第196話 恋人たち

〈ハドルメ国ギルアドの城にて〉


 バルアダン、アナト、サリーヌ、ニーナ、トゥグラト、アサグらの一行はギルアド城に立ち寄り、ハドルメの将軍シャプシュの同行を求めた。もとより飛竜を乗りこなしたバルアダンに対してハドルメは好感を抱いており、進んでタニン討伐に賛同を示した。バルアダンとサリーヌの乗騎にと飛竜の提供まで申し出たほどである。

 敵国の首領であるトゥグラトはシャプシュに対し、気安く声をかける。


「シャプシュ将軍、僕はこの王に賭けてみたい。両国の平和のためにあの悪竜を討ち、アスタルトによる平和をもたらそうではないか」

「平和には無論賛成だ、クルケアンの神殿長よ。お主が和平派であることは例の件で承知しておる。しかしそれならなぜ、あの戦を未然に止めなかったのだ。バルアダン王が現れなければ滅亡を賭して殺し合っていたであろう」

「僕の不在を狙って強硬派である神官兵のタダイと貴族が結託して出兵を決めたのです。ここに来る前に貴族に脅しをかけたのでしばらくは大丈夫かと。そちらの強硬派の状況は如何です? 激突の寸前、ヤバル将軍も大いにハドルメの民を煽っていたと聞いております」

「……クルケアンと変わらぬ。そうだな、あの馬鹿者を止められなかった私には何もいう資格はない」

「シャプシュ様は神官兵の将軍で、軍そのものの指揮権はございません。軍を止められぬことは承知しております。今回の件はクルケアンに非があります。失礼な発言、お許しください」


 互いの陣営を思いやり、トゥグラトとシャプシュは大きくため息をついた。何とか両国の全面対決を防ごうとしてきた両人である。戦争を避けてきた彼らにとって皮肉にもアスタルトの軍こそが救いとなったのだ。


「お主たちは旧知であったのか」

「はい、王よ。もともと敵国の民、知り合う縁なぞないはずですが、ちょっとした事件がありましてな」

「シャプシュ将軍!」


 頬を朱に染めたトゥグラトが制止の声を上げ、兄であるアサグはにやりと笑う。サリーヌが興味を抱いたようで、シャプシュ将軍に続きを促した。


「トゥグラトの想い人であるエリシェがお転婆な娘でして。両国の和平を実現するのだと、単身ハドルメに乗り込んできたのです。捕縛する寸前にヤバル将軍の婚約者であるイスカが兵達に啖呵を切って下がらせ保護しましたが、その夜にトゥグラトも娘の奪還のために正門から現れて大声で叫んだのです」

「勇敢な娘と一途な青年ですね、で、トゥグラト様は何と叫ばれたので?」

「それがな、サリーヌ殿。トゥグラトは大声でエリシェに求婚したのです」


 一同の視線がトゥグラトに集まった。奪還のはずがなぜ求婚に変わるのだろうか。しかも敵国の正門に在って衆目が集まる中で。


「楼から顔を出してエリシェが叫んだのです。貴方の理想のために、クルケアンとハドルメの和平をもたらそうとしましたが、非才なる我が身では無理だったようです。この人生の最後に一つだけ我が儘をいわせてください。トゥグラト様、貴方から終ぞ聞くことがなかった、わたしへの想いを聞かせてくれませんか、と」


 実はこの時、エリシェはイスカやシャプシュと話し合っており、クルケアンの若い神殿長が和平に向けて動き出していることを聞いていたのだ。同じく和平を考えていたイスカとシャマシュはトゥグラトの考えに深く頷き、何とかして会談の場を設けたいと考えていた。

 そしてエリシェとイスカは歳も近くすぐに友人となった。イスカは恋人であり対クルケアン強硬派であるヤバルを宥めるべく日々説得を試みており、頼もしい友人との出会いに舞い上がっていた。


「エリシェ様はトゥグラトという御人を愛していらっしゃいますのね」

「はい、イスカ様。あの方の想いも分かっているのですが、口に出してはおっしゃらず……。女としては想いを言葉にしてこそ嬉しく思うのですが」


 そうして二人はエリシェ奪還に来るであろうトゥグラトを悪辣な罠に嵌めるべく計画を立てていったのだ。酒と祭りが好きなハドルメの男たちは、美しいイスカとその友人の為ならばと喜んで協力し、女性の心を分かっていないと嘆くハドルメの女たちもエリシェの衣装を急いで準備をするなどしていた。その中で渋面であったのは、イスカの恋人であるヤバルと、和平の話がいつの間にか恋の話にとって代わり、その話に付き合わなければならなかったシャプシュだけであった。


