第197話 封神

〈バルアダン、タニン討伐に向かう〉


「バル、見て、あれがカルブ河の水源……」

天と地の結び目ドゥル・アン・キのあった場所か!」


 そこにはあの巨大な穴はなく、大湖が陽光を受けて煌びやかに輝いている。大穴があればあの時代に帰れるかもと期待はしたのだが、それはできないのだろう。


「……きっと私たちにはここでするべきことがあるの。それはクルケアンの歴史の真実を持ち帰り、私たちの時代において何かを変革することだと思う」

「サリーヌ、心当たりがあるのか?」

「ええ、この矢を手にしたときに聞こえた声、あれはサラ導師のものだった。それに変ね、私の声も聞こえたような気がするの」


 あの時にサリーヌがかざした黄金の矢は、光り輝く紐となり私たちをこの時代に連れてきたのだ。そしてそれは再び矢にもどり彼女の掌中にある。


「するべきことか。とりあえず今は頼もしい竜を味方にしよう」


 サラ導師ならいつかまた啓示をくれるだろう。私が今、ここに向かっているのも彼女の導きであるはずだから。

 この湖の向こうの大森林にタニンがいる。この時代の彼は私を知らないだろうが、構うものか。彼の性格ならその巨大な力で襲い掛かってくるに違いない。それを私が受け止めればよいのだ。


「バルアダン王、あの廃棄された集落をご覧なされ、あそこがタニンの根城です」

「シャプシュ将軍、タニンは竜を何体率いているのだ」

「黒い竜が五体の群れを率いております。タニンと共に暴れるのですが、最後は諫めるかのように森の奥へ引っ張っていく奇妙な竜です。ただし、この黒竜も強い。その速さはタニン以上です」

「おい、バルアダン、何か作戦はあるのか」

「そうだな、アナト。わたしがタニンと正面からぶつかる。君がサリーヌとニーナ、トゥグラト殿、アサグ殿、シャプシュ将軍と共にその黒い竜の群れにあたるということでどうだ」

「……武の祝福者は考えなしと謗られるぞ? サリーヌと印の祝福者であるトゥグラトと共に戦ってくれ。竜共を叩きのめしたらすぐに支援に向かう」

 

 了解の意を示すと、アナトは横で怖い目をしているサリーヌに言い訳を考えておけよ、と笑ってニーナの許へ神獣を寄せていった。


「バル、また一人で戦おうとしていたわね」

「いや、今回は違うんだ。純粋にタニンと力比べをしたかった」

「まったく、こういう時は子供っぽくなるんだから!」

「いやはや事情は存じませぬが、サリーヌ殿は王に意見できるのですな。大した姫将軍だ」

「ひ、姫将軍……。いえ、私はただの小隊長です」

「ご謙遜を。あぁ、身分を隠さなくてはならない事情がおありなのですな」


 そしてシャプシュは私とサリーヌを交互に見て何度も頷いた。彼の中であのトゥイが好きそうな物語が紡ぎだされているような気がするが、あえて気にしないでおこう。


「成程、分かりました。しかし、私事はサリーヌ殿が補佐をするとして、公事では王には従者が必要でしょう。この戦いが終わったらハドルメの子供を王の許で働かせてはくれないでしょうか。良い者がおります。十二歳でありながら剣術がすぐれ、胆力もなかなかです。ぜひ、王の許で薫育していただきたい」

「勿論だ。若いハドルメの民とクルケアンの平和を考えるのも悪くはない。私自身も学ぶことは多いだろう。して、その少年の名は?」

「オシールと申します」

「……よろこんでそのオシールを侍従としよう」


 オシール将軍! 私は目の前が真っ暗になる感覚に捉われた。思えばオシールはこのことをおぼろげに覚えていたのだ。幼い時に見た王の後ろ姿、そう彼は話していたではないか。これもサラ導師の導きだというのか。それとも彼女以外の悪意によるものなのか……。

 悩んでいる時間は短かった。それは問題が解決したわけではない。巨大な竜が私達の前に現れ、先送りせざるを得なかったのだ。


「タニン!」


 その風貌、飛び方の癖など確かにタニンだ。しかし私の時代のタニンよりも倍以上は大きい。神代の力によるものだろうか。続いて黒い竜が部下と思われる竜を率いて現れた。


「ハミルカル!」


 今度はサリーヌが叫び声をあげる。私たちを襲うとしているのは巨大化しているタニンと、フェルネスの乗騎であったハミルカルであったのだ。クルケアン最強の竜たちが私達に牙を向ける。アナトと視線を交わし、彼はハミルカルへ、私は正面のタニンに突っ込んだ。


