数年おきに読んでいきましょう」

「古いクルケアンと、未来のクルケアンが結びつく……」

「そうよ、そうすればお互い離れても寂しくないし、何より面白いでしょう?」

「面白い、やるやる!」


 今日はなんてすばらしい一日だったことか!

 父さんともゆっくり話すことができたし、エリシェ姉ちゃんと探検の約束もできた。何より未来へ行っても手紙を受け取れるのがとても嬉しい。本当のところをいうと、ここで生まれた僕は未来へ行きたくないのだ。姉ちゃんやシャプシュ爺ちゃん、ハドルメ騎士団のみんなと楽しく暮らしていきたい。……でも父さんと母さんが寂しがると思うのでやはりついていくと思う。だからこそ、エリシェ姉ちゃんの提案は本当に嬉しかった。

 トゥグラト神殿長の実家が僕たち一家のために用意され、その寝台で横になりながら、僕はにやつきながら眠りに落ちた。

 きっと未来は楽しいに違いないと思いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る