第153話 賢者の死③ 形見

〈サラ達、ハドルメの廃城に向かう〉

 

 海の匂いを感じて、ガドはヒルキヤの飛竜の上で意識を取り戻した。シャンマが心配そうにガドの顔を覗き込む。


「ガド隊長、大丈夫ですか!」

「何とかな。しかし、よく生きていられたなぁ」

「ガドよ、お主の力量が低いと言わけではないが、恐らく、バァルはかなりの手加減をしていたようだ。奴の力量を考えると、エルシードを自由にさせてやるために、わざと逃亡させたのだろう」

「俺は殺されかけたのですが……」

「きっと不本意ではあったのだ。腹いせにお主にあたったのかもな」

「勘弁してほしいです」


 飛竜はティムガの草原を南下し海へ向かっていた。神を誘拐した不遜な一味は、追手をまき、海上で大きく迂回してハドルメの廃城に回り込むつもりなのだ。

 誘拐された当の本人は、飛竜の上で弾むように笑い、空の旅を楽しんでいる。


「ここまで早い生き物に乗って飛ぶのは初めてよ! ねえ、アッタル、ちゃんと下を見ていて? 海と空の違いが分からないほどきれいな青だわ!」

「エルシード様、お気をつけください。あぁ、そこの御者よ、もう少し水平に飛べんのか。一回転をする必要がどこにある?」


 アッタルの叫びはラメドが飛竜を再度回転したことにより中断され、悲鳴に変わった。エルシードの笑顔がそれに続いて空を賑やかす。ガドはその様子を見てため息をついた。


「神様、か。なんでそんなもんに選ばれてしまったんだ。エル」


 エルの意識が戻ることは、エルシードの存在はどうなるのか。神々の争いに立ち向かうエルシードを見ると、ふとそんな思いがよぎる。二人とも助かる方法はないのだろうか、自分の考えが分不相応だとは分かっているのだが、ついついガドは、自分を助けるために魔獣に身を差し出した父母を、そしてタファトを思い出すのだ。


「それでも俺は衛士として、誰かを助けようとする人を放っておけるものか。神も人も一緒だ」

「はい、ガド隊長ならそうおっしゃると思っていました」

「うへぇ、聞いていたのか。恥ずかしいから聞こえなかったことにしてくれ」

「いえ、ちゃんと聞きとどめました。……その、隊長。隊長が言った人の中にハドルメも入っていますか?」


 ガドはシャンマの幼い瞳を見て思う。……現世に帰ったとしても、クルケアンとハドルメの争いは続くのだ。そして自分はクルケアンの兵士でもある。シャンマと戦い殺せるのか? 否、自分にできるはずがない。仲間を殺す戦争に加担できるはずがない。


「神も助けるんだ、いまさら人なんて区別も何もない! シャンマ、お前は俺達の大切な仲間だ」

「はい!」

「ガド、どうしてシャンマ君の頭を撫でているの? 私にも撫でさせてよ」

「おぉ、目が覚めたか。どうだ神様に圧倒的なまでに打ち負かされた気分は?」


 若い兵士たちの楽しげな声に、小さな女神は、つい自然に声を掛けてしまう。


「ガド!」

「どうした? エルシード」


 神を呼び捨てにするな、と青い顔で呻くアッタルの声を無視して、ガドはエルシードの方を見やった。


「ありがとう、わたしを連れ出してくれて。ありがとう、わたしにこんな世界を見せてくれて!」


 エルシードはゼノビアとミキトにも声を掛ける。それは神の言葉ではなく、友としての言葉だった。


「ゼノビア、ちゃんとわたしの身代わりはできていて?」

「もちろんだよ、誰がどう見ても神様だったよ、ねぇミキト?」

「あの上ずった声でか? あいたた、同意してやるから、俺の腹をつねるのはよせ!」


 女神はその様子を見て、再度、声を上げて笑った。アッタルもつられて笑い出す。


 ヒルキヤは敵対しているはずの、若い彼らを見て笑みを漏らす。まったく、バルアダンは良き部下を育ててくれた。敵国の人も、神も、輪になって笑顔にさせるのだ。こんな素晴らしい兵が一体何処の国に存在しよう。


 一行は青い海から暗いハドルメの廃城に辿り着いた。エルシードはアッタルを連れてイルモートの部屋に直行し、老婆の姿へと戻ったサラがシャマール、ガルディメルと共に一同を広場へと連れていく。折れた柱を椅子代わりに、地に落ちた天井を机として、神を打倒するための作戦会議が始まった。


