第241話 イルモートの復活② 宣戦布告

〈ザハグリム、天幕にて〉


「先輩!」


 地に縛り付けられているような感覚が消え去り、私は飛び起きた。


「目覚めましたか。良かった、これでウェルも安心するでしょう」

「……君は、アナト殿の副官のニーナ。あの大穴から戻ってこられたのですか。あぁ、ならば隊長は、バルアダン隊長もここにいらっしゃるのですか!」

「落ち着いてください、バル様は魔獣を救う手段を得てからこの時代に戻ってきます。あの方とその旅団が帰ってくるための灯として私とアナトは先に帰還しました。なのでこの戦いは我々だけで対処せねばなりません。でも多分大丈夫です」


 隊長がいないことに落胆しつつも、ニーナが悲観的でないことに疑問を抱く。


「あの兵、タダイは鉄塔兵と呼んでいましたが、あれに対抗するのは困難ですぞ。なのに貴女はなぜ笑っているのです」


 ニーナは困ったように私を見て、そしてまた笑顔を見せた。ウェルと同じ、まだ開きかけた蕾を思わせるこの女性は、その外見に反して労わるような表情をしている。……その歳でどれだけの苦労を、そして苦悩をしてきたのだろうか。


「ウェルがいったのです、ザハグリムに呪いをかけたタダイをぶっ飛ばして、目覚めさせるんだ、と。それが今、私の目で実現しましたから。それにもう一つ前向きな言葉を残しています」

「もう一つとは?」


 その時ニーナは初めて年相応の少女のような瞳を私に向けた。


「目が覚めたらさっさとあたしの横に来い! 戦に勝ってもあんたがいないんじゃ、嬉しさも半分だ、とのことです。ウェルにとって勝つことは想定内です。だから安心してください」


 私は上気した顔を隠すように俯いた。拳を握り締め、軽く痺れている体を叱咤する。目を閉じると、ウェルが寝ている私を怒ったように励ましている様子が思い浮かんだ。果たしてこれは記憶だろうか、それとも願望だろうか。そして彼女は私に口づけをしたのだ。まったく、これが恋する男の愚かさかと、私は苦笑と共に立ち上がる。


「ウェルとは同じ貧民街の生まれです。あの子をよろしくお願いします」

「勿論です。貴族は財を欲しがるもの。あのように美しい財を放っておけるはずがない」


 天幕を出て、傷ついた飛竜に騎乗する。ウェルとアジルがいる戦場に向かおうとした矢先、ニーナが最後の言葉を投げかけてきた。


「これは私見です、ザハグリム。やはり接吻は男性からすべきものだと思うのですが如何でしょうか?」


 私はまた俯いて、逃げるように飛竜の手綱を引いた。



 既に日は暮れているはずなのに、戦場の一部分だけがまぶしく光っている。タファト導師の祝福を込めた短筒槍アルケビュスの光弾のせいだろう。先輩、いや、ウェルがそこにいるはずだと翼の破れた竜を急がせる。果たしてそこに見えたのは心臓から血を流して倒れるアジルと、同じく血だらけで支えるウェルの姿であった。そしてタダイが冷笑を浮かべて彼らに近寄っているではないか。


「させるものか!」


 竜ごとタダイに体当たりをし、地上で受け身を取って立ち上がろうとする。おぞましい予感が全身を震わせ、片膝立ちのまま抜剣し、上方に剣を振るった。金属がぶつかる音が頭上で聞こえ、同時に嘲笑の声が浴びせられた。


「無為徒食の見本であったあなたが、戦士としてよくも成長したものですね」

「タダイ!」

「さて、もうあなたは用済みです。呪いの方はアジルに引き受けてもらいましたので」

「貴様は何を為そうとしている!」

「神の復活に過ぎません。偉大なるイルモートの力は世界を壊しつくすでしょう。それが、それこそが我が願い。光栄に思いなさい、あなた達始まりの八家は神の器としてその役割を果たすのだから」


 タダイの祝福を受けた長剣がしなるように襲い掛かり、先祖伝来の甲冑が乾酪チーズのように切り刻まれていく。駆け出しの騎士である私なぞすぐに殺すことができるのに、敢えてそれはしないのは嬲っているのだろう。技量・経験共に彼方あちらが上、ならば私が上回るのは意志だけだ。


「知っているか、タダイ?」

「何をです?」

「ぼろうもうけ団はな、全てに於いて勝つんだ」

「血を流しすぎて、正気を失いましたか。哀れな男よ」


 タダイの剣が首筋に打ち込まれ、私は身を逸らして肩口で受け止める。剣は骨を砕き、肉を割く。私は獣のような声を上げ、何とか動く手を持ちあげてタダイの剣を握りしめた。


「タダイ、お前には大切なものの為に命を捧げる覚悟はあるのか?」

「な、何を……」


 私はタダイの剣を掴んだまま、もう片方の手でゆっくりと剣を振り上げた。タダイの冷笑がわずかに強張り、そして憎しみに溢れた視線が私を刺し貫く。


「ヒト風情に何がわかる! 命を捧げるだと? できもしないことを!」

「ならば人になればいい、ぼろもうけ団は欲張りだ。誰であろうと受け入れる」



 私の剣がタダイの肩口を粉砕し、奇しくも同じ態勢のまま睨み合う。互いの息遣いと心臓の鼓動が剣を通して共有した時、精神の内にある光景が再現されていくのに気付いた。これはタダイの記憶だろうか?