「サリーヌ、トゥグラトは祝福で側面から抑えこめ!」


 サリーヌの飛竜に同乗していたトゥグラトが権能杖を振りかざす。赤い光がタニンの翼を打ち抜き、続いてサリーヌが湖の水を槍に変化させ、タニンの腹に直撃させた。しかし巨竜はその衝撃をものともせずに真っすぐに私に向かってくる。


「バル、正面からは避けて!」


 サリーヌの言葉を受けて、飛竜の手綱を引き真横に旋回をする。あの巨体ではついてはこれまいと後方を振り返ればそこにタニンはいなかったのだ。


「上よ!」


 サリーヌの叫び声に視線を上空に転じればそこに太陽を背にしたタニンがいたのだ。その口がにやりと笑ったかのように私には思えた。タニンは私の背後を追わず、急上昇して私の軌道を読んでいたのだ。巨大な質量が重力の加速と共に襲ってくる。圧倒的な力が迫る中、恐怖より高揚が自分を支配していく。何という竜だ。私はこのような竜と共に戦ってきたのだ。ならば欲を出そう。この時代においても私は必ずタニンの背に乗り、敵と戦おう。


「タニン、勝ったと思うな!」


 タニンの牙が当たる寸前、そのまま飛竜を上方に一回転させ鞍を蹴ってタニンの背中に飛び乗った。そのまま翼を締め上げ地上へと落下させる。


 土埃の中、タニンは身をよじって私を振り落とし、その爪を突き立てた。受け止めた長剣が軋み、そのまま大地に叩きつけられようとする寸前、サリーヌとトゥグラトが権能杖を突き出した。

 一本の剣と二本の杖が巨大な爪を受け止めている。それでもわずかに私たちが押されていた。お互いの息が届きそうなこの距離において、タニンが興ざめだというように鼻を鳴らす。あぁ、この時、私は友に侮辱されたのだ。戦うに値しない存在だと!


「サリーヌ、トゥグラト、権能杖をさげてくれ」

「何をいっているのバル!」

「そうです、いくら貴方でもこの巨竜相手には……」

「すまない二人とも、だが、私はいま自分に腹が立っているのだ!」


 獣のような声を上げ、気迫を以って二人の杖ごとタニンの爪をはじき返す。怒りによって体中に力が漲り、そのまま静かに一歩、その距離を詰めた。タニンの目の前でゆっくりと一呼吸を置いて剣を振り上げた。


「タニン、今度は私の番だ」


 全身の力を以って剣を振り下ろした。タニンは爪で私の剣を受け止め、お互いに大地を踏みしめる。鈍い音を立てて大地にひび割れが生じ、私たちの間で熱の塊が弾けた。


「武の祝福……!」

「なんと、王は武の祝福をお持ちか」


 タニンの目に喜色が浮かんだ。きっと私も同じような目をしているはずだ。しかし、友よ、ここからだ。

 

「受けきってみろ」


 剣を、握られた爪ごと振りぬいてタニンの横っ面に叩きつける。技でもない、ただの力を以って友を張り倒したのだ。そしてタニンは私の全力の一撃を片脚をついただけで受け切った。


「印の祝福よ、彼の巨竜を破壊せしめよ」

「トゥグラト、よせ!」


 至近からのトゥグラトの魔力はタニンの胸を割いて中に吸い込まれていった。呻き声を上げるタニンは私を掻き抱くと大森林へと飛び立っていく。サリーヌがトゥグラトを地上に残し、飛竜に飛び乗って追ってくるのが見えた。

 

 驚いたことにタニンは胸を穿たれた傷を苦しんでいる様子はない。しかし時を惜しむように私を何処かへ連れて行こうとするのだ。


「タニン、いい子だからバルを放しなさい」


 サリーヌの言葉が通じたかのようにタニンはその巨大な眼を彼女に向ける。そして短く鳴き声を上げると、廃集落の神殿の中へと飛び込んでいった。破壊された屋根を絨毯にして、私たちは互いを見やった。


 印の祝福は対象の在り方や本質を露わにしたり、封印したりすると聞く。トゥグラトの魔力を受けたタニンは光を発しながらその形を変えていったのだ。そしてその光が消えた時、一人の武装した青年が立っていた。


「我が力を受け継ぎし戦士よ、なぜイルモートの眷属と行動を共にしておるのか」


 その青年を見紛う筈もない。水面や鏡があるところで見ないはずはないのだ。


「バル!」


 サリーヌのその声は、私に向けてか、相手に向けてか。

 私の目の前にいるのは自分と同じ顔をした男であったのだ。


「我はバァル、ヒトを統べ、悪神を屠る神だ」

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