第206話 子に託すもの② 魔人の嘲笑

〈アサグ、神殿へ馬を走らす〉


「トゥグラト、エリシェ、お前たちまで来る必要はない!」

「兄さん、僕もエリシェも家族だ」

「そうです、アサグ。……もう皆と離れ離れになるのが嫌なの」


 エリシェは何か不吉なことを感じているのだろうか、なればこそ共に行くわけにはいかぬ、そう考えたアサグは一計を案じた。


「ならば神殿にてひと騒動起こしてくれぬか、私が奥の院へ侵入するために時間を稼いで欲しいのだ」

「分かりました、しかし一刻をすぎれば追いかけます。危ないとみればすぐに引き返してください」


 その場を急ぎ去ろうとするアサグをエリシェが呼び止め、エルシードとしての祝福と加護をアサグに注ぐ。アサグは跪いてその祝福を受け、必ず戻ると弟に告げて神殿に向け馬を走らせた。


「エリシェ、兄さんに何をしたの?」

「魔力でせめてもの加護を権能杖とその体に付与しました。何かあっても魔力が残っている限り居場所はつかめるわ」


 トゥグラトは心中で首を傾げた。確かにエリシェは優秀な魔力を持っている。しかし、淡く発光するほどに権能杖に魔力を付与できる者など聞いたこともない。いやそれ自体は喜ぶべきことなのだが、トゥグラトはどこかで同じような光景を見たような気がしたのだ。兄と自分、そして彼女が遊んでいて、どこか広い宮殿で迷子になった自分を幼いエリシェが見つけてくれた、その光景を。何故居場所が分かったの、と聞く自分に、エリシェは指を指して笑った。


「あなたに贈った梟のお守りにわたしの加護を注いでおいたの。だからわたしは何処にいてもイルモートを探すことができるんだから!」


 ……イルモート? イルモートとは誰だ。神を指したわけでもあるまい。それに兄の顔だ。思い出した光景のそれはアサグの顔ではなかった。


「どうしたの、トゥグラト?」

「何でもないよ、エリシェ。さぁ、神殿で騒動を起こそうか!」


 父母が行方不明となり、兄を心配しすぎて疲れているのだろう。頭を振って雑念を払い、悪戯小僧の顔になってトゥグラトはエリシェの手を取った。


「ちょっと神殿に流れ込む水路を壊してくるね。その後で君の水の祝福で水路を暴走させるんだ。後で印の祝福で元通りに直すから問題はないだろう」


 エリシェは大いに問題だと感じたが、アサグの為ならばと賛同する。しかしそこでやりすぎるのが彼女の悪い癖だった。


「どうせならわたしの魔力で偉い人たちの部屋を水没させるわ。もう遅い時間だから神官たちは公邸か宿舎にいるだろうし、大丈夫なはずよね」


 トゥグラトは何が大丈夫なのだろう、と彼女を止めようとしたが、その爛々と輝く目を見て止めることを諦める。いつも火をつけるのは自分だが、拡げるのは彼女なのだ。


「……警護の兵に被害がいかないように気を付けよう」

「うん!」


 少年と少女は頷き合うと、夜に入ったばかりのクルケアンの街路を走り出した。

 同じ頃、神殿に駆け付けたトゥグラトは門番に馬を繋ぐよう命じ、西方諸都市の魔獣討伐の報告のため神殿長にお目通り願いたいと門から伝令を走らせていた。控えの間で待つこと半刻、まだ神殿に残っていた大司祭が現れ、彼を神殿内の執務室に来るよう促したのである。


「アサグ司祭、西方諸都市への魔獣討伐、大義であった。神殿長は先程、所用で公邸に戻られたのでな、報告は明朝にするがよい」

「夜分に失礼を致しました。しかし大司祭殿、公邸の灯りが見えませんな。それに警護の兵、タダイといいましたかな、あの者が率いる一団も見かけませんが」

「何がいいたいのだ、アサグよ」


 聞き間違いだろうか? 大司祭の体の内側から音がしたような気がしたのだ。それは衣服が擦れる音ではなく、何かが内部から弾けるような音であった。


「私の父母が神殿長の召喚を受けた後に行方知れずとなりました」

「お主、もしや神殿長を疑っているのではあるまいな」

「この半年でクルケアンでの失踪事件が増えております。その数、百を超えるとのこと。なぜ神殿は調査をしないのでしょうか」

「このクルケアンは人口三万を誇る大都市だ。百人程度、夜逃げなり自殺なりでいなくもなろう」

「その殆どが魔力が強い者、神殿の在り方に疑問を抱く者であるとの報告がきております。神殿が動かぬことに業を煮やした私の父母が軍のハガル将軍と調査をしていたことはご存じのはず」