「我が主、どうしても行かれるのですか。広寒宮の主人がいなくなっては誰がヒトを見守るのです」

「タダイ、神というものはもはや不要なのだ。我が眷属であるバァルやナンナたちでさえいずれは消える運命だ。ヒトが自らの力で生きられるようになった今、大地に降り、私の子たちでもある彼らと共に過ごしたい」


 男性か女性かも知れぬその存在は、縋りつく従者に優しくそういって頭を撫でた。


「しかし、主よ! 御身がしようとしていることは人にその御魂を祝福として分け与えることでございましょう。それでは自我を失ってしまいます」

「ヒトが獣から人になるためには、絆を理解せねばならぬ。だからこそ私はヒトに愛の祝福を注ぐのだ。タダイ、お前にはこの広寒宮で彼らを見守っていて欲しい」

「……共に行けとはおっしゃらないのですね」

「バァルもまだ若い。そしてヒトが崇拝する月や太陽などから現れたナンナとタフェレトとは違い、ダゴン、モレク、メルカルト、ラシャプらは古代の竜の荒々しさがまだ残っている。ヒトの未熟な欲求と崇拝を受けて力を得た神を抑えるために、彼らの調停者としてこの広寒宮に残って欲しい」

「いずれは地上に降りても構いませぬか?」

「あぁ、その時は人として私の作った世界を旅するといい。良い人との出会いがあるといいな」

「主の祝福を受けたヒトです。必ず良い出会いがあるに違いありません」

「何か有事の際には人と神のつなぎ手として幾人かに私の力を強く残しておこう。その時には彼らを率いて人の世を助けてやってくれ」

「承りました。我が主」


 ……さらに奥深く魂の深淵に潜ろうとすると、悲壮な叫び声と、呪いの声が聞こえる。そしてひと際大きな声の中に私の意識は放り込まれた。


「殺せ! 誰か私を殺せ、ヒトでも人でもない私を誰か殺してくれ。バァルでもいい、イルモートでもいい。ラシャプでもいいのだ。私を、どうか……!」


 何やら自分の体と精神が共鳴を起こしているようだ。神の器たる始まりの八家族の力なのだろうか? 嵐のように魂が揺さぶられ、タダイの怒号が耳朶に響き、現実に戻る。目の前にはタダイが凄まじい形相で私を睨みつけていた。


「我が記憶を盗み見るとは傲慢で強欲なヒトめ! ザハグリム、貴様は必ずこの手でくびり殺してやる!」

「タダイ、お前は死にたいのか――」


 タダイは、身をひるがえして闇に消えた。半瞬の亡失の後、ウェルとアジルの許へ駆けつける。すでに団員が治療のため集まっており、大声で騒いでいる。喧騒の中でニーナが治療に駆けつけてくれ、ウェルは重傷だが命の別状はない事、そしてアジルの心音が止まっていることを知った。


「アジル、おい、アジル、しっかりしろ!」

「アジル、あたしの許可なく死ぬな!」


 アジルが弱弱しい顔で笑顔を作る。何かを伝えようとしているのだが、それは声にはならない。ウェルが抱き寄せたアジルの手が力なく地上に垂れ、やがてその目から光を失った。


「肉体は滅んでも魂と精神はまだそこに在る!せめて思いだけでも……。ザハグリムさん、あなたの手をお借りします」

「ニーナ、今なんと?」


 それ以上、有無を言わさず、ニーナが私の傷ついた手をアジルの胸に置いた。


「兄さんがエラムの魂をアバカスの精神に導いた。兄さんほどじゃなくてもいい、僅かな時間、勇敢な生に対してせめてもの見返りを!」


 月の祝福が私とアジルを包み、血を介して私の魂がアジルの精神の内に入り込む。そして暗い精神の器の中で私はアジルと再会できたのだ。そこにいる悪友は少し困ったような、そして照れているような顔を私に向けていた。