「皆、よく戻ってきた。イルモートとは先程話はついた。さぁ、まずはバァルとの戦いだ。その後は神獣騎士団との戦いが待っている。充実した気力で迎え撃たねばな」

「サラ導師、聞くだけで滅入ってくるのですが。何か作戦がおありで?」

「ガドよ、初戦の神との戦いはお主達が主役だ。最高の舞台を作ってやる故、バァルを倒すがよい」

「サラ殿!」

「まぁ、そう興奮するな。勝つための条件を半分程は整えてやる」

「もう半分は何処へ行ったのです?」

「そうさの、根性とでもいいかえるかのう。運命という言葉もよいな」

「サラ導師、ガド小隊長も俺達もまだ駆け出しの兵隊ですぜ? せめてその半分の条件を教えてくれませんか?」

「イルモート、エルシードがお主達の味方だ。これで戦力は武の神バァルと五分。あとはお主達がその均衡を崩すのだ。戦場においては余人を混じらせぬと約束しよう」


 サラはガドが持つ、ハドルメの宝剣を手に取った。サラの手から光が漏れ出し、剣に吸い込まれていく。


「ガド、このハドルメの宝剣に私の月の魔力を込めておく。お主が何処の時代にいても私がわかるようにな。それとこの権能杖はサリーヌにだ。もし会うことがあればアナト、いやダレトにこの手紙を渡してほしい」

「嫌だな、まるで形見みたいな渡し方をしないでください」

「ん、そう見えたか? ふふっ、心配するな。私は賢者サラぞ。全てを見守るために、儂の力を分ける必要があるのだ。死んだら見守れないではないか。まだまだ働くつもりだ。それとも私に楽をさせてくれるのか?」

「勿論、楽をしてください。早いとこバルアダン隊長と俺達でちゃちゃっと平和な世界にして見せます。いつまでも、サラ導師達に頑張ってもらうのは申し訳ない。隠居でもしてもらって、お茶を楽しめるようにせいぜい頑張りますよ」

「こいつ、いいおるわ」


 サラはガドを抱きしめ、ありがとう、と呟いた。


「サラ導師?」

「静かに、今お主にちょっとした祝福を授ける」

「え、ありがとうございます。……どんな祝福ですか?」

「苦難に会っても正面から立ち向かえる、そんな勇気を授ける祝福だ」

「すごいや」


 ガドは目を閉じ、サラに抱きしめられる。月の祝福者は祈るように口を動かし、そして肩に手を置いて、ガトの目を見つめた。彼は気付いていなかったが、それは祝福ではなくただの願いだった。サラがその人生で一番思いを込めた願いでもあった。


「早く私を隠居させるんだぞ?」

「はい!」

「さぁ、イルモートの部屋に行ってバァルに勝つための作戦を練ってこい。負けない戦いこそ、お主の勝利だ。頼んだぞ」


 ガドはサラの頼みに拳を天に突き上げて笑顔で応じた。サラは、ガドの笑顔が彼の両親の顔と重なり、目を見張った。かつてクルケアンの未来を託した技術者たちは死んでしまった。だが、次の世代がその思いを受け継ぎ、未来を創ろうとしている。それを見られたことが老人である自分の、何よりの褒賞なのだろう。


 ガド小隊の面々が駆け出していくと、広場には大人たちだけが残った。サラ、ラメド、ヒルキヤ、ギデオン、そしてシャマールである。


「サラ導師、お主、死ぬつもりではないだろうな」


 ギデオンが震える声でそう問うた。ラメドがサラの横に歩み寄り、二人は顔を揃えて微笑する。


「馬鹿者、クルケアンにも、ハドルメにもお主達の力は必要だろうが!」

「ギデオンの言う通りだ。ラメド、お主は元老なのだぞ。クルケアンの政治を何もせぬまま、楽な道を行かせはせんぞ」

「ギデオン、ヒルキヤ、ありがとう。お前達の友人で本当に良かった。しかし、目的がある死なのだ。そしてその死を最大限利用するために、お主達にも死地へ出向いてもらおう」

「当たり前だ、儂らだけ安全な場所にいられると思うか!」


 自らも死地に赴くと知って安心したようにギデオンは喜んだ。友のために、孫のためにこの命を懸けられるのだ。どうして惜しむことができようか。彼はヒルキヤと視線を交わし、同時に頷いた。


「シャマール殿、ガルディメル、明日の夕刻以降の戦いでは先陣を切って欲しい。そしてあの彫像を持って、クルケアンの廃墟に立て籠もって欲しいのだ。ラメドの飛竜を貴方に託そう。もとはハドルメの飛竜であるからの」

「立て籠もるとはいつまで?」

「死ぬ寸前のその時まで。いくら私とは言え、正確な時は読めぬ。全ては現世のバルアダンとサリーヌ次第だ。この策が成ればお主らも帰還できるし、ハドルメが滅ぶことはないだろう」

「承知。すでに私の未来はガド達に託しました。シルリの像と共に戦えるなら本望だ」


 そして彼らは作戦を話し合う。サラとラメドを除いて、一同の顔が驚きの表情に変わる。

 それはあまりにも不確定要素が強い作戦だった。なればこそ、サラが言った通り全てを救うことができるのであろう。


「すまぬな、まずはあの子達を優先する」


 サラの言葉にクルケアンとハドルメから来た異邦人達は笑って頷いた。

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