 アサグはいい終わらぬうちに、大司祭の首を絞め上げ、血走った両眼を向けて問いただした。


「吐け、神殿の目的はなんだ。神殿長は何を企んでいる」

「な、何をする、将来を嘱望されたお主だ、見逃してやるからこの手を離さぬか」

「聞けんな。さぁ、そこへ行くための魔道具を寄越せ。そうだ、お主の指に嵌めているものだ」


 大司祭は震える手で指輪を包むように隠した。指輪を奪おうとアサグが当て身をしようとした時、大司祭の様子がおかしい事に気づく。アサグが首を絞め過ぎたかと、大司祭の意識を確認しようとした時、老人であったはずの男の背中が弾け飛び、黒い異形な皮膚が現れるのを目にしたのだ。


「こ、これは、魔人ではないか!」

「ほう、魔人だと知っておるのか。アサグよ。やはりお主も只者ではないな。同志になれば役に立つと思い生かしていたが、ここで死んでもらうとしよう」


 あの時の騎士団と同じだ、アサグは恐怖する。ガドたちとの戦いが終わり、バァル様とイルモート様の和平が成ろうとした時、横やりを入れてきた魔人たちと同じなのだ。魔爪でバァルに襲い掛かり、鉄塔兵のナハル殿を叩きのめした、あの異形の騎士団と。そして何か恐ろしい力により、バァル様たちが変化していく……。


 はっと、アサグは悪夢から覚めたかのように目の前の男を見つめなおした。背中には冷たい汗が噴き出ている。おかしい、自分は時の流れに吸い込まれながらその光景を見ていたはずだ。なのに何故、魔人たちの視点と重なるのだ。まるで自分がバァル様、ナハル殿に襲いかかっているような……。


「どうした、この姿が恐ろしいか。ふふっ、安心するがよい。四肢をもぐなぞ野蛮なことはせぬ。血を啜りつくしてゆっくりと殺してやるのでな」

「恐ろしいものか、この忌まわしき魔人めが!」


 アサグは権能杖を振りかざし、その先端に巨大な水刃を出現させた。驚いた大司祭が魔爪を振り下ろすも、エルシードの祝福を受けたその刃は易々とその爪を手首ごと斬り落としたのである。絶叫を上げる魔人にアサグは冷たく嗤う。


「魔人の出来損ないであったか、本来の魔人の力とは比べるに及ばぬ」


 アサグはそういい放った後で、そう断言する自分に何ともいえない不快感を抱く。やがてそれらを振り払うかのように大司祭の胸に権能杖を突き刺した。蛙のような悲鳴をあげ、絶命した男をよそに、アサグは斬り落とした手首から指輪を奪う。


「奥の院、もしや魔人や魔獣を生みだしているのではないか?」


 騒ぎを聞いて駆け付けた神官たちは目の前の光景を見て絶句した。大司祭が、いや大司祭の服装をまとった恐るべき何かの遺体が倒れているのだ。震えながら説明を求める神官兵にアサグは淡々と事実を述べた。


「大司祭は魔人であったのだ。もしくは魔人に乗っ取られたというべきか。早く火にかけ、遺体を処理するのだ。いや、軍のハガル将軍に連絡を取れ、もう何体かいるやも知れぬぞ」

「軍に知らせるのですか!」

「お主たちで倒せるならそれに越したことはない。ん、どうだ?」

「……直ちに軍に伝令を向かわせます。司祭殿」


 さて、自分はどうやって奥の院に向かえばいいのか、兵の注意を集めすぎて後悔したアサグであったが、別の方角から兵の悲鳴を聞いて身構えた。別の魔人が出現したと思ったのだ。


「大変だ、東の水路がのきなみ壊れたらしい。上水が一挙に押し寄せてくるぞ!」


 水はすでに兵のくるぶしまでその量を増し、神殿に侵入しつつあった。アサグはこの騒動が誰の所為かと分かると、にやりと笑って指示を出した。


「修理を怠るから水路が壊れるのだ! 恐らく先の大雨で破損した箇所であろう。皆、急ぎ水路の復旧に向かうのだ。神殿を壊して修復資材として使っても構わぬ。民への影響が出ぬうちに対処せよ!」


 司祭の指示を受けて神官たちが慌てて水路に向かっていく。宿舎の神官も駆け付け修復にあたるが、彼らが一様に思うのは作業の効率が悪いことであった。この日に限って偉そうに指示をするはずの上級神官がいないのだ。そして初動において自分達を指揮していた頼もしい司祭殿もいつの間にか姿を消してしまった。神殿はその混乱の度合いをますます深め、そして人知れず四つの影が蠢いていた。一つはアサグ、二つはトゥグラトとエリシェ、そして最後の一つは神殿の頂上ですべてを見下ろす神官兵のタダイであった。

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