「わたしへの想いを聞かせてくれませぬか?」


 トゥグラトは監禁されているにしてはその装いが美しく着飾っていることに違和感を覚えたが、愛する人の最後の願いとあっては否やはない。引き留められなかった自分が悪いのだ。彼女に思いを告げて、その後を追おう。そう決心して楼を見上げた。城壁では兵と女たちがトゥグラトを見守っている。


「エリシェ、私は君を愛している! この思いはこの身が滅んでも変わることはない!」


 城壁で歓声が上がるが、トゥグラトはその声を憎しみのためと曲解し、いよいよ覚悟を決めた。


「ハドルメの民たちよ、私の最後の願いだ。この愚かな恋人たちを哀れと思うならクルケアンとの和平を考えて欲しい。エリシェはハドルメの歌が好きだといったのだ。きっと両国の民は分かり合えるはずだ。……さぁ、これで終わりにしよう。エリシェ、生まれ変わっても必ず君を探し出すよ」


 そう言い放つとトゥグラトは短剣を抜き去り、自らの喉元にあてたのである。ハドルメの兵が女達に背中を叩かれて慌てて城門を出る。トゥグラトはクルケアンのこれまでの仕打ちを考え、ハドルメに斬られるのもいいだろうと、その身に刃が来るのを待つことにした。


「な、何をする!」


 気づけばトゥグラトは空を見上げており、自分が男たちに担ぎ上げられていることを知った。彼らは次々にトゥグラトの名を叫び、そしてエリシェの名を叫んだのである。何が起きているか分からないまま、女たちの歓声に迎えられて、エリシェが監禁されているはずの牢に辿り着いたのだ。そこには着飾ったエリシェが泣き笑いの表情で彼を待ち受けており、トゥグラトの胸に飛び込んで接吻をしたのである。


「お恥ずかしい次第です。王よ、お忘れ下さい」

「いえ、忘れてはなりませぬ。王よ、しかと御記憶願います」

「サ、サリーヌ殿……」

「まぁ、こんな次第でして。しかしその間にクルケアンが出兵を決め、攻めてくるとは思いませなんだ。トゥグラト様にはエリシェ様に対しても、ハドルメに対しても責任を取ってもらいましょう」


 シャプシュは目尻を下げながらそう笑った。あの時、ハドルメの民は青臭い恋人たちをみて憎しみが共感に変わったのである。トゥグラトが固まっている隙にハドルメ風の婚姻式を挙行とさせようとしたのだが、そんな時にクルケアンの出兵の凶報が届いたのだ。ヤバルは怒りに震えて出兵し、シャプシュは飛竜を用意し夜陰を利用して密かにトゥグラトを送り還した。 

 シャプシュは思う、もしかするとエリシェが無事にハドルメまで来られたのは、タダイをはじめとするクルケアンの強硬派の誘導ではなかったのかと。きっと邪魔なトゥグラトを殺させようとしたのだろう。彼らは逡巡した挙句、シャプシュの指示の下、エリシェをハドルメで匿い、後日の和平交渉に備えたのであった。


「そうなると、エリシェ様はこのギルアドの城に居らっしゃるのですね。ニーナ、挨拶に立ち寄りましょうよ」

「そうね、いいかしら兄さん」

「あぁ、どのみち作戦会議を開かなければならん。バルアダンと俺は会議室にいるのであとで合流するといい。あぁ、勿論トゥグラト殿を連れてな」


 アスタルトの娘たちはトゥグラトの背を押しながら急ぎ足で楼に向かった。そしてそこで二人の美しい女性を目の当たりにしたのである。ハドルメの服を着た女性はイスカであろう。美しいが、体調が悪いようにも見えた。そして娘たちはその隣にいる女性を見て絶句する。

 彼女たちの友人であるエルシャにそっくりな女性が目の前にいたのだ。エルシャが少女から娘に成長すれば目の前の女性の様になるのだろう。


「エリシェ、バルアダン王によって和平が成りそうだ。もう少しこのまま待っていて欲しい」

「あぁ、トゥグラト。もう少しでわたし達の夢が叶うのね」


 そういって恋人たちは抱擁をした。

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