「おいおい、なんで俺の精神の中に入ってくるんだ。お前とは顔を合わせたくなかったんだぞ」

「馬鹿野郎、まだお前とは決着はついていないんだ、親友を勝手に置いて行くな!」

「……なぁ、ザハグリム。お前に謝っておかなければならない。俺は親友なんかじゃない。ウェルにぶん殴られる前まではな、お前をタダイに売り渡して神の力を得ようとしていたんだ。自業自得さ」

「黙れ馬鹿」

「おいおい、人を何度も馬鹿と」

「馬鹿に馬鹿といって何が悪い! なら何でイルモートの呪いを受け入れた! ウェルがかばったんだろう、それならば致命傷になるはずがない。アジル、お前はわざとタダイの刃と呪いを受け入れたんだ!」

「……」

「私にかけられた呪いを引き受けたんだろうが、この馬鹿が……」


 アジルの肩に手を置いて泣きわめく私に、親友は優しく声を投げかける。


「二勝一敗」

「何?」

「昔、お前の女を横取りして俺の一勝、あの遊戯場の喧嘩に勝ったお前が一勝」

「あとの一勝は何だ?」

「お前が寝ている隙に、ウェルの手の平に接吻をした。俺の勝ち越しだ」

「ウェルは寝ている私に口づけをしたんだぞ」

「馬鹿はお前だ。男が自分から求めないで何の勝負だ。お前は踊る時もウェルに主導権を取られるだろうさ」

「知っていたのか!」


 見上げた親友は一瞬驚いたような顔をした後、大声を上げて笑った。


「ありがとう、ザハグリム。最後まで俺を親友だといってくれて。この一か月こそ俺の人生の宝物だった」

「待て、アジル、待ってくれ!」

「俺の魂と精神は地下のイルモートに結びつく。いずれ俺の魂は消え、やがて強い魂を受け入れて復活するだろう。でもな、俺はイルモートの中にあって少し足掻いてみたいと思う。お前がいつも自慢しているバルアダンが戻れば何とかしてくれるのだろう? ひと月はもたせてみるさ」


 お前が憧れるという、その男に少し嫉妬するがな、そういってアジルは私に微笑みかけた。


「アジル、アジル!」

「やれやれ、こういう時、貴族は格好をつけるものだぞ。始まりの八家、カフ家のザハグリムよ!」


 アジルが叱咤激励するかのように私に向かって叫んだ。


「……ピエリアス家のアジルの魂に誓う。私はお前の想いと共にウェルを、団員を守ろう。そしてクルケアンとハドルメの市民もだ!」

「ぼろもうけ団らしいな、でもまだ足りん」

「必ずウェルを幸せにして見せる」


 アジルが私に笑いかけ、そして軽く拳で頬を小突いて赤い光の中へ消えていく。


 約束だぞ、ザハグリム

 あの喧嘩、本当に楽しかった……。



「アジル!」

「ザハグリム、アジルは、アジルの魂とは出会えたのかい!」


 泣きじゃくるウェルを安心させるように抱きしめ、彼と約束したことを全て耳元で告げる。ウェル、大丈夫だよ。アジルの想い、そして私の想いがあなたを支えるから。

 立ち上がった私は団員に向かって叫ぶ。アジルの意思を継いで戦いはまだまだ続くのだ。


「みんなよく聞け! すべてを滅ぼす神、イルモートは復活した!」


 団員が絶望の顔をして私を見つめていた。気付けばウェルの手が私の手を握りしめ、私と並び立っていた。


「だが、アジルの魂が今しばらくの時間を稼いでくれる!バルアダン隊長が戻られた後、我らは神に勝利するだろう!」

「みんな、アジルが稼いでくれた時間を無駄にはできない、もうしばらくみんなの命をあたしに預けてちょうだい!」


 タファト導師の光弾の明るさが消え始め、辺りは空気が凍り付くような暗闇に覆われる。しばしの静寂の後、誰かの声を皮切りに団員たちが次々と声を上げ始める。


「クルケアンを守るのは俺たち貴族だ!」

「そうだ、そしてぼろもうけ団としてハドルメも救うのだ」

「あぁ、貴族は強欲だからな、みんな救ってやる」

「団長が一番強欲だがね」

「その通りだ!」

「団長、次の戦場は何処ですか、面白いものを見せてくれるんでしょう!」

「団長!」


 隣でウェルが力いっぱい息を吸い込む音が聞こえた。


「次の戦場は元老院だ、神殿の企みを暴き、クルケアンに蔓延はびこる邪悪を打ち払うぞ!みんなあたしについてこい!」


 ティムガの草原に人と竜の雄叫びが広がっていく。それは私たちにとって神殿勢力への宣戦布告でもあったのだ。

 

 さぁクルケアンに帰ろう、アジル。お前の魂をイルモートから解放するときには二勝二敗だからな、覚悟しておけよ。

 私は親友の遺体を抱きかかえながらそう呟いた。



クルケアン動乱篇